職場や学校、近所付き合いなどの人間関係の中で言いたいことを我慢する場面は少なくありません。言いたいことを言わなかったという経験が続くと、次第にさまざまな思いが湧いてきます。「私は悪くないのに」「どうして私ばかり我慢しなくてはならないの?」、そのような思いがとめどなく湧き続けているなら、もうそれは「被害者ループ」に入ってしまっているかもしれません。そうなってしまうと、自分が被害者だということを周りに分かって欲しい、認めて欲しいという気持ちでいっぱいになるので、それをアピールする行動を取ってしまいます。そしていつしか「他人のあら探し」が始まってしまうのです。
多様な人間関係の中で「他人のあら探し」を無意識にするようになってしまうと、「私は頑張っているのに周りはひどい人ばかりだ」という気持ちになり、周囲の人を信用できない、敵だらけだ、という状況を自分で作り上げていってしまいます。自分で作り出した被害者意識によって人間関係の負のスパイラルを生み出してしまっているのです。
確かにこの世は不条理なことばかりで、差別も不公平もなくなることはありません。自分の置かれている不利益な立場や今後の見通しを考えるとイライラするでしょう。悲観的になる気持ちも分かります。しかし、ここで被害者ループに入ってしまうといつまでも苦しむことになり、自分にとってマイナスでしかありません。
そのような時、ぜひ試して欲しいことがあります。例えば電車で席を譲ること、道に落ちているゴミを拾うこと。いわゆる「一日一善」を実行するのです。イライラや悲観は被害者の感情ですから、被害者らしくない行いをすることで、そこから脱することが可能になります。見知らぬ人に親切にする行為の良い点は、自分の良心や親切心に気付けるところです。自らの意思で善をなし、幸せな何かを生み出すことができるというすばらしい気付きです。
小さくとも、自分が動くことでこの世界に美しさをもたらしたという喜びを得ることができ、心が満たされます。
こうした行為は、身近な人に対して応用していくことができます。身近な人の場合、どうしても見返りを求めがちですが、見知らぬ人同様に、見返りを求めずに与えるという行為を重ねていくと、自分が作った良い空気が次第に周りに伝わっていくという幸せを体験することができるでしょう。被害者ループから脱却すれば、幸せを運ぶ救世主にさえなれるのです。
このコラムの著者
教育専門家 福島 摂子
教育相談及び、海外帰国子女指導を主に手掛ける。1992年に来豪。社会に奉仕する創造的な人間を育てることを使命とした私塾『福島塾』を開き、シドニーを中心に指導を行う。2005年より拠点を日本へ移し、広く国内外の教育指導を行い、オーストラリア在住者への情報提供やカウンセリング指導も継続中