日本人セラピスト対談
柔指圧院
寺澤悠
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IKKYU Corrective Massage Therapy
上田茂雄
テクノロジーの進化が世の中を便利にする一方、心と体が休まる時間がどんどん奪われてしまっていると感じている人も多いのではないだろうか。そんな中、頼りにしたいのがマッサージや指圧など体のメンテナンスをしてくれるクリニックだろう。ただ、体の状態は人によって千差万別。自身の状態に合ったセラピストを探すのもなかなか骨が折れる。そんな方々にしっかりと寄り添うサービスを提供できるよう、セラピスト同士の横のつながりを目的として作られたネットワーキングの場が「シドニー・セラピスト会」だ。本記事では同会を牽引する寺澤悠氏(柔指圧院)と上田茂雄氏(IKKYU Corrective Massage Therapy)に対談を行って頂き、どのような信念をもって治療に臨んでいるのか、また独立・開業に至った経緯など、今後自身でビジネスを立ち上げる方々に向けての心構えなど、多岐にわたる話を伺った。
(監修・撮影:馬場一哉)
PROFILE
寺澤悠(てらさわはるか)
東海大学体育学部武道学科、了徳寺学園医療専門学校柔道整復学科、東京医療専門学校鍼灸マッサージ学科を卒業。その後、日本で13年間鍼灸整骨院に勤務し、更に院長として千葉・東京に2院開業した経歴を持つなど長年、体の治療やメンテンナンスなどを主体とした業界で活躍。2016年、妻の仕事のため家族で来豪し18年6月に「柔指圧院」を開業。今ではなかなか予約の取れない人気店となっている。私生活では3人娘の父。趣味はBBQ。
PROFILE
上田茂雄(うえだしげお)
ホテルでのフィットネス・トレーナー、健康保険会社でのヘルス・コーチ、現地健康施設でのライフ・スタイル・スペシャリスト、プロ・フットボール・チームやラグビー・チームなどでのスポーツ・セラピスト、専門学校での非常勤講師など、さまざまな立場で健康産業に携わってきた経験を持つ。その経験や知識を活かし、2018年にマッサージ・サービスを提供するクリニック「IKK YU」を開業。腕前はもちろん、その明るい人柄でも人気を集めている。
大変な時こそ、体も心もオフにする時間を
──シドニーで活躍する日本人セラピストとして、口コミでも評判の高いお2人ですが、寺澤さんは数年前にシドニー日本人セラピスト会を立ち上げられ、セラピストのネットワークを着実に広げられているようですね。まずは立ち上げの経緯からお聞かせいただけますか?
寺澤:2016年にシドニーに移住後、日系マッサージ店で働き始めたのですが、ほどなくしてオーストラリアで生きていくために「横のつながりを大事にしたい」と思うようになりました。単純にシドニーにいる日本人のセラピストの先輩方とごはんを食べながら、お話を伺いたいと思ったのがきっかけですね。それで当時の元同僚とシドニー日本人セラピスト会を立ち上げ、最初は5~6人の小規模な食事会からスタートしました。また、ワーキング・ホリデーでオーストラリアに来たセラピスト志望の若者たちと交流できる機会を設けられればいいな、と思ったのも大きかったです。実際、この会を通じて仕事を得ることができた若者たちもいて、規模も徐々に拡大していきました。
──お2人はキャリアの最初からセラピストの道を目指されたのですか?
寺澤:大学卒業後に2年間英国で柔道を教えていたのですが、それが終わり今後の進路を考えた時に、すでにこの業界に入っていた大学の同期から「楽しい業界だよ」と勧められたこともあり、24歳でこの道に自然と進みました。柔道整復師として接骨院で働き、その後は鍼灸マッサージ師の国家資格も取得。骨折や捻挫(ねんざ)などの外傷から、肩凝り・頭痛・腰痛などの慢性疾患を診てきました。
上田:日本での大学受験に失敗した19歳の頃、ニュージーランドでヒッチハイクをしながら、自分のやりたいことを探していた時期がありました。いろいろと模索するうちに、自分は体を動かすことが好きだから体に関わる仕事に携わりたいと思うようになったんです。それで、日本の大学に問い合わせたり、医療関係者に相談したりしている中で、「運動系の勉強だったら海外のほうが進んでいるよ」とアドバイスを受け、2005年にウーロンゴン南部シェルハーバーのTAFEでフィットネスの勉強を始めました。更にその後、トレーニング後のアフター・ケアとしてマッサージもできればいいなと思いレメディアル・マッサージを学んだほか、大学にも通って人体運動学を勉強しました。
信念を持って独立・開業へ
──お2人とも現在はクリニックを開業されていますが、独立に至るまでには困難なこともあったと思います。
寺澤:僕はシドニーに到着してすぐに、オーストラリアの生活費の高さに圧倒されました。日系マッサージ店で仕事は得ましたけど、ベッド数も限られており、その中で自分の収入を上げて行くには店舗を拡大するか独立でもしないと物価の高いシドニーでは到底やっていけない。そこで、当時のオーナーに掛け合い2店舗目をオープンしました。ただその後、精神的に追い込まれる事が続いてしまい、そんな時に妻から「体を壊すためにシドニーに来たんじゃないでしょう?」と諭され、それがきっかけで、「自分の信念を貫いたクリニックを開設するぞ」と決意し、3カ月後の開業にこぎつけました。一時、他業種の求人を見ていた自分もいました。しかし、挑戦して失敗する後悔より、やらない後悔の方が大きいと思い、怖さは正直ありましたが、自分のこれまでの治療経験の全て活かせる集大成の場としてチャンレンジを決意しました。
──おっしゃる信念というのはどのようなものだったのでしょう?
