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メルボルン最古の橋、ホーソン・ブリッジ/マーベラス・メルボルン 第69回

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 メルボルンにはかつて世界一の金持ち都市となり「マーベラス・メルボルン」と呼ばれた栄華の時代があった。メルボルンを首都としたオーストラリア連邦政府ができる1901年までの50年間、メルボルンっ子はいかにして驚異のメルボルンを作り上げていったのか——。


三重アーチ構造の穴開き式ブルーストーン製支柱

 ホーソン橋は、メルボルン中央部を流れるヤラ川に架かる最古の橋であり、豪州最古の現存する錬鉄製トラス橋である。

 ゴールド・ラッシュ期の資金で建設された初期の主要インフラと言える。ホーソン橋は、英国製輸入錬鉄、頑強なリベット留め、格子トラス橋などの構造を持ち、二重アーチ構造の穴開き式ブルーストーン製支柱など当時の世界最先端の技術が使用されているのが特徴だ。当時の豪州では高品位鉄の製造技術はなかった。

 1850年代、メルボルン中央部の人口がゴールド・ラッシュにより激増し、東部の近郊サバーブであるホーソンやリッチモンドが住宅地となり、ヤラ川に本格的な橋を架橋する必要が高まった。当初は渡し船があり、その後、木製の粗末な初代ホーソン橋が架かっていた。

 57年にホーソン橋の設計コンペが行われ、58年の完成予定で鋼材は英国に発注された。鋼材を積んだ貨物船ヘラルド・オブ・モーニング(HM)号は英国を出発し、59年にメルボルン湾に到着。HM号は、湾内に停泊して貨物を荷揚げする前に、火災を起こして座礁し、難破した。

 積み荷の架橋材料は架橋用クレーンも含めると350トンに上り、HM号の沈没はメルボルン首都の建設計画にとって大損害となった。植民地政府は、構造物を英国に再発注したことで、ホーソン橋の完成は61年11月まで遅延した。

 サンドリッジ海岸には、HM号の難破船を見ようと大勢の人びとが集まった。難破船の残骸は業者が植民地政府から安く購入した。難破船まで足場が組まれ、労働力が投入されたが、難破船まで到達するのに数週間が掛かったという。

 最終的に難破船の残骸は、海岸の桟橋まで引き寄せられた。回収された積み荷は、オークションで売却され、鋼材はビクトリア州レデスデールのミアミア橋の建設資材として使用された。

 ホーソン橋は馬引き鉄道トラムを走らせるために、90年に拡張されて、二重アーチ式のブルーストーン製の柱は三重アーチ式となった。

 ホーソン橋で使用された錬鉄は、スチール(鋼鉄)が発明される前段階の鉄であり、英国がパドル精練技術を開発して世界をリードしていた。代表作としては、89年完成のフランス・エッフェル塔などがある。

 新橋から横浜までの日本最初の鉄道は1872年に開通したが、英国から輸入された70年製錬鉄がレールとして使用されている。ホーソン橋の錬鉄使用は世界に先駆けた事例だ。

このコラムの著者(文・写真)

イタさん(板屋雅博)

イタさん(板屋雅博)

日豪プレスのジャーナリスト、フォトグラファー、駐日代表。東京の神田神保町で叶屋不動産(Web: kano-ya.biz)を経営

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