特集
オーストラリアの
「牛肉」事情
−2019版−
2018年5月、日本産和牛のオーストラリアへの輸入が解禁された。それに伴い、世界でも人気が高まっている豪州産WAGYUと合わせて、オーストラリア国内では2種類のWAGYUが並列して売られる状況が始まっている。そもそも日本産和牛と豪州産WAGYUの違いは何なのか。また、赤身肉のステーキが人気のオーストラリアで日本産和牛は受け入れられるのか。その他オーストラリアを取り巻く最新の「牛肉」事情について、関係者への取材を元に紹介する。(取材・文=馬場一哉)
日本産和牛と豪州産WAGYU
日本政府が日本産の畜産物の海外輸出に精力的に取り組み始めたのはここ6~7年ほどのことだ。2010年に日本の人口は1億2,806万人に達し、ピークを迎えたが、その後は減少の一途を辿り、25年には国民の3人に1人は高齢者という高齢化社会に、更に50年には人口が1億人を下回ることが予測されている。
今後の日本の国内市場の縮小は確実であることから、日本政府は市場を海外の輸出市場にシフトしていく方向性を打ち出し、13年5月21日に内閣総理大臣を本部長とする「農林水産業・地域の活力創造本部」を設置。農林水産物・食品輸出額を20年には1兆円規模とする戦略を発表した(15年に中間目標であった7,000億円を1年前倒しで達成、1兆円の達成も19年と前倒しになっている)。
こうした流れに連動する形で和牛の日本国外への輸出も順次解禁されていった。12年には米国、香港、マカオ、シンガポール、タイ、カナダ、UAEなどへの輸出が解禁され、その後も、メキシコ、フィリピン、シンガポール、ニュージーランド、ベトナム、インドネシア、EU、ロシアなど、順次、世界のさまざまなエリアへの輸出がスタート。そして18年5月29日、日豪政府間での合意が行われ、オーストラリアへの輸出も解禁となった(※正確には豪州市場は17年ぶりの再開)。
オーストラリア市場への和牛の輸出解禁は、とりわけ注目を浴びる出来事と言える。というのも、オーストラリアでは日本産和牛の強力なライバルとなり得る豪州産WAGYUが既に一定の地位を得ているからだ。
オーストラリアでWAGYUが生産されるようになったのはおよそ30年前とその歴史は長い。オーストラリアWAGYU協会によると1990年にアメリカ経由で和牛の遺伝子を持つ雌牛が到着し、その翌年、冷凍保存された和牛の精子や受精卵が輸入されたことでWAGYU飼育が開始されたという。
日本人の立場からすれば「和牛と言えば日本の牛」というイメージがあるだろうが、実は世界ではそう見られていない。18年6月に日本貿易振興機構(ジェトロ)・シドニー事務所が開催した「和牛輸入セミナー」で講師を務めた同事務所の藤原琢也氏はこう話す。
「豪州産WAGYUはアジア、欧米の高級牛肉市場での存在感が高く、高級ステーキ・ハウスなどからも強い引き合いがあります。年間生産量は枝肉ベースで3万2,000トン、そのうち2万5,000~2万9,000トンはこれらの市場に輸出されているのが現状です。これは日本の牛肉輸出量のおよそ10倍に当たります」(藤原氏)
日本産和牛よりも豪州産WAGYUの方がはるかに多く市場に出回りその地位を確実なものとしていることから、本来はオリジナルであるはずの日本産和牛は海外で「Japanese Wagyu」としてアピールせざるを得ないというのが実情というわけだ。
だが、日本産の和牛と豪州産のWAGYUは果たしてどの程度競合するものなのだろうか。そもそも両者は同じ物と言って良いのだろうか。答えとしては「種は同じであり近くはあるが非なる物」というのが適当な言い方になろうか。というのも、牛の種類は同じであっても、豪州産WAGYUと日本産和牛は、その定義となる基準などさまざまな面において違いがあるからだ。和牛、WAGYUと漢字、ローマ字表記で本記事を書き分けている理由もそこにある。
和牛という名称は国内出生、国内で定められた方法で肥育された牛にしか付けることができず、海外で育った牛はそもそも和牛と名乗ることはできない。そのため、日本語表記の際にもWAGYUとローマ字で書く必要がある。
日本産和牛は明治以降、日本に昔からいる従来種の牛に外来種を交配し、品種改良を重ねてきた4種類の肉専用種(黒毛和種、褐毛和種、日本短角種、無角和種)のことを指し、そのうち95%が黒毛和種。「神戸牛」「松阪牛」「近江牛」といった産地を冠した銘柄牛は全てこの系統に入る。
