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弁護士から人気タレントへの転身 華麗なキャリアのルーツは訪日に─対談 アダム・リアウ X 作野善教

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【第24回】最先端ビジネス対談

 日系のクロス・カルチャー·マーケティング会社doq®の創業者として数々のビジネス・シーンで活躍、日豪プレスのチェア・パーソンも務める作野善教が、日豪関係のキー・パーソンとビジネスをテーマに対談を行う本連載。今回は、料理本の著述やテレビ番組への出演、ユニセフ・オーストラリアの栄養親善大使や、日本政府の「日本食親善大使」など活動の舞台を広げるオーストラリア料理界のスター、アダム・リアウ氏にご登場願った。

(撮影:クラークさと子

PROFILE

Adam Liaw(アダム・リアウ)
法律事務所勤務を経て、2004年ウォルト・ディズニー・ジャパン入社。10年「マスターシェフ・オーストラリア」セカンド・シーズン優勝。伝統的な日本料理を家庭で簡単に作るレシピを紹介した「ゼン・キッチン」(Zen Kitchen=16年)など書籍を多数出版。12年プレゼンターを務めるSBSの料理旅行番組「デスティネーション・フレイバー」放映開始。ソーシャル・メディアでの影響力も大きい

PROFILE

作野善教(さくのよしのり)
doq®創業者・グループ·マネージング・ディレクター。米国広告代理店レオバーネットでAPAC及び欧米市場での経験を経て、2009年にdoq®を設立。NSW大学AGSMでMBA、Hyper Island SingaporeでDigital Media Managementの修士号を取得。移民創業者を称える「エスニック·ビジネスアワード」ファイナリスト、2021年NSW州エキスポート・アワード・クリエティブ産業部門最優秀企業賞を獲得


作野:アダムさんは日本在住経験がありますが、オーストラリアから日本に移住しようと思われたきっかけは何だったのでしょうか?

リアウ:たまたまというのが正直なところです。当時、私はアデレードで弁護士として働いていたのですが、小さな都市でしたし、もっと世界を見てみたいと思ったのです。まだ22歳と若かったですが、そのくらいの年齢の時に、人は世界を探検したくなるのだと思います。そんな時に、ちょうどウォルト・ディズニーのロンドン支社で働いている友人から、東京支社で求人があることを教えてもらいました。採用担当者からは「弁護士なら世界中の誰もが就きたいと思う最高の仕事。就くのは難しい」と言われていましたが、1年近く努力を続け、最終的にはすばらしいオファーをもらいました。

作野:それまでに、例えば日本語の授業を受けるなど、日本との接点はありましたか?

リアウ:いいえ、私はそれまで日本に行ったことすらなく、「ありがとう」や「こんにちは」も言えませんでした。ですから、その仕事を得たこと自体が私の人生における、大きな転機となりました。東京には約8年間滞在し、自分のキャリアにとってすばらしい経験を積むことができましたが、オーストラリアに戻る際、改めて自分のやりたいことを見直そうと考えました。その段階で弁護士として約12年間のキャリアを積んでいましたし、通常であれば、新しい仕事を確保してから帰国すると思いますが、私は少し休むことにしたのです。


作野:ちょうど30歳くらいのころですか?

リアウ:そうです。その期間中、私は『MasterChef』に出演したのですが、その番組自体について、詳
しくは知りませんでした。ただ、もともと料理が好きだったことと、ディズニーと仕事をしていたことから、テレビ撮影のプロセスを少し知っていたので、すんなり溶け込めました。『MasterChef』の後、SBSは日本に関するシリーズを作りたいと考えていたようで、私にオファーがありました。そこでできたのが『Destination Flavour Japan』という旅番組です。その後オーストラリア、ニュージーランド、シンガポール、スカンジナビア、中国など、他の国のシリーズも始まり、長い時間を掛けて世界中を旅して回りましたが、これはすばらしい経験でした。

趣味を人生のキャリアにした要因はタイミング

作野:弁護士として働きながら日本で暮らし、日本文化を学び、そして料理へと情熱を傾ける。その点と点のつながりは興味深いですね。

リアウ:そうしなければならなかったからだと思います。ほとんどの人は、料理を習おうとはあまり考えません。なぜなら、実際、自分が食べて育ってきた食事なら簡単に作れますから。しかし、日本に行った時は事情が違いました。スーパーマーケットの食材も違いますし、オーストラリアで作っていたものと同じものを作ることができず、違う料理の仕方を学ばなければなりませんでした。新しいことを学ばねばならなくなった結果、スキルとして身に付いたというわけです。

作野:多くの人が、趣味を趣味のままで終わらせてしまい、それをプロフェッショナルなキャリアにはしません。アダムさんがそれを人生のキャリアにした要因は何だったのですか?

