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脆(もろ)くかけがえのないもの/福島先生の人生日々勉強

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 伝えたいことがあったのに言えないままその日は別れ、今度会った時にと思っていたのに遠くに行ってしまい、言えずにそのままになってしまったというような経験はありませんか。つい電話をしそびれて明日でいいかと引き延ばしている内に2度と話せなくなってしまった、仲直りをせずに出て行ったら元に戻る日は来なかったなど、状況は違っても似たような出来事はよくあることなのではないでしょうか。

 一期一会と言いますが、「一期」とは一生のこと、「一会」とは一度の出会いのことです。何度も会う機会がある人に対しても常に、「これが最後かもしれない」と考え、会っているその時を大切にすべきです。その時間は二度と巡っては来ないたった1度きりのものだからです。

 しかし、なじみのある人、いつも一緒にいて会えなくなることを想像しづらい相手には、一期一会を意識することはなかなかありません。いつでも会えるし、話せるし、などと考えて、その人と過ごせる時間の価値が分からなくなってしまうのです。ましてや、初めて会った出会いの日から刻々と別れの時が近づいているのだということに気付くのは、何か特別な出来事があった時に限るでしょう。

 人の命はいずれ儚く消えゆくものです。生まれた者が必ず死ぬことは誰でも知っています。しかし、健康な時には自分の死を身近に感じることはできません。考えたくないということもあります。自分がいつ死ぬか分からないからこそ、私たちは生きていけるのです。でもいつか、終わりが来ます。別れの時が来るのです。縁あって結んだ関係も死が互いを分かつのです。

 刻々と過ぎ去っていく時間は取り戻すことができません。私たちは折に触れ、限られた時間の中で出会うご縁の不思議を思い、粗末にしていることはないかと省みて心を洗う必要がありそうです。その内に、と思っているといつか突然に後悔する日が来るかもしれません。明日もし大切な人を残して自分が旅立つとしたら。あるいは大切な人に旅立たれたら。

 いつも目の前にいて当たり前と思っているものは当たり前ではありません。命について明記できる予定表は作れませんが、いつか別れなければならないことは分かっています。自分に明日が来るとは誰にも約束されてはいません。今日あげられるはずだった優しい言葉や微笑みを、多忙を理由に惜しんだとして、もし自分や相手に明日が来なければ? 今この瞬間は共に生きられる残された時間の初めの一瞬です。そして最後かもしれません。

このコラムの著者

教育専門家 福島 摂子

教育専門家 福島 摂子

教育相談及び、海外帰国子女指導を主に手掛ける。1992年に来豪。社会に奉仕する創造的な人間を育てることを使命とした私塾『福島塾』を開き、シドニーを中心に指導を行う。2005年より拠点を日本へ移し、広く国内外の教育指導を行い、オーストラリア在住者への情報提供やカウンセリング指導も継続中

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