これらの牛の全ては3世代前まで血統をさかのぼれるよう血統登録されており、更に牛トレーサビリティー制度に従って、出生から、育成、肥育、と畜、加工、小売りと全ての段階で個体識別可能なように管理、一般公開されている。それらの基準に沿っている物が和牛であって、イコールWAGYUでは決してないのである。
そして肉質面における決定的な違いと言えるのが、豪州産の物はアンガス牛など他の種類の牛との交雑種であってもWAGYUと名乗れる点にある。オーストラリアWAGYU協会のレギュレーションでは、和牛遺伝子の高配割合が50パーセント以上であればWAGYUと名乗ることができるのだ。そのため、サシの入り具合、赤身の比率などにばらつきがあり、その品質はさまざまだ。
黒毛和種の血を100パーセント受け継いでいるWAGYUはフルブラッドWAGYUと呼ばれる。一方、フルブラッドWAGYUとアンガス牛を掛け合わせた血の濃さが50%のものはF1(生物学用語でFはFilial=雑種世代の意味)、F1を更にフルブラッドの和牛とかけ合わせればF2(血の濃さは75パーセント)となる。そのように掛け合わせていくことでF3(87.5パーセント)、F4(93.75パーセント)と血の濃度は高まっていく。WAGYUとひと口で言っても、黒毛和種の血がどの程度入っているかによって品質もまた変わって来る。そのため、和牛とWAGYUを一概に比較することはできないのだ。
また、そうした血の濃さに加え、育て方による違いもあると藤原氏は言う。
「日本産の和牛は豊かな脂肪交雑(サシ、霜降り)が最大の特徴であるため、それを目指し、腹づくり、骨格づくり、肉づくり、脂づくりとステージごとに、日本固有飼料である稲わらや大豆、麦、そしてトウモロコシと飼料の配合割合などを変えます。トウモロコシを飼料に使うことで日本人好みの風味になると言われていますが、豪州産WAGYUでは大麦、小麦を主体に使っている農家が多く、その場合肉の風味や味も日本産和牛とは異なってきます。また、育成まで放牧が主体であったり、肥育期間が短い場合も多いのでその場合はやはり脂肪交雑が少なくなります」(藤原氏)
豪州産のフルブラッドWAGYUは当然、高級な牛肉として市場で地位を獲得しており、その特徴は日本産の和牛と共通している。豪州産フルブラッドWAGYUを好む層が、日本産の和牛を「更に上質なオリジナル」と認識するようになれば、両者に競合関係は生まれるかもしれない。一方で昨今、嗜好の変化によって赤身肉を好む層も増えている。そういった人にとっては適度にサシの入った赤身が多めの交雑種の方が好まれるというケースも大いにあり得る。
ただ、フルブラッドの豪州産WAGYU自体の絶対数がさほど多くないことを考えると、総合的に見て日本産の和牛と豪州産WAGYUが即座に競合するというようなことはないのではなかろうか。この点に関して、日本産食品の輸出分野を担当している、在シドニー日本国総領事館の土屋修久・副領事も「和牛のオリジナルとしての認知を高めるというよりは違う物として共存していく道の方がしっくりくるのでは」とコメントを残してしている。
解禁以降の動向、見通し
前段で和牛の定義について簡単に書かせて頂いたが、もしかしたら読者の中には「和牛=日本産の牛」と思っていた人もいるのではなかろうか。日本で流通している牛肉は大きく3つに分かれる。和牛、国産牛、輸入牛だ。輸入牛はオーストラリア産のオージー・ビーフ、米国産のアメリカン・ビーフなど簡単にイメージできるだろうが分かりづらいのは国産牛だろう。国産牛とは、牛の品種を問わず、日本で飼育された期間が最も長く、日本国内で食肉用に加工された牛を指す。中でも大半を占めているのが乳牛用のホルスタインの雄の牛だという。一般消費者がスーパーなどで日常的に購入するのはこうした国産牛や輸入牛だろう。
そう考えると、価格的になかなか手が出にくい和牛は多くの日本人にとっても非日常的な食品と言えるだろう。改めて、日本産の和牛の魅力について藤原氏に尋ねてみると「和牛を特徴付ける魅力的な味、香りは科学的に裏付けされているんです」と話してくれた。
「上質な脂肪交雑が入った和牛の脂には『オレイン酸』と呼ばれる融点の低い脂肪が含まれています。これは口内の体温でも溶けるため、和牛の食感は非常に柔らかな物になります。この『オレイン酸』はオリーブ・オイルにも多く含まれ、適度に摂取することで悪玉コレステロールを抑制し、動脈硬化を防ぐとも言われています。更に赤身の中にも旨みやコクの元となる『グルタミン酸』『イノシン酸』、甘味を生み出す『甘み系アミノ酸』が多く含まれています。これらが複雑に作用することで、最高級の味わいが生まれます。また、和牛を80度以上の温度で調理すると、ココナツのような独特の香り『和牛香』が発生します。これには甘いコクのある香りを持つ5種類の『ラクトン』という成分が多く含まれており、おいしさを引き立たせます」(藤原氏)
