シドニー日本人国際学校創立50周年
シドニー日本人国際学校(Sydney Japanese International School/SJIS)は、1969年5月15日に設立、今年で開校50周年を迎えた世界の先進国で最も歴史のあるインターナショナル・スクールだ。英語圏として唯一「日本人学級」と「国際学級」を併設する同校の50年の歩みを振り返ると共に今後の展望、そしてお祝いのメッセージや卒業生の声をお届けする。※本記事の内容は2019年4月29日時点の情報に基づいています。
卒業生からのメッセージ
榊原章洋(さかきばら あきひろ)
第1期卒業生・株式会社神鋼環境ソリューション勤務
在籍期間:1970年~1973年(日本人学級・小学部6年生卒業・中学部9年生卒業)
同級生同士が飛行機の中でばったり遭遇したのを機にSNSを通じて当時の同級生たちが集まるようになりました。還暦を迎えた2018年に同級生9人とその家族でテリー・ヒルズの懐かしい校舎を訪れました。隅々まで案内して頂いた校舎は、本格的な建物に生まれ変わっており、当時はなかった立派なグラウンドも整備され、その発展ぶりには思わず感服せざるを得ませんでした。日本とオーストラリアの将来は、次世代、特にSJISの卒業生に託したいと思います。オーストラリア人の自由な発想と個の力、そして日本人の和と融合の力、その両方を持ち合わせた、真のグローバル・パーソンの育成に今後50年もSJISが担っていくことを渇望します。
原田容子(はらだ ようこ)
オーストラリア研究者(歴史・政治学)PhD大学講師
在籍期間:1972年~1976年(日本人学級・小学部4年生~中学部8年生)
私は1972年から4年間、できて間もないテリー・ヒルズの校舎に通いました。その後、折々に訪問して来ましたが、今年2月は母校の神戸女学院大学の学生を連れて、「多文化社会オーストラリア」を体験する海外研修の一環で訪問することができました。当時の岩崎正雄校長らが大変な尽力をされ10人ほどで始まった国際学級が、オーストラリア社会、そして在豪日系人社会の変化を反映し、変遷、進化している姿に感銘を受けました。これからもオーストラリアにあることの特性を生かした学校として前進していってくれることを願っています。
守屋純子(もりや じゅんこ)
ジャズ・ピアニスト、作編曲家
在籍期間:1974年4月~1977年5月(日本人学級・小学部4年生~中学部7年生)
50周年おめでとうございます。私は、現在ジャズ・ピアニストとして活動しておりますが、この道に進むきっかけはシドニー時代にありました。ウエットラー・ヒロコ先生というすばらしいピアノの先生に出会い(彼女は日本人学校の生徒を多く教えていました)、音楽の本質を教わりました。また、学校でもいろいろな行事で演奏の機会があり、今につながっていると思います。音楽はもちろん、どの授業も、自由で楽しいものでした。担任の小田先生を始め、一生の友人たちに出会えたことにも本当に感謝しています。
ジョシュア・ヒュウ・ゲスナー(Joshua 飛勇 Gessner)
アメリカ大学野球・特待生
在籍期間:2006年~2012年(国際学級キンディー入学~イヤー6卒業)
SJISの栄えある50周年おめでとうございます。SJISでは、楽しかった思い出ばかりです。一番の思い出は、紅白対抗の運動会です。どの競技も最高に楽しかった! 僕はSJISに在籍していた時からずっとアメリカで野球がしたいと思っていました。昨年、マンリー・セレクティブ高校を卒業し、MLBチームから幾つかオファーを頂いたのですが、やはりまずは大学進学と決め、今年の8月からチューレン大学(Tulane University)に特待生として入学します。
今後の夢は、日本人・オーストラリア人として初となる、MLBドラフト1位指名を頂き、野球選手としてプロになることです。現在はその夢に向かって、シアトルで毎日トレーニングに励んでいます。SJISの子どもたちに夢を与えられるような選手になりたいです。
キャサリン・デイビス(Kathryn Davies)
現在キンディーに通学する長男・テッド・ブレイキー(Ted Blakey)の母親
在籍期間:1989年~1994年(国際学級・イヤー1入学~イヤー6卒業)
私のSJS時代(現:SJIS)は、楽しい思い出で満ち溢れています。私が入学した1989年は、まだキンディーがなかった時代でしたので、1年生から国際学級に入学しました。日本語と日本の文化や伝統を学びつつ、オーストラリアの教育もしっかりと身に付けることができました。毎年行われる言語学習発表会、ジョイント・コンサート、スポーツ・デー、スクール・フェイトなどの行事は、さまざまな文化を経験できるすばらしい機会でした。私の母親は日本人です。私と姉が日本との強い絆を保てるよう、そして日本の文化や日本語を習得できるようにSJSを選んでくれました。私も同じ理由で、長男のテッドを現在SJISのキンディーに通わせています。私がSJSで培ったすばらしい経験を自分の子どもたちにもぜひ経験して欲しいと願っています。息子は友だちにも恵まれ、学校から帰ってくると、新しく習った日本語や授業で経験した雛祭りや節分のことを話してくれます。親としてこんなにうれしいことはありません!日本とオーストラリアの文化交流の要として、日本文化や日本語を周知するリーダーとして尽力された50年の歴史に心よりお祝い申し上げます。これからの50年も更なる飛躍を応援しています。
原田曜平(はらだ ようへい)
サイバー・エージェント次世代生活研究所・所長
在籍期間:1989年9月~1991年10月(日本人学級・小学部6年生~中学部8年生)
シドニー日本人学校で経験した東京と全く違う大自然、オーストラリア人とのさまざまな交流が、僕に視点の「多様性」を与えてくれました。そして、それが今、僕が日本や世界でマーケティングの仕事をする上で、大きな仕事の礎になっています。日本とオーストラリア両国の関係は、大変残念ながら、以前程結びつきが強いものではなくなってきていますが、ぜひ皆さんも日本とオーストラリアの架け橋の人材となれるよう頑張ってください。
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- ①シドニー日本人国際学校50年の歩み
- ②お祝いの言葉/日本人学級・国際学級の紹介
- ③卒業生からのメッセージ