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オーストラリアの田舎で暮らせば⑪移住後の生活コストの変化

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 シドニーからサウス・コースト地方へ移住したことで変化したライフスタイルは、日々の生活コストにも影響を与えている。お金の使い方が変わった背景にあるのは、田舎ならではの立地条件や人付き合いの習慣だ。カフェで買うコーヒー1杯にも物価の高騰が反映される今、生活コストという視点からオーストラリアの田舎暮らしを俯瞰してみたい。(文・写真:七井マリ)

都会を離れ、増えたものと減ったもの

家の近くの木に止まるオーストラリアン・キング・パロット(和名:キンショウジョウインコ)

 シドニーの都市圏からサウス・コースト地方の田舎町に引っ越して以来、玄関の扉を開ければそこに木漏れ日があり、野生のオウムやカンガルーが見える。彼らの咀嚼音まではっきり聞こえ、文字通り手が届きそうな距離だ。洗濯物を干しに外に出ると濃い緑のにおいがして、樹上から木の実が落ちる音がする。

 毎日の生活が自然の中なので、休暇に水や緑を求めて遠方まで出掛けたい気持ちがなくなり、キャンプや山歩きなどの行楽に掛ける時間とお金は減った。代わりに外で陽を浴びて過ごす時間が増え、緑ばかり見ているためか近視が若干改善した気がする。違う景色を眺めたくなったら、観光地として知られるビーチや広大な国立公園も近場にある。

 日常生活のコストも、都市圏での暮らしと同じではない。サウス・コースト地方の住まいの賃料は総じて、シドニーの都市圏より2~4割ほど低い印象だ。上下水道のないエリアなら、雨水をろ過して使う仕組みなので水道料金は掛からない。

 ただし公共交通や周辺環境の利便性については比べるまでもなく、田舎の生活の方が車で走る距離が長い分だけ燃料費はかさむ。オーストラリアでは前政権による化石燃料産業の保護政策で電気自動車の普及が著しく出遅れたが、現政権になって変化の兆しが見えている。電気自動車と太陽光などの自家発電が共に普及すれば、田舎暮らしのランニング・コストは更に手頃になるだろう。

出来合いの食事までの距離

焼き菓子を作る頻度が上がったのは、徒歩圏内にカフェのない田舎暮らしになってからだ

 シドニーの暮らしでは仕事や散歩のついでに1杯のコーヒーを買うことが習慣化し、カフェのスイーツやランチを食べる機会も多かった。帰りにパン屋や雑貨店にもふらりと立ち寄り、必要とも不要ともつかない物に何気なくお金を使っていたように思う。

 しかし、今住んでいるのはシドニーから車で約3時間の田舎町。徒歩圏内にカフェもコンビニエンス・ストアもないため、習慣化していた出費は自ずと消えた。カフェで4ドルのカプチーノと7ドルのバナナ・ブレッドを買う代わりに、家でコーヒーや紅茶を淹れて作り置きのマフィンやクッキーを頬張る。わざわざ遠くの店まで出掛けるより楽である上、コストの差も歴然だ。窓から見える緑が、ゆったりとした時間を提供してくれる。

 食品や日用品は、車で数十分の市街地まで出て1~2週間分をまとめ買いする。オーストラリアでは都市部でもこうしたまとめ買いの習慣が一般的だが、田舎ではスーパーマーケットまでの距離を考えるとなおさら頻繁に買い物に行く理由がない。日持ちする食材をやや多めにストックするようになったのも1つの変化だ。万が一、災害や倒木で道路が寸断された時のための備えにもなる。

 飲食店から温かい食事を届けてくれるフード・デリバリーのサービスについては、距離ゆえにここは圏外だ。よって、どうにも料理をする気分ではない夜の選択肢は、車を飛ばして食べに出掛けるか、何とかキッチンに立つ気力を奮い起こすかの2つ。我が家で後者が選ばれ続けているのは、潤沢な食材のストックと、レストランに辿り着くより料理する方が早いという事実のせいだ。出来合いの食事に掛けるコストは期せずして抑えられている。

不確実な野菜と卵の収穫

陽が射す方向に傾いて生えている白菜。成長が遅く、なかなか結球しない

 半自給自足の足元にも及ばないが、家庭菜園は多少なりとも食卓に貢献している。冷蔵庫に野菜がないと気付いた時に菜園に直行するのは、買い物に行くより効率も良い。園芸資材や種に少額の費用は掛かっても、栽培が簡単かつ環境に適した品種なら投資を上回るリターンがある。

 ただ、家庭菜園の初心者ゆえの収穫の不確実性は否めない。夏に日当たりが良かったガーデン・ベッドの冬の日照時間の短さに気付いたのは、種まきや苗の定植を終えた後だった。かわいそうなラディッシュと白菜は限られた日光を糧に辛うじて生き延びているが、前を通るたびに不満の声が聞こえる気がする。順調に育っている野菜もあるものの、来年は冬専用のガーデン・ベッドかプランターを検討した方が良いだろう。

 菜園の周りで飼っているニワトリのうち、1羽は全く卵を産まないが、もう1羽は週5個のペースで産卵中だ。オーストラリアのスーパーマーケットでは平飼いに似たフリーレンジの卵が1ダースで5~8ドル、オーガニックの卵なら8~10ドル。相場に照らし合わせると、我が家では2羽分の飼料の値段を差し引いてもプラスになっている。卵のお礼におやつ代わりの穀類を多めに与えると、もっと感謝せよとばかりに催促が激しい。2羽とも名前を付けてあり、肉として食べる予定はない。

お裾分けのカルチャーは続く

グレープフルーツを使った自家製マーマレードは好みのほろ苦さに仕上がった

 貨幣を伴わない物のやりとりが多いのも、田舎暮らしの特徴かもしれない。シドニー時代にも友人宅の庭で採れた果物をもらったり、バルコニーで育てたハーブをあげたりする機会はあった。とはいえ、現在の暮らしではその頻度と量が格段に多い。

 家庭菜園の話をしていたら隣人がチャイブを株ごと譲ってくれ、飼っている馬の世話を手伝えば堆肥にする馬糞や藁を分けてもらい、お返しにと我が家で採れたキュウリを持って行った帰りに果樹園のプラムを採っていいよと言われる。日頃からのつながりが、余剰をシェアするプラットフォームだ。

 柑橘の旬の時期には、ある人からグレープフルーツとユズを、別の人からはレモンとオレンジを大量にもらった。近隣の庭で育った新鮮な果実が一堂に会し、買い物に行かずしてキッチンが華やぐ。生食やジュースで消費しきれない分は焼き菓子や保存食作りに使う。

 3キロあったグレープフルーツは皮と実を分けて下処理し、砂糖とレモン汁と一緒に煮てマーマレードにした。果肉を切るときの目が覚めるような酸っぱいみずみずしさから、鍋をかき混ぜて立ち上る甘くほろ苦い香りまで、数時間のうちの変化が面白い。初めてだったが思いの外うまく大量にできたので隣人にお裾分けした。人件費に目をつぶれば、効率の良い量産だったと言えるだろう。

 生活コストの変動を目算もせずに決めた地方移住だったが、かくしてライフスタイルや習慣の違いがもたらすものの大きさを改めて考えさせられている。特に毎日の食を取り巻く環境の変わりようは顕著だ。既存の商流に頼りきらない暮らし方を学ぶことには、自立という言葉の意味の広がりを体感するような楽しさもある。

著者

七井マリ
フリーランスライター、エッセイスト。2013年よりオーストラリア在住





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