ラテン語に「メメント・モリ」という言葉があります。「いつか自分に訪れる死を忘れるな」という人間への戒いましめであり、今日の繁栄も明日はどうなるか分からないと知っておくことが大事だと教えています。日本でも、平家物語の冒頭の一節に「盛者必衰の理」があります。どんなに勢いが盛んな者でも必ず衰えるという道理を表しています。この世の全ての現象は絶えず変化し、繁栄は永遠には続かず、いずれ滅びるのが自然の理であることを意味しています。
しかし現実には、元気はつらつと暮らせている間は自分の命が有限であることを忘れがちです。それは東西問わずいつの時代も変わりません。肉体という器が1つしか与えられていないことが、有限の命の所ゆえん以でありながら、その体に宿る精神により、終わりを意識せずに暮らす一因になっています。
小学生や中学生だったころ、先生や親の世代、時にはそれほど歳が変わらない先輩でさえ、幼い自分とは隔絶した「大人」という感覚があったのではないでしょうか。ところが時が経ち、自分がいざその年齢になってみると、中身の精神性に大した変わりがないことに情けなさを感じたり、苦笑してしまうような感覚を抱くことがあります。
おそらく客観的に見れば外見が年を経て変わっているのと同じように中身もまた変わっている部分があるでしょう。しかし、本人にしてみれば、自分という存在がずっと変わらないように感じられるというのは誰しも同じなのかもしれません。人生を通じて幼いころから今までの自分について一貫してずっと同じ「自分」であると感じられる自己同一性の感覚というのは、人間が生きていく上で必要なのだろうと思います。しかし、この自己同一性の感覚があるせいか、私たちはいつも自分の人生がまだ随分先まで続いていくものだと何となく感じてしまっている部分があるのではないでしょうか。
命には終わりがあります。分かってはいても、自分がいつか死ぬということは受け入れがたいものです。しかし、あと何年生きられるのか、時折客観的に考えてみることは良いことかもしれません。自分に残された時間を具体的に想定してみると、自分の限りある人生について、より現実味を持って感じられるのではないでしょうか。天災や病、老いに苦しむ日々が少なからずあるでしょう。たくさんの別れもあるでしょう。それでも、ほんのひと時の楽しみや美しい景色を喜ぶ心を頂いたことをうれしく思い、感謝して生きることができれば幸いです。
このコラムの著者
教育専門家 福島 摂子
教育相談及び、海外帰国子女指導を主に手掛ける。1992年に来豪。社会に奉仕する創造的な人間を育てることを使命とした私塾『福島塾』を開き、シドニーを中心に指導を行う。2005年より拠点を日本へ移し、広く国内外の教育指導を行い、オーストラリア在住者への情報提供やカウンセリング指導も継続中