日本産和牛の輸入解禁と共に積極的に和牛を購入し、オーストラリア国内で和牛を流通させている食肉輸入・加工・卸・販売で唯一の日系会社、大沢エンタープライズの大沢紀三夫・代表も日本産和牛のポテンシャルに太鼓判を押す。
「日本産の和牛がこちらに到着して最初に驚かされたのはその大きさです。弊社では豪州産のWAGYUも扱っていますが、同じ部位を比べても大きさや霜降りの具合が大きく異なることに驚かされました。また実際に食してみるとその柔らかな舌触りと甘みのある脂はさすが日本産和牛ですね」(大沢氏)
また、同様に日本産和牛の輸入・販売を開始する食肉輸入・加工・卸・販売の大手ビックス・ミートのアンソニー・プハリッチ氏も「サシの入りとソフトな舌触りなどそのクオリティはアメージングだ。価格は豪州産WAGYUより更に高いが、これまで飛行機に乗らなければ手に入らなかった日本産和牛をこの地で食べられるのは大きなアドバンテージ」と話す。一方「価格帯の高さや赤身肉のステーキなどを好むオーストラリア人の嗜好を考えると日本産和牛の普及には時間も掛かるだろう」とアンソニー氏は続ける。
「ハイクオリティーな肉を少しの量だけ食すという、オーストラリア社会に対する新たな教育が必要になってくるでしょう。しゃぶしゃぶやすき焼きなど日本産和牛がより得意とする食べ方なども教えていく必要があります。成功のためには長い年月を掛ける必要があると思います」(アンソニー氏)
輸入解禁から既に数カ月にわたって販売を行っている大沢氏も「値段の高さもあって必ずしも順風満帆とは言えないですが市場を広げるべく頑張っています。日本産の和牛を普及させていくために日系の会社が頑張らなくてどうする、といった気概を持ってやっています」と思いを語る。
大沢エンタープライズでは、現在は鹿児島産の和牛をメインに市場に投入しているが、今後は主要銘柄はもちろん、日系企業だからこそ目利きできる高品質で個性を持った銘柄を取り入れていく予定だという。
「世界最高峰の高級ブランドの1つ神戸牛などももちろん扱っていきますが、全国に目を向けると、例えば、獺祭の酒粕で肥育している山口県産高森牛など、個性的で魅力的な和牛はたくさんあります。弊社ではそうした和牛も積極的に仕入れたいと考えています。オーストラリアのWAGYU、赤身肉ももちろんおいしく魅力的ですが、日系の会社として、日本産和牛を広める役割をしっかりと担っていきたいです。日本産和牛の海外での普及の大きな成功例はまだないと聞いていますので、世界で最初の成功事例を私たちで作りたいという思いでいます。それが日本の若い人たちの励みになることで、高齢化が進んでいる畜産業界にも報いたい。そのような大きなビジョンを持って取り組んでいこうと考えています」(大沢氏)
日本産和牛の今後のオーストラリア市場への政府としての取り組みに関して、在シドニー日本国総領事館の土屋副領事はその展望をこう話す。
「現時点では数カ月しか経過していないので売れ行きなどを見守っている状況です。輸入手続きで困った点とか、どういう売り出し方をした方が良いのかなど、課題はもう少し先に整理されていくだろうと思います。ただ、今、日本の畜産業は本当に苦しい状況に直面しており、その状況を打破するため、和牛の輸出は重要な位置を占めています。そのため農林水産省では、豪州産やアメリカ産のWAGYUなどとどう差別化していくかということにも積極的に取り組んでおり、一昨年解禁になった台湾の例では日本食として和牛の薄切りの肉を提供していく試みを始めています。それが成功すれば豪州でも同様の方法でプロモーションが行われる可能性があります。しゃぶしゃぶなどの食べ方が定着すれば農林水産物・食品豪州向け輸入第3位に付けているソース混合調味料などの分野にも良い影響として波及していくことが期待できます。日本産和牛を楽しんでいただき、日本の農家を応援してほしいです」(土屋)
2018年5月の解禁以降、在シドニー日本国総領事公邸で行われたイベントやパーティーでは実際に和牛を使った料理が提供された。今後も総領事館ではゲストに和牛を使った料理を振る舞う形で和牛の普及に向けた支援をしていく予定だという。
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