寺澤:僕は「患者さんにとことん向き合って最後までケアする」という信念を持っていましたから、独立後は信念を貫きながら患者さんに向き合えることに幸せを感じています。
上田:2019年まではマッサージやフィットネスの学校を中心に教育業界で留学生のサポートをしながら、アフター5でマッサージ業務をこなしていました。そうした中で、自分のビジネスを立ち上げようと決めた時に、それまで勉強させてもらった先生·先輩方から吸収した知識·技術や、健康産業のさまざまな立場で吸収してきた経験を、自分自身の事業を通して全力で還元し、頼ってきてくれる方々1人ひとりに責任を持って本気で向き合いたいな、と思ったのがきっかけでした。
──クリニックにいらっしゃる患者さんは日本人のほうが多いんですか?
上田:僕のクリニックは大体、日本人が40%、ローカルの方が6 0%ぐらいですね。元々はローカルの患者さんが比較的多かったんですけど、今はチャッツウッドの便利な場所に拠点を移し、周囲での口コミも増えてきたので、日本人の患者さんの数も大分増えてきましたね。
寺澤:うちは日本人の患者さんが8割近くを占めます。シドニーに来てから日本語でサービスを提供することが、こんなにも日本人の方から喜んでもらえるんだということを痛感し、それなら「日本語で日本人の患者さんを徹底して安心させてあげたい」という思いが強くなりました。最近ではローカルの患者数も徐々に増えつつあります。
──セラピストにもいろいろなタイプの方がいると思いますが、お2人がそれぞれ治療の際に大切だと思われているのはどのようなことでしょう。
上田:アプローチ面で大切にしていることは「木を見て森を見ず」にならないこと。肩が痛いから肩だけ、腰が痛いから腰だけなど、痛い部分だけを治療するのではなく、全体を見て包括的にアプローチしていくことです。実際、痛い部分だけが悪いわけではないことが本当に多いんです。
寺澤:僕は、来院された患者さんにはとにかく「頭を空っぽにしていただくこと」を心掛けています。施術中は全身のツボを丁寧に、気持ちを込めて押すことに集中します。例えば、患者さんがお母さんだったら、その間は育児のことを忘れて頭を空っぽにしてあげたいんです。
上田:今は新型コロナウイルスの影響で、在宅勤務になるなど働き方が以前とはがらりと変わった人も多く、常に精神状態がオンになってオフに切り替えられない人もたくさんいらっしゃいます。そうした方の肉体的な部分をまずはオフにして、患者さんの悩みを和らげてあげることも大切だと思います。
寺澤:患者さんにはゆっくり指圧を受けて頂き、ここに来たら何も考えなくていいという、「最高に贅沢な時間」を提供したいと考えています。
競争より共存。大事にしたい「横のつながり」
──日本人セラピストの皆さんの間では患者さんを紹介し合う関係とも聞きました。
上田:僕はリメディアル・マッサージをやっていますが、それでも症状が改善されない患者さんはいらっしゃいます。そうした場合に大切なのがセカンド・オピニオン。自分が信頼しているセラピストさんに僕の患者さんを紹介することはありますね。腕の良い日本人を紹介することで、日本人セラピスト全体の認知度や信頼度が高まることにもつながると思っています。
寺澤:上田さんが指摘するようにセカンド・オピニオンの考え方は本当に大切です。治療においては1人で抱え込むのが一番危険だと思っています。自分の治療法だけでは結果が出ない患者さんもいるわけですから、そんな時は信頼できるセラピスト仲間に患者さんを紹介させて頂いております。
──患者の立場からすると、完治に向けた道筋を作ってくれるのは大変ありがたいことです。そうした横のつながりは非常に素晴らしいですね。
寺澤:競うよりも共存し、お互いを高め合ったほうがいい。「オール・ジャパン」で患者さんの完治に向けて全力で挑むことが大事だと思っています。
──これまで多くの患者さんと向き合ってきたと思いますが、印象深いエピソードはありますか?