リアウ:趣味を仕事にしようと思った時に一番問題になるのは、経済的な安定です。例えば裁縫が好きでも一般的には弁護士になった方が稼げるからそちらを選ぶわけですが、それはとてもつまらないことです。私は30歳の時に転職をしましたが、普通は人生の転機となるような時期には責任も出てくるし、大きなリスクを背負うような決断はできないと思います。それでも最近は、資格やマイクロクレデンシャルの取得など、新しいことへの挑戦のリスクはずっと小さくなっていますし、特にオーストラリアでは、キャリアを変えることは普通になっています。ただ、私の場合、『Destination Flavour』を作った時、妻の麻美が息子のクリストファーを妊娠していたので、その時期が1年違ったら、転職することはできなかったかもしれません。子どもたちの養育費を始め、いろいろなものを背負わなければなりませんから。その意味で『Destination Flavour Japan』シリーズは、私にとっては理想的なタイミングだったと思います。

作野:なるほど。それで稼げるかどうかは関係なく、やりたかったことに純粋に集中することができたんですね。

リアウ:ええ、たまたま、ちょうどいいタイミングだったんです。最初のテレビ・シリーズでは大きな稼ぎを得ることはできませんでしたが、重要なのはそのような変化のためには計画を立てなければならないということです。物事は全てとんとん拍子に進むわけではありません。私がチャンスを生かすことができたのは、基本的に1年間は弁護士として働かないという計画を立てていたからです。

作野:2010年にアダムさんが『MasterChef』シリーズ2に出演していた時のことは今でも覚えています。番組の中では、弁護士としてのキャリアをストップし、コンテストに出場するようになったというように紹介されていました。当時、私の会社は2年目で、儲けがなく苦労していました。そんな中、いくつかの仕事のチャンスが訪れ、それを受けるべきか、それともこの会社をあきらめるべきか悩んでいたのです。そんな時、テレビでアダムさんを見ました。情熱のために進むことを決意している姿を見ることで、私にインスピレーションを与えてくれました。感謝したいです。


リアウ:いえいえ、どういたしまして。

作野:あの番組でたくさんの人にインスピレーションを与えたと思いますし、私はそのおかげで「doq®」を続けることを決意しました。

リアウ:それは本当に良かったと思います。努力しなければ、そしてチャンスを生かすための体制を整えていなければ、それはただの情熱にとどまってしまいます。

困難な時期を経て旅行番組の構築を再開

作野:毎日のようにテレビでお見掛けしますが、れまでテレビ出演してきた中で、最も困難だったことは何ですか?

リアウ:やはりCOVID-19だと思います。10年間、旅番組を作ることに人生を費やしていましたし、料理をしたり食べたりするために世界中を旅することが私の仕事だったからです。2020年当時、将来に向けて3つの番組を計画しており、9カ月間海外で撮影をする予定だったのですが、2週間もしないうちに全てがなくなってしまいました。自営業の場合は1~2年先まで仕事の見通しを立てるものですが、それができなかったので、強いストレスを感じていたのを覚えています。

作野:誰も予想できなかったことですよね。

リアウ:その通りです。自分のやることを大きく変えなければなりませんでした。そこで、新たに制作会社を立ち上げ、番組のスタイルを旅番組からスタジオ番組へと変え、今では『The Cook Up』という番組で600エピソード作りました。現在、作野さんがdoq®において旅行産業のビジネスを再構築しているように、私も旅行番組の構築を再開しているところです。

作野:困難な時期をチャンスに変えたというのはdoq®も同じです。観光業のクライアントはかなり多かったのですが、突然ほぼゼロになりました。当時、従業員は18人ほどおり、給与を払い続ける必要がありました。そこで私たちはすぐに非観光業のクライアントにシフトしました。そのため、現在では観光業のクライアントが戻ってきただけではなく、非観光業のクライアントも獲得しています。

多文化主義について学ぶことの必要性

作野:日本とオーストラリア、あるいはこれまで関わった他の国々とのビジネス文化の違いについて、どのような視点をお持ちですか?

