私は2017年からこの場を借りて、海外の日本料理人から見た60年をコラムとして連載させて頂きました。いつの世も変化とチャレンジの連続で、その間、海外での日本食材の普及は進み、これからの未来も可能性に満ちています。
その日本食材が広まった時代に、いろいろな人に出会うことができ、オーストラリアにおける日本食文化の広がりに関われたことは、私の人生において大きな喜びです。この2、3年で、古くから共にその変化を共有してきた方々がこの世を去られました。昨年は、日本食品小売店「東京マート」の創立者、舟山精二郎さんが92歳という人生をまっとうされました。我々は共に、オーストラリアにおける日本食の普及を願い、その成長を楽しみにしてきました。
また、欧州、アジア諸国、北米、南米など日本食の普及は広範囲にわたり、日本食業界は成長を遂げました。それぞれの文化圏、民族の食へのこだわりが日本食材と融合し、新たに「モダン・ジャパニーズ」「フュージョン・ジャパニーズ」というカテゴリーが形成されていったことも見守ってきました。
そんな時の流れの中で、確実に後継者が育ち、若い方々の活躍を見聞きするようになり、日本食業界が更に進化を続ける新しい時代に、私は期待に胸を膨らませています。
昨今は、「OMAKASE料理」という形態の、シェフの手腕が試されるサービス・メニューが注目され、料理人たち1人ひとりが腕を競い合っています。優秀な日本人シェフはますます増えており、将来が楽しみです。
そして彼らの中に、更に奥の深い食材の発掘を豪州国内に求めるだけでなく、日本の全土にわたる郷土料理を食材と共に紹介し、現地における料理人たちがこの土地や社会に合った料理法を創り上げて行くことでしょう。そしてそこに新しいメニューの開発が加わり、日本食文化の秘めた力が生活に潤いを与え、幸せな食卓へと導いてくれると確信しています。
また、気になるのが、AIがもたらす恩恵と弊害について語られる昨今の記事です。飲食業界においても、ロボットによるサービスが登場したり、IT化やシステム化が進み、サービスが多様化したり、向上していくことを実感します。その反面、2024年の食品衛生法改正にあたり、日本において駅の道などで販売されていた手作りの漬物などの販売継続が困難になっているというニュースを聞くと、食の多様性が狭まる危機感を感じます。
音楽好きの娘によると、AIで生成されたクラシック音楽がYouTubeなど動画投稿サイトに上がっているらしいのですが、私には区別が付きません。しかし娘はAIが生成した音には味気がなく、違和感があると指摘しています。
「音」と「食」では、対象が異なるかもしれませんが、正しい音程で作られた曲、衛生基準法で管理された食品は手軽で安全ですが、感覚、感性という面では、人の作る微妙に人間らしい「音」や、食材の「味付け」、多様性のある文化を経験する機会が削がれる気がしています。
最後に、「Oxford Dictionary」にも掲載された「IKIGAI(a reason for living) 、生きがい」という言葉を書き残したいと思います。
人それぞれ「IKIGAI」は異なるでしょう。私は、日豪プレスという紙面をお借りして、これまで私の経験を連載を通じてお伝えさせて頂き、とても幸運だったと感謝しています。自身の過去を振り返り、縁があって出会った人たち、経験させてもらったこと1つひとつが、私のそれぞれの時代の「IKIGAI」となっていました。そして今も続いています。
「IKIGAI」は日本流に解釈すると「忙しくあり続ける喜び」だとか。私にぴったりでした。しかし、心身共に健康であり続けることが、人生において重要なことでもありますので、今後は少しゆったりと、「IKIGAI」のある人生を送れたらと願っています。
担当してくださった皆様、これまでコラムに目を通してくださった皆様、本当にありがとうございました。
このコラムの著者
出倉秀男(憲秀)
料理研究家。英文による日本料理の著者、Fine Arts of Japanese Cooking、Encyclopaedia of Japanese Cuisine、Japanese Cooking at Home, Essentially Japanese他著書多数。Japanese Functions of Sydney代表。Culinary Studio Dekura代表。外務省大臣賞、農林水産大臣賞受賞。シドニー四条真流師範、四條司家師範、四條司家公認天日大膳宗匠、全国技能士連盟師範、日本食普及親善大使。2021年春の叙勲で日本国より旭日双光章を受章