寺澤:陸上選手だった中学生の患者さんは今でも印象に残っています。彼女はシンスプリント(編注:過度な運動を行った場合などに骨膜が炎症を起こすスポーツ障害の1つ。脛骨過労性骨膜炎とも呼ばれる)と診断され、半年以上フィジオ・セラピーに通っていました。しかし症状が全く改善されず、中学生最後の大会が翌月に迫っているという中で、お母さまと一緒に来院されたのです。足を診させて頂くと本当に半年も通院していたのかと疑問になるほどの状態で、僕は彼女とお母さまに「大会まで数回来てください」と頼み全力で施術しました。その後、お母さまから「娘は無事大会で走ることができた」と連絡を頂いたのですが、その時は嬉しかったですね。自分の経験と治療法を信じて良かったと思いました。
上田:僕は、車関係のお仕事をされていた方の治療が印象に残っています。ある日、その方の奥さまから「夫がひどい腰痛持ちで仕事を辞めようと思っている」とメッセージを頂きました。初めて来店された時の彼の表情は険しかったのですが、施術後に動作チェックをした時に「あれ、痛くない!」と、パッと表情が明るくなったんですね。その後も数回来院されましたが、奥さまからは「仕事が続けられそうです。家でも嬉しそうな顔をしていることが増えました」とメールを頂き、非常に嬉しかったのを覚えています。体調が良くなることで、「仕事が続けられないかもしれない」「家族をどうやって養っていこう」などといった患者さん自身の悩みがすーっと軽くなる。それに影響を受けて、奥さまもホッとできる。その方だけでなく、その方を取り巻く環境も明るくなる。その手助けをできることがすごく嬉しいです。患者さんのゴールに向かって、いかに二人三脚で寄り添うことが大切かということを痛感した出来事でした。
挑戦し続ければ、必ず道は開ける
──お2人の今後の展望をお聞かせ下さい。
寺澤:柔指圧院は6月に3周年を迎え、今では皆様に頼っていただける治療院に成長しました。店舗拡大などの大きなことは現時点では考えておらず、初心を大切に患者さんに最高の指圧を施し、身体が辛い時には「寺澤さんがいた!」と思い出してもらえるセラピストでありたいです。長期的な目標としては、日本人セラピストによる質の高いマッサージが受けられる「ジャパン・マッサージ・センター」を作りたいですね。将来、次世代を担う日本人の若者がオーストラリアに来た時に、働きやすい環境を作ってあげたいです。
上田:僕も今のクリニックを開院してからまだ間もないので、毎日が勝負です。当面は「オール·ジャパン」としてヘルス·ケア分野の底上げに貢献できるよう、セラピスト仲間たちと切磋琢磨しながらお互いを高め合っていきたいです。そして、新型コロナウイルスが収束してオーストラリアの国境が再び開いた暁には、セラピスト·トレーナーたちがより経験を積めるような環境を作り上げられればいいなと思っています。
──読者の中には独立したいけどその一歩を踏み出せない人、コロナ禍で新しい変化を迫られている人などが大勢いらっしゃいます。そんな彼らへのエールやアドバイスがあれば教えてください。
上田:最初の一歩を踏み出すのは非常に勇気がいると思います。僕がそうでしたが、支えるべき家族がいればなおさらだと思います。ですが強い信念があれば次に何をすればいいのか自然と体が動きますし、必ず助けてくれる人も現れます。自分に強い思いがあっても、誰かの下で働いていたらそれを完全燃焼できないケースも多い。でも、独立したら自分のカラーを出して完全燃焼できますから、もし独立を躊躇している人がいるなら、思い切って初めの一歩を踏み出してもらいたいですね。
寺澤:独立は本当に怖かったですけど、組織にいてはできないこともたくさんあったので、僕はチャレンジして良かったと心から思っています。強い信念があったらそれに向かって全力でチャレンジして頂きたいですね。チャレンジにはリスクも伴いますがリスクを負ったからこそ見えてくる景色もあるし、助けてくれる先輩方は必ず出てきます。先輩方のアドバイスをたくさんもらいながら、チャレンジを続けていけば必ず道は開けると信じています。これまでの在豪日本人先輩方皆さまの頑張りのおかげで、日本人への信頼、価値が高く評価され、今の私たちも生活できていると思っています。先輩方に心から感謝し、それに続く日本人として恥じぬように、私も日本人としてチャンレンジを続け、次の若い世代にバトンタッチできるよう今後も尽力して行きたいと思っています。
──本日はありがとうございました。(3月17日、シドニー北郊キャメレー「Maggio’s Café」で)