ブレイク・スルー × 日本女性
コロナ禍においてチャレンジを余儀なくされる人も多くいる昨今、中には目の前に立ちはだかった大きな壁を前に立ちすくんでしまっている人もいるのではないだろうか。そんな中、当地で活躍する日本人の明るいニュースもまた編集部には届けられている。本特集ではパフォーマーとして、トレーナーとして、コーチとして、それぞれ海外を舞台に困難の壁を打ち破り、遂には「全豪」を舞台に輝く3人の日本女性にフォーカス。彼女たちの強さの秘訣はどこにあるのだろうか。話を伺った。
(インタビュー:馬場一哉、写真:伊地知直緒人)
PROFILE
のもと りか
学生時代にチア・リーディング全国 大会準優勝他、上位入賞経験多数。2015年にシドニー・チアリーディング「SPRINGS」を立ち上げ、20 年には「ナショナル・グランド・チャ ンピオン」獲得。指導員資格IASF Cheerleading Credential Level 1。
Web: sydneycheersprings.wixsite.com/mysite
辛い時こそ笑顔でいること、努力する楽しさを
見出すことが大事だと思います
野元理香さん(シドニー・チアリーディング「SPRINGS」コーチ)
──ご自身が立ち上げたチアリーディング・チーム「スプリングス」を全国優勝に導くなど、躍進を続ける野元さんですが、チアリーディングとの出合いについて教えて下さい。
進学先の大学が日本一を獲得するようなチアの強豪校でした。「私には無縁」と思っていましたが、実際に新入生歓迎祭で見たチアの演技に圧倒され、「私もやってみたい」と思ったのがきっかけです。
──演技に圧倒されて「自分もやろう」と思う人と「すごいな」と思うだけの人に分かれると思いますが、なぜ自分もやってみようと決意されたんですか?
勢いもありますけど、どこの大学でもできるスポーツではないと思ったのが一番です。入学した大学でチアが盛んで、「自分の努力次第では全国レベルを狙える」。こういった環境にはなかなか出合えないと思いました。ただ、練習は本当に厳しく、憧れてチアを始めたものの途中で脱落していく部員も結構いました。部員は全学年合わせて100人近くいましたが、トップの選抜チームに抜擢されるのはたった16人という狭き門でした。
──一般的にチアと言うと、スポーツ応援というイメージがあります。競技のチアはそれらとは全く違うのですか?
私たちがやっていたのは競技チアリーディングというもので、応援をするのではなく、自分達が選手として自ら競技に参加するものでした。競技チアはタンブリング(体操)、人が人の上に乗るアクロバティックな技であるスタンツ(組体操の動き)、ダンスをミックスした競技です。オーストラリアはアメリカのルールに則り、スタンツ(組体操の動き)とタンブリング(体操技)は技の完成度や難易度、シンクロ性などが主に評価される他、全体のコレオグラフィやクリエイティビティ、ダンスの採点項目があります。2分30秒の競技時間の間、笑顔とエネルギッシュな動きで見ている人を楽しませることができているか、というパフォーマンス力も評価の対象となります。
──競技チアでは各個人の体力面はもちろん、チームワークが不可欠だと思いますが、優れたチームづくりに不可欠なのはどのようなことだと考えますか。
道具を使わずに人間が人間を持ち上げたり、受け止めたりするなど、常に命が関わってくる競
技ですから、自分の体を鍛えるだけでなく、そういった大変さを乗り越えるだけの精神面の強化が何より大事でした。また、1つの目標に向かって切磋琢磨しながらチームの皆と特別な信頼関係を築くことも非常に重要でしたね。誰か1人でも不安や悩みを抱えていると、チームの調和が乱れてパフォーマンスに響きますから、先輩・後輩関係なく常によく話し合い、お互いに思いを伝え合うことを大切にしていました。
──大学時代、幹部の1人としてチームを仕切っておられたと聞いていますが、チームをまとめるのに苦労された点はありますか?
