遅れてきた「コロナ」、傍らの「アビー」
その日は朝から熱があったもののWFHの定着で物理的に仕事ができるため、家から仕事をこなしていた。しかし午後4時、その日最後のオンラインMTGを終えたあたりで様相が変わってきた。目眩と共に周囲がぐるぐると回り始める。強い酒をラッパ飲みした時のような感じだろうか。どうにもならずベッドに倒れ込む。深夜に目を覚ますと体が燃えるように熱い。朦朧(もうろう)とした状態でベッドから降り、体温を測ると38度8分。久々にRAT検査キットを取り出し検査をするとコロナ陽性。コロナ・パンデミックの始まりからざっと3年半、僕は初めてコロナ・ウイルスに罹患(りかん)した。
2020年1月、当時日本国内で最も感染者数の多かった北海道での取材活動から始まり、期間中、何度もウイルス感染してもおかしくない状況を経験してきた。21年末には日本帰国の際の強制隔離も体験した。
■東京ホテル隔離体験記(1)最後まで分からぬ滞在地、銀座の仕出し弁当
Web: https://nichigopress.jp/news-item/13570/
この3年半、いったい何度、検査キットの世話になったろうか。我が家で唯一感染した息子に目の前で咳を浴びせられ続けても僕はいつでも「陰性」だった。もう一生かかることはない、それくらい思っていた。しかし、出た。
世間ではコロナ騒動が一段落し、もう話題にもならなくなってきたようなタイミングで今さらコロナで苦しむなんて、相変わらず絶妙にタイミングを外してるよな、自分。
それから約30時間、僕はベッドの中で汗だくになりながら悶え続けた。おぼろげながらも強く覚えているのは妻に「陽性だったよ」と伝えた瞬間、「え、陽性!? (ウケる)」と吹き出されたこと(カッコ内は僕の妄想)。いや、分かるよ、分かる。あれほど自信満々に俺はかからない、と言ってきたからね。……。
「濃厚接触」を避けるために子どもたちとのボディ・コンタクトもやめていたが、そんな中、するりと僕の布団に滑り込んできたのが、飼い猫のアビーであった。「お前にコロナはうつらないよな」。唯一僕に接触できるアビーに添い寝されながらそう独りごちる。
東京での一人暮らし時代、つらい時はアビーがいつも一緒にベッドにいたなと思い出す。30代前半、来豪を考えるきっかけにもなった、当時勤めていた会社の倒産後、「失業手当ってこんなにもらえるんだ、やっほーい」って思いながら半年以上「ロング・バケーション」と称した無職期間を楽しんだ期間があったが、実態はチャレンジング。世間の白い目にさらされ続ける中、いつもそばに寄り添ってくれていたのはアビーだった。そんなアビーを日本に置いてくることはできず、僕はアビーをオーストラリアに連れてきたのだ(余談:約30万円掛かった)。
吾輩はアビーである
「私はアビー。BBKとはもう16〜17年ほど一緒にいる。途中からMEGが加わり、私たちは平和に暮らしていたけれど3年くらい前に、カイトという小さい人間がうちに来てから私のポジションは大きく変わった。今までのようにBBKの布団に入り込もうとすると『邪魔』とぞんざいに扱われるようになった。『ドライフードはもう嫌。もっと柔らかいご飯頂戴』ってねだっても『今皿に入っているものから食べろ』と怒られる。トイレ掃除の頻度も以前とは雲泥の差。ひどいよね。でも、今日はBBK、なんだか本当に辛そうだから、少しだけ寄り添ってあげる」
朦朧とした意識の中、そんなアビーの心の声が聞こえてくる(気がした)。ごめんねアビー、優しくできなくて。僕たち夫婦は子どもたちの面倒に必死になり、アビーにさみしい思いをきっとさせてきた。コロナへの感染で「ああ本当に味覚なくなるんだな」とか、今この原稿を書いている瞬間もまだひどい倦怠感が残っていたり、しんどさはあるもののアビーへの暖かな気持ちを取り戻すことができたのは病でいったん立ち止まることができたからかもしれない。
次世代のシドニー・ラーメン大戦争、そのさわり
コロナ明けの連休。体はきつくとも腹は減るし、少しでも陽の光を浴びたい。ということで、かねてより行きたいと思っていたラーメン店を目指した。
僕はラーメンをスープから自作するほどのラーメン好きで(最近は「天一」を再現中)、2013年辺りからコラムでシドニー・ラーメン事情を何度も執筆してきた。
コロナ・パンデミック前に最後に執筆したコラムが下記だが、シドニーのラーメン史がざっと分かるので興味のある人は目を通してみて欲しい。
■「加熱するシドニー・ラーメン最新事情①」(2019年7月公開)
この記事以降、ここ3〜4年でリストに加わった店は以下あたりか。油そば専門店の「IIKO Mazesobe」、都内の創作系ラーメンのオーラ漂う「SEKKA」、サイフォンで魚介の出汁を取っている「UMAMI DOJO」、ノース・シドニーで注目を集める創作系「Sou Ramen Lab」、ポッツ・ポイントで話題の札幌系「SORA」、ホリエモンの和牛マフィアで有名な「Mashi no Mashi」、有名シェフ・チェイス小島・プロデュース「Senpai Ramen」。また、近々シドニーにもオープンするメルボルン発の人気店(ルーツは博多の一幸舎)「GENSUKE」も要注目だ。
今回一念発起して子連れで向かったのがノース・ストラスフィールドにある「KOSUKE」。SNSポストの写真などから漂ってくる「本物感」に期待感を高められていたのが来訪の理由だが、到着して目に飛び込んできたのは大行列。なるほどこれほどの人気店なのか。
1時間待って出てきたラーメンにMEGが一言。「シドニーイチかも! 日本のおいしいラーメン店そのもの」。彼女の頼んだ煮干し醤油ラーメンを味見。特製の煮干し油だろうか、スープの表面をオイルが覆っていることでスープはアツアツのまま。東京都杉並区の名店「永福町大勝軒」を思い出した。美味だ。チャーシューも炙りチャーシューと燻製風チャーシューの合わせ技(違っていたらすみません)。これはそうとうレベルが高い、が、おっともう文字数いっぱい。今回はここまで。ラーメン談義はまた改めて。
このコラムの著者
馬場一哉(BBK)
雑誌編集、ウェブ編集などの経歴を経て2011年来豪。14年1月から「Nichigo Press」編集長に。21年9月、同メディア・新運営会社「Nichigo Press Media Group」代表取締役社長に就任。バスケ、スキー、サーフィン、筋子を愛し、常にネタ探しに奔走する根っからの編集記者(だったが、現在は会社経営に追われている)。趣味ダイエット、特技リバウンド。料理、読書、晩酌好きのじじい気質。二児の父
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