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かりそめのエース、そしてすべての道はスラムダンクへ─シドニー日本人会ソフトボール大会/ 帰ってきたBBKコラム 、子育てパパ奮闘編(?)

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試合後、優勝カップと共に(アリサは就寝中のためいない)

 シドニー中の日系ソフトボールチームが、聖地セントアイビス(シドニー北郊)のグラウンドに結集し、血で血を洗う熱戦を繰り広げる伝統的大会「シドニー日本人会ソフトボール大会」。その決勝の舞台のマウンドに、BBK(筆者)は立っていた。優勝候補の一角、古豪ブラックパンサーズ(在シドニー日本国総領事館を主軸とした格式あるチーム。以下、ブラパン)の先発ピッチャーとしてだ。

 同大会は、数十年前、シドニーで働く日本人日系人の親睦を目的に始まったものだが、近年「親睦」の名は形骸化、今では引き抜きや経験者のスカウトをはじめとしたロビー活動も一部で横行するガチな大会へと変貌を遂げた。開会式では毎回、主催者の挨拶で「親睦」が強調されるが、それはもはやほぼネタとなっており、「親睦」の言葉が出るたび、会場は失笑に包まれる始末である(※)。

(※)あくまで筆者の思い込みである。実際には親睦を目的にわいわい楽しんでいるチームも数多くあることを、主催者に怒られる前に、先手を打って注記しておく

 2023年11月12日に開催された第89回大会、ブラパンは4試合を戦い抜き決勝戦に駒を進めていた。接戦の末の逆転ゲームなど、1つとして楽な試合はなかった。それだけに決勝の舞台にたどり着いたチームの士気は一様に高く、しかし、その中にあってBBKはまさかの大役に震えていたのである。武者震いではない。極度の緊張ゆえだ。

 この日、BBKは予選リーグの1戦目と準々決勝の2試合で先発登板。大きな失点なしの無難な投球、打撃面でも珍しくヒットを放つなど、多少はチームに貢献できたかな、とほっと胸を撫で下ろしている最中、決勝のスタメン発表でキャプテンがこう口にしたのである。

 「決勝戦の先発はうちのエースBBKでいく」

コロナ禍における秘密の特訓

 僕がブラパンに入ったのは、6〜7年ほど前、飲み友達であった現キャプテンに誘われ、ふらりと練習会に顔を出したことに端を発する。

 大会前には毎週末練習会が行われ、可能な限り参加したが、初めて迎えた大会、僕には出場機会が与えられなかった。その後も、勝っている試合にスポットで出場することはあったが、数年を経て基本的には飲み会要員としてのポジションをしっかりと確立していくこととなった。仲間も増え、楽しい時間を過ごしてはいたものの肝心のソフトボールではほとんど何の役にも立たない自身に忸怩(じくじ)たる思いもまた抱いていた。

 しかし、転機が訪れる。コロナ禍で人も減っていく中、ピッチャーが足りない状況に陥り、急きょキャプテンからオファーがあったのだ。

 「BBKさん、投げてみます?」

 最初は冗談半分だったのだろう。しかし、僕はそれを真に受けた。コロナ禍でのロックダウン中、日々公園に足を運び、ピッチング練習に励んだ。辛くはなかった。「期待されるのは初めてだったから(人気漫画『スラムダンク』より)」。

 スポーツでパフォーマンスを出すためには相応の時間と覚悟、そして何より肉体の鍛錬が必要だ。その観点から言えば、ソフトボールのピッチャーとして、ウィンドミル投法を身に付け、速球とチェンジアップを駆使して打者を打ち取る、といったような分かりやすいパフォーマンスを、未経験のアラフィフおじさんが短期間で身に付けられるはずがない。そこで、僕は長年養ってきた「編集者の目」を武器にしようと考えた。いや、冗談ではなく……。

 編集者記者の大きな仕事の1つに「インタビュー」があるが、これは、技能としてのコミュニケーション能力が求められる、実はなかなか難しい仕事だ。相手のキャラクター、思考パターンを推測しながら質問を投げ、その上で欲しい回答を得る。そのためには観察眼が必要となるが、職業柄僕はそれを得意としている。つまり、その「目」を投球にも活かせるのではないかと考えたわけだ。いや、冗談ではなく……。

 そこで立てた具体的な仮説は、この打者はこの辺に投げると手を出してくるとか、何となく観察推測しながら、手を出しそうなところから少しポイントをずらしたところに投げれば打ち取れる、というものだ。そこで僕は、当てにならない球威の追求などは捨て、狙ったところに投げる制球力を重視しての反復練習を繰り返し、何とかブラパンのピッチャーとしてのポジションを確立したのである。

チームで勝ち取った勝利

 決勝戦のマウンドに立ち、僕は独りごちた。

 「そろそろ自分を信じていい頃だ」

 『スラムダンク』内、かつてバスケットボールで中学MVPの称号を手にしたものの、ブランクによる体力不足に悩まされていた実力者三井寿に名監督・安西先生がつぶやいた言葉だ。大丈夫、たくさん練習したではないか。あの積み重ねた時間を信じよう。

 試合開始。1回表。

 第1球ボール。第2球ボール。第3球ボール、第4球ボール。これ以上書く必要はないだろう。僕の手首はまるで「イップス」のように固まり、制球が定まらず、四球を繰り返し、立て続けにランナー2人を塁に送り出してしまった。止むを得ず、ふんわりと手投げし、打たれることを前提に頼りになる守備陣にすべてを任せた。そして何とか2アウトを取ったものの、首脳陣は「だめだこりゃ」と判断。まさかの1回の表で降板する運びとなったのである。これが今回の僕のストーリーの終焉だ。現実は漫画のようにはいかない。

 かりそめのエースの座を降り、僕は今大会史上最速(おそらく)の球速を誇る新人ピッチャーT君、すなわち真のエースにマウンドを明け渡したのである。悔しくないわけがない。だが、一方でこうも思ったのだ。

 「俺は勝てなかった。だがブラパンは負けんぞ」(スラムダンク風)

 T君の快投、そして攻撃陣の活躍により、ブラパンは見事、2年ぶりに優勝を果たした。チーム全員で勝ち取った勝利、その晩、祝勝会であおったビールの味は格別だったが、自身のパフォーマンスには大きな課題を感じていた。不甲斐ない投球内容を隣にいたチームメイト・ハッスル氏にぼやくと彼はこう答えた。

 「BBKさんが汚れ役になったからこそ、T君の速球が活きたんです」

 なるほど、汚れ役。

 再びあの漫画の名台詞が頭に浮かぶ。

 「俺はチームの主役じゃなくていい」

 見てたか、子どもらよ。主役になるだけが人生じゃない。パパは立派に汚れ役をこなしたぞ。僕の「夏」はこうして終わりを迎えたのである。

(追伸)日本人会ソフトボール大会は5月、11月に行われているが、5月は毎年「母の日」とかぶる。そしてこの日、多くのお母さんたちが弁当作りや子どもの世話に朝から追われ、多忙を極めることになる。せめて1週ずれていれば、と思うのだがいかがだろう。

このコラムの著者

馬場一哉(BBK)

雑誌編集、ウェブ編集者などの経歴を経て2011年来豪。「Nichigo Press」編集長などの経歴を経て21年9月、同メディア・新運営会社「Nichigo Press Media Group」代表取締役社長に就任。バスケ、スキー、サーフィン、筋子を愛し、常にネタ探しに奔走する根っからの編集記者。趣味ダイエット、特技リバウンド。料理、読書、晩酌好きのじじい気質。ラーメンはスープから作る。二児の父





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