リアウ:オーストラリアはイノベーションに非常に寛容な文化だと考えています。アイデアの多様性にも寛容です。一方、日本は、保守的なビジネス・モデルを重視する傾向が大きいと思います。多くの日本企業が持つ厳格な階層構造が、イノベーションを少し難しくしているかもしれません。

作野:イノベーションがいたるところで起きていている今の時期、日本人はそのイノベーションに適応し、対処するのに苦労しているということですね。

リアウ:そうですね、そこには経済的な側面も含まれます。経済的な困難に直面してしまうと、イノベーションを主張することも難しくなります。これは日本に古くからある問題ですね。



作野:日本が人口減少と高齢化社会、特に今後20~30年で経済的労働力の喪失という問題を抱えていることはご存知だと思います。日本経済を考えるなら、日本で外国人労働者を雇用できることが解決策の1つになるでしょうが、もし日本がそ方向に進むとしたら、どんな問題があり、それにどのように対処できると思いますか?

リアウ:人口密度の問題があります。仕事がある場所は、人口密度が非常に高い一方、農村地域など人口密度の低い地域には仕事が少ない。これはオーストラリアにとっても同様の難題です。また、移民労働者の受け入れに関する文化的な課題もあります。熟練した移民労働者がその国で生まれた労働者と同じようにに働く権利を得られるかどうか。果たして権力のある地位に昇進できるのか。できたとして、それが会社内の他の人びとにどのような感想を抱かせるのか。もしかしたら外国人嫌悪が出てくるかもしれません。日本はまだ多文化国家ではありませんし、多文化主義について学ぶことは、多文化国となる全ての国が経験しなければならないものです。

 オーストラリアは非常に成功した多文化国家だと思いますが、多文化主義の受け入れ方にはまだ多くの課題があります。将来的に日本も同様の課題に対処する必要がありますが、私は日本はこれらの課題をうまく克服できると考えています。歴史的に見ても、日本は開国時、軍事的にも教育的にもそして技術的にも、世界の中ではるかに遅れていました。当時、ロシア海軍は世界で最も強力な海軍でしたが、開国してから10年、20年、50年とそれぞれの段階を経て、日本はロシア海軍を打ち負かすほどに成長しました。日本は歴史上、実際にはどの国よりも迅速に技術システムや教育システムを近代化し、その結果として巨大な成功を収めた能力を持っています。日本は保守的で動きが遅いとされていますが、実際、早さが求められる時、日本は非常に早く動くことができます。

作野:どんな困難も未来へのチャンスなので、日本もこれを大きな変化のチャンスとして捉えて欲しいと思います。

機会を活かすために柔軟でいることが重要

作野:アダムさんの将来のビジョンなどありましたらお聞かせください。

リアウ:新しいキャリアに挑戦し15年近く経った今では、自分の能力に自信が付き、時間さえあれば、望むことのほとんどは実現できることを知りました。私のキャリアには、今も発展段階の分野が多々ありますが、重要なのは機会を活かすために柔軟でいることだと思います。テレビ・プレゼンターになった最初にして唯一のきっかけとなった出来事は、弁護士として日本に移住したことです。私が日本に住んでいなかったら、日本に関するテレビ番組のプレゼンターになることはなかったでしょう。当時私は、ジェネラリストであることを「良し」としていませんでした。アジア系の家庭では音楽にせよ、スポーツにせよ、得意なものがあればそれを上達させることが求められますから。そして私はほとんどのことを平均より少し上くらいでしかこなせませんでした。ただ、自分のキャリアを見つめ直すと「ああ、そういうことか」と合点がいきます。私はさまざまな違うことが好きなので、「一生涯にわたってプレゼンターになる、あるいは料理人になる」と決めることはないでしょう。自分が弁護士だとか、テレビ・プレゼンターだとか、料理人だとか考えていないことで、新しい機会をうまく利用することができると思うのです。

作野:アダムさんにとって、理想の人生、夢とはどのようなものですか?

リアウ:それはあまり定義したくありません。自分が誰であるかを定義することなく、楽しいことをできる自分でありたいと思っています。私にとって最も怖いことは、歳を重ねても引退できない状況に陥ることですが、強いて夢を語るとすれば、私がやっている多くがそれぞれ高いレベルに到達することで、私の肩書が1つに定義されないことかなと思います。

作野:最後に、日豪間のキャリア形成について日豪プレスの読者にアドバイスをお願いします。

リアウ:自分のキャリアに関連しないことにも恐れず取り組んでください。一般的に多くの人は既存のキャリアを発展させようとする傾向があります。しかし、私の多くのキャリアはその時取り組んでいた仕事とは何の関係もないと思われるようなところから生まれています。核となるキャリアに依存せず、できるだけ多くのことにチャレンジすることができれば、それが良い結果につながると思います。

作野:ありがとうございました。

(11月15日、シドニーで)

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