強豪校ということもあり、個人個人が自らの責任をしっかり把握していたので、皆をまとめることにそれほど苦労はなかったです。ただ、自分が言っていることに説得力を持たせるには、チームの誰よりも努力して後輩たちにお手本を見せることが大事だと思っていたので、そこはかなり頑張りました。
──強豪校ゆえ部員のモチベーションも高かったと。しかし、一方で辞めていったメンバーもいたのですよね。
チアは人に元気を与えるスポーツですから、自分自身のモチベーションを保ち、困難な状況を楽しむスピリットがないと、厳しい練習は乗り越えられないんです。よって、そのプロセスを楽しめないと辛いだけになってしまいますよね。
──演技構成では基本の技に創造性や独創性を加えていくことが求められると推察しますがそこもセンスが問われる部分だったのでは。
構成を考えたり、独創的なものを作ったりするのは好きだったんですが、自分たちがそれをできるかはまた別問題でしたね。コーチもいなかったので、構成も自分たちで一から考えないといけなかったですし。日本ではレベル別にディビジョンが細かく分かれておらず、上位に入るためには、難易度の高い技を入れることが求められていたので、学生時代はいかに大技を組み込むかに注力していたように感じます。独創性を追求するという点では、アメリカのルールの方が流動的な展開が求められるので、今のほうが楽しめています。
──コーチがいなかったと仰いましたが、名門校には名コーチがつきものですよね。強豪校にも関わらずコーチがいなかったということは、伝統的に先輩が後輩にチアを教えていたのですか?
そうです。先輩が後輩に教えたり、チアが得意な子が教えたりといった感じです。自分たちで考えながら練習をし、自ずと自主性も養われたので、当時の経験が今ものすごく役に立っています。今はコーチをつけている学校も多いですけど、私の母校には未だにコーチはいないはずです。ただ、大学では記録を残すこと以上に、皆で苦労して何かを作り上げていく、どんなパフォーマンスが皆さんに喜んでもらえるかを考えながら試行錯誤し、そこでうまくいくこと、いかないことを経験することが最も価値があることだなと今になって思います。
会社員とチア選手、二足の草鞋
──競技チアに全力投球した大学時代でしたが、卒業後はどうされたのですか?
チアの経験を通じて人に役割を与えることで、今まで眠っていた能力が目覚める瞬間を何度も目の当たりにしました。人の個性を伸ばすことに興味があったので、創業者・松下幸之助氏の「人を育てる」という理念を掲げるパナソニック株式会社(旧・松下電器株式会社)に就職し、人材開発の業務を担当していました。
──仕事においても目指す方向は一貫していたわけですね。
そうだと思います。人が殻を破る瞬間には他人の力が必要だと思うので、そういった面では学生時代の経験を深掘りさせながら、業務を通じてたくさんのことを学ばせてもらいました。
──チア自体も続けられたそうですね。
社会人になってから1年間は会社の応援団に所属し、その後は競技の世界に戻りクラブチームで5年間やりました。本業を週5でこなしつつ、週末は朝から夕方までチアに没頭。どちらも中途半端にやりたくなかったので、精神力と体力はかなり鍛えられたと思います。また、チアの指導員資格を持っていたので、日本チアリーディング協会の安全講習会やサマーキャンプでインストラクターとして活動した他、会社を辞めてからは保育士の資格を取り、友人とチア教室を2校、個人で1つのチア教室を立ち上げました。
──保育士の資格はなぜ取得しようと思ったのですか?
子どもの能力開発を学びたいと思ったのがきっかけでしたね。成人してからの人材育成の難しさを経験すると共に、人間には「臨界期」があり、子ども時代にいかに能力を伸ばすことができるかに興味があったので、保育士の勉強をしました。
──なるほど、「成長」をキーワードにチアも仕事も続けて来られた。どの活動も根底には常に同じ志があったわけですね。
来豪後、「SPRINGS」立ち上げへ
──シドニーへは6年ほど前に来られたそうですね。
はい。夫が大学院で博士号を取るため、一緒にシドニーに来ました。ちょうど妊娠中で安定期に入っていた時期で、来豪から3カ月後に長男を出産しました。
──引っ越されたばかりで慣れない海外生活の中、いきなり出産はすごいですね。
そうですね。でも毎日が新しい発見の連続で楽しかったです(笑)。
──そんな中、チアの活動を再開されました。
息子が生まれて半年経った頃、大学時代の先輩が役員をしていたJCS日本語学校シティ校で、児童・生徒向けに1学期だけチアを教えることになりました。これをきっかけに、補習校の枠を越えシドニーにいる日本人・日系人の子どもたちにもチアを教えたいと思うようになり、徐々に範囲を広げていきました。
──そして、「SPRINGS」を立ち上げられたわけですね。名前の由来は何ですか?
