燃える火の色や音、薪(まき)や煙の香ばしいにおい、肌に快い熱を感じながら体の芯まで温まる感覚は、薪ストーブのある田舎の冬に特有のものだろう。森林火災の対策の一環として、燃えやすいユーカリやティーツリーの倒木などを薪にすることもあるのがオーストラリアらしい。火を起こす準備を含め、暖房としての機能以上の時間を提供してくれる薪ストーブは、寒い季節の楽しみでもある。(文・写真:七井マリ)
火の番をする寒い夜
乾いた枝や紙くずをセットした薪ストーブに火を入れると、始めは小さく頼りなかった炎が次第に大きく、明るく燃え広がる。乾いた小枝はパチパチと軽快な音をたて、金属越しに熱が手や顔まで伝わる。薪を時々足しながら火を焚(た)き続ければ、小さな部屋はあっという間に暖まり、寒さで縮こまった体がほどけるようだ。火の番をしている間に指先に染み付いた煙がほのかに香って、冬が来た、と思う。
暖を取りながら薪ストーブの前に座っていると、意思を持つ生き物のように形を変え続ける炎の不思議に引き込まれ、飽きることなく見入ってしまう。それでいて心まで溶かすような安心感があるのは、暖かさのせいだけではなさそうだ。私だけでなくパートナーも好んで薪ストーブの火の番をするのは、長きにわたる火との関わりが人間に刷り込まれているせいかもしれない。
民家が点在する田舎道ではこの時期、オーストラリアの都市圏で暮らしていたころには感じたことがなかった薪を燃やす香りが、ほんのりと快く鼻腔をかすめる。全ての家に薪ストーブがあるわけではないが、庭に積み上げられた薪、屋根から突き出た煙突、うっすらとたなびく煙は、ここサウス・コースト地方の田舎町では決して珍しくない光景だ。
薪ストーブを使うための冬支度
冬が近付くとホームセンターや園芸資材店だけでなく、生鮮食品店や道端にも当たり前のように薪を売る看板が出るのは、田舎暮らしを始めるまで知らなかった。ただし自然林や切り倒した木がある家では、薪の自給も一般的だ。オーストラリアの暦の上で晩秋を迎えた5月、無数のユーカリやティーツリーの木々に囲まれて暮らす私たちも、薪ストーブを使うために準備を始めた。
まずは枯れ枝や倒木、風雨で落ちた枝、健康な森の生育のために間引いて切り倒した幹、そして剪定した庭木の枝などを、水がたまりにくい場所で乾かしておく。太い木なら乾燥に1年ほど掛かるので、通年この作業をしておくと冬に使う薪に困らない。
乾いた木や燃えやすい種類の大量の枝を野外にそのまま放置しておくと、自然分解されにくい状況であればブッシュファイア(森林火災)の一因になり得る。そのため、安全な場所に集めて焚き火のように燃やしてしまうという方法がある。しかしそれを薪ストーブの燃料にすれば、ブッシュファイア対策かつ燃料費の掛からない暖房になるのだ。環境汚染や気候変動の問題と不可分な石油やガスを使わずに済むのもいい。大規模な社会インフラから独立した暖房設備なので、停電などの折にも重宝する。
とはいえ、薪に払うお金の代わりに時間と労力は必要だ。大量の枝や幹をチェーンソーや電動ノコギリで前腕くらいの長さに切りそろえ、太いものは斧(おの)で割り、保管場所に移して積み上げ、使う時には室内に運び入れる。薪がなくなれば暖房が機能しないので、定期的に薪作りに時間を割く。隣家は秋の半ばから薪を割る音を響かせていた。
燃やした薪の副産物の行方
薪ストーブで何日か火を焚くと、中に灰がたまってくる。アルカリ性が強い草木灰は酸性に傾きがちな土壌の改善に役立つので、バケツに掻き出して堆肥作りや畑のpH度の調整に使う。残りは住まいの周辺の粘土質の酸性土にまいておく。
資源を無駄なく有効活用できるのが薪ストーブの利点だが、現代的な暖房設備と比べると準備から後始末まで絶えず人の手を要する。エアコンやヒーターのようにスイッチを押せば部屋が暖まるわけではない。燃えやすい木々に囲まれた環境なので、火の扱いには特に注意を払う。それでも1つひとつの工程を面倒と感じないのは、あえて電灯の代わりにキャンドルを灯すのと同じような安らぎが、薪ストーブにもあるからだと思う。
しかし、1つ大きな難点がある。最近の研究で明らかになってきた、薪ストーブの煙による室内外の大気汚染だ。新型のエコ・デザインの薪ストーブでも、有害な微粒子の排出はゼロではない。木を燃やす薪ストーブも、石炭火力発電などの電気を使う暖房器具も大気汚染を助長するということは、現時点で最良の選択肢は太陽光などの自然エネルギーで作り出した電気の使用だろう。
ただ、当地の暮らしで出る大量の枯れ枝や剪定した枝は、火災予防のために屋外で燃やして減らすか、屋内で薪として使うかを考える必要もある。今できることとして、燃焼時に大気汚染物質が多く出るぬれた薪の不使用や、薪ストーブの開閉時間の短縮と換気による室内の空気の管理など、少しでもベターな使い方を意識したい。
毎日のルーティーンの小枝集め
薪ストーブを使うには、大きな薪だけでなく焚き付けと呼ばれるような乾いた小枝や樹皮もあった方がいい。最初に火を起こす際、少量の焚き付けを燃やしているうちに、やがて火が大きな薪に燃え移るからだ。
軍手をはめてバケツを持ち、外へ焚き付けを集めに行くことは、家事の1つとして晩秋から冬の日課になっている。無限に落ちている乾いた細い枝を拾い、折ってはバケツにためていく。高く伸びたユーカリの木々に囲まれ、鳥の声や羽音を聞きながら、ただ部屋を暖めるためだけに無心で焚き付けを集めるそのルーティーンはひそやかな癒やしだ。
薪ストーブを使うライフスタイルによって、生活すること自体の手触りを実感しやすくなったように思う。人間を含む生物がこの世界に存在する理由が毎日をただ生きることであるならば、家事と呼ばれるような日常の仕事は、課せられたタスクではなく生きることそのものだ。薪を作ってストーブを焚くこともしかり、炊事や育児、庭仕事だってそうだろう。拾った小枝の乾いた感触を指先で確かめながら、時に家事を厄介ごとのように日々の片隅に追いやろうとしてしまう自分を少し省みたりする。
著者
七井マリ
フリーランスライター、エッセイスト。2013年よりオーストラリア在住