第32回：AIR
1981年、ロック・バンド・ジェネシス（Genesis）は「イン・ザ・エア・トゥナイト（In the Air Tonight）」という楽曲をリリースし、フィル・コリンズは離婚の苦しみと怒りについて歌った。各節で響くドラムのクラッシュ･シンバルの音が特徴的で、部屋の中の張りつめた緊張感を「ナイフで空気を切ることができる」と文学的に表現した歌詞と同様に印象に残る。“空気”は、常にアーティストにとって共通のモチーフやテーマであり、期待、運命、ロマンス、幸福を表す感情を描写する隠喩として用いられてきた。空気は、科学的に定義されないインスピレーションや創造的表現の源だった。
1919年、フランスの美術家マルセル・デュシャン (1887-1968)、は友人でパトロンのウォルターC.アレンズバーグに、薬局で購入した50ccのバイアル瓶を贈った。それは、「パリの空気」で満たされた「空っぽの」バイアル瓶だったという。それはパリのポンピドゥー･センターで芸術作品として展示されている。視覚芸術に空虚を見つけることは、芸術家にとって効果的に表現するのが難しいプロセスであり、デュシャンの小瓶が表すのと同じくらい空虚でありながら、友人への感謝のジェスチャーが空虚を彩るのだ。
2022年11月26日～23年4月23日まで、ブリスベンのGOMA（Gallery of Modern Art）で、「AIR」と題した、オーストラリアと海外のアーティスト30人による大規模な展覧会が開催された。同展覧会は、深刻な地球規模の脅威に対する政治的な考えや芸術的な解決策に迫る内容となった。大気汚染は気候変動の原因となることが周知され、アーティストも大気汚染に対する意識を高め、それを減らすための解決策を見つけ、更に大気汚染をリソースとして利用する方法を模索している。Airは、科学を芸術の場に持ち込んだ展覧会と言えるだろう。
「大気」とは、窒素、酸素、二酸化炭素、水蒸気、微量ガスの混合物であり、科学的には、純粋な空気には香りも色もないとされている。そして今、私たちはこの科学を認識し、芸術的表現が、時には痛みを伴いながら、関連性を持たせ、教育的な議論をもたらし、グリーン・エネルギーの利点を強調しようと努力するのは、必然的なことだと感じている。このつながりは、今や見る人が情報を得て感動できるように、キュレーター主導の居心地の良い作品コレクションにまとめられている。
「AIR」は、空っぽの1つの小瓶または、デュシャンの才能（少なくとも狂気）ではなく、テーマによってゆるやかにつながった、さまざまな彫刻や絵画、インスタレーションである。ベルリンを拠点に活動するアルゼンチン人アーティストのトーマス・サラセーノによる演劇的で優しく動く空気で満たされた球体は、野心的で遊び心がある。「Drift: A cosmic web of thermodynamic rhythms 2022 」というタイトルの彼の魅惑的なインスタレーションは、15個の鏡面仕上げの球体を浮かべたものだ。球体は光を反射して上空に浮かぶと、呼吸するように静かに動き、他の球体は静止している。球体は、空気の詩的で想像力豊かな側面と関わっているのだ。
このインスタレーションは、作品の外部空間が美的カテゴリーとしてどのように機能すると見られるかを探求していない点で、批判的な観察を見逃している。例えば、ロダンの彫刻は「空気を吐き出す」、セザンヌの色彩は「穏やかで絹のような空気」を生み出し、絵画が展示されている空っぽの部屋に浸透している。しかし、アルベール・ナマジラの静謐な水彩画「ghost gums」については、同じことは言えない。彼がこの風景やゴムの木を描いたのは、それが「空気を補充する」ためではないことが分かっている。同作品の選定は、何かノルマ的なニーズ（オーストラリア、先住民の芸術など）を満たしているようにも見える。アルバートも、この作品が選ばれたことに苦笑していることだろう。
ロン・ミュエックの「In Bed」（2005年）は、ベッドに避難する女性の姿を、記念碑的かつ驚くべきリアルさで描かれた作品だ。「彼女は病気なのだろうか」「何かを恐れているのだろうか」。同作品は2005年に制作されたので、彼女がCOVID-19に感染し、「空気」がウイルスに汚染され、外出できなくなったとは考えられない。皮肉なことに、この作品は、過去の展覧会との関連や文脈があるため、そのサイズからすると、今回の展覧会で最も弱い作品だと言える。
「AIR」は、GOMAのコレクションから集められたさまざまな作品と一緒に展示されている。ギャラリーのフロアでこれらを見ることができるのはすばらしいことだが、「空気」は何も包含せず、ただ「空気」に任せることでより効果的に機能するだろう。
私は、娘の8歳の誕生日パーティーのことを思い出す。部屋には、ヘリウムガスが注入されたカラフルな風船がたくさんあり、パーティーの終わりに飛び立つのを待ち望んでいた。いくつかの展示では、太鼓の音や空の小瓶の「空気」だけでよかったのに、テーマが重くのしかかり、芸術的・政治的な発言に終始するものもいくつかあった。
このコラムの著者
ルーシー･マイルス（Lucy Miles）
オーストラリアと日本のアート業界で25年以上の経歴を持つ。グリフィス大学で美術学士、クイーンズランド大学では美術史の優等学位を取得。現在、オーストラリア・クイーンズランド州を拠点にファイン･アート･コンサルタント及び美術鑑定士として活躍中。
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