「湧き水」と「バネ」です。子どもたちのピュアな姿と、日本にいる子たちとはまた違う力強さを感じ、スプリングスと命名しました。
──スプリングスを立ち上げる時に込めた思いや理念を教えてください。
子どもたちにさまざまな経験を与えることで、協力することや自分を表現することの大切さを学んでほしいという願いと共に「チアを通じて人間力を育てること、コミュニティーへ貢献すること」を理念としました。常に大人になった時のことを考えて、子どもたちが今必要としている経験を与えるよう努めてきました。人は大人になるにつれ、新しく何かに挑戦することが怖くなってしまうものです。でも、子どものうちにたくさん経験を積んでおけば、失敗を恐れずに強く生きていけるようになるのではないでしょうか。そして、笑顔のチアリーダーたちを見て、見てくれる人たちが笑顔になり、そのお客さんの笑顔で子どもたちも笑顔になるという、笑顔の循環をシドニーでも広げて行きたいと思いました。
コロナの困難を乗り越え、全国優勝
──昨年「SPRINGS」は見事、優勝し「ナショナルグランドチャンピオン」のタイトルを獲得されました。チームを作り上げるのは並大抵のことではなかったのでは。
ナショナルズの大会までにあと2カ月しかない時にメンバーの人数が変わり、それに伴って大きく構成を変更する必要がありました。本来ならここで出場を諦めるのが普通ですが、厳しいトレーニングを乗り越えてきた子どもたちに「何としてでも成功体験を与えてあげたい」と思い、その一心で頑張りました。
子どもたちには毎日イメージトレーニングをしてもらい、送ってもらった動画にフィードバックをするという形で練習を重ねていきました。そして、うちのチームでは、チアリーディングが応援するスピリットから生まれたスポーツという背景を大切にしているので、競技であっても他とは争わず、いつでも自分に向き合い、お互いを高め合うという自分たちの内側に入っていくプロセスを積み重ねてきています。
大会当日も自分たちに集中し、他のチームを応援してチアリーダーらしい振る舞いができていたことをとてもうれしく思いました。
──日本とオーストラリアの違いで悩まされたことはありましたか。
日本とは採点基準が異なるため、最初はなかなかルールの理解ができず苦労しました。そこで昨年アメリカのコーチ資格を取得した他、メルボルンのチアジムで審査員資格を持つコーチの方に演技のチェックをしてもらうなどして何とか乗り越えた感じです。
──新型コロナウイルスの感染が拡大する中、練習でもさまざまな面で制限がありましたよね。通常時よりも困難な時期に、より多くのことを得られたのではないかと思います。
そうですね、得られるもののほうが多かったです。さまざまなハードルがある中で、世界レベルのトレーニングを最後までやり切ったという経験を子どもたちに与えることができたのは本当に良かったです。
──優勝後は、在シドニー日本国総領事公邸にも招待されたそうですね。
大変光栄なことです。紀谷昌彦総領事からは、チームメンバー全員が日本のバックグラウンドを持ちながらオーストラリアで頑張っていること、チアリーディング界のレベル底上げに貢献していることなどを評価して頂けました。
──今後叶えていきたい夢はありますか?
チア・アスリートを育てたい気持ちはもちろんありますが、選手としてのピーク・エイジはまだまだ遠い先にあるので、それまでは、お客さんの笑顔に触れたり、自分たちが頑張って創り上げたものによってたくさんの人が喜んでくれる経験をさせてあげることが一番大切なことかなと思います。
子どもたちは人を幸せにする素晴らしいエネルギーに満ち溢れているので、これからもスプリングスの理念でもある、「チアを通じて子どもたちの人間力を育てていくこと」を追求し、辛い時こそ笑顔で、努力することの楽しさを自分で見出せるような経験を子どもたちに与えていけたらと思います。
支えてくださる方々や子どもたちと出会えた感謝の気持ちをチアでお返しできるように、これからもスプリングスを大切に育てていきます。
(1月20日、日豪プレス・オフィスで)