第21回:いけばなのシンプリシティー
こんにちは。いけばな講師をしていますYoshimiです。最近、ご近所や友人、いけばな仲間から木瓜(ぼけ)(Quince)の花をよく分けて頂きます。品のある淡いピンクで可憐な花もあれば、情熱的に赤く輝くように咲く花もあり、その種類は多種多様です。日本では大きな木に咲く花と言えば、桜やハナミズキのイメージがありますが、シドニーでは木瓜も椿も大木に成長し、寒い冬の季節に庭の主役となります。
いけばなには、枝物で強い骨格を作り、草花の繊細で華やかな物を足していくという基本的ないけ方の他に、「一種いけ」といって1種類だけの花材でいけることがあります。1種類の素材の中から植物の持っている線の特徴や柔らかな膨らみ、ユニークなポイントを引き出し、それぞれをうまく組み合わせていかなければなりません。木瓜の枝には鋭いとげがあり、枝ぶりは上下左右と奔放に伸びています。そしてその枝は、どの切り口からも水を吸い上げることができるため、生命力に長けた植物だと関心します。
シンプリシティーとは、地味に簡単にいけるということではなく、草木が持っている特徴を象徴的に出してあげること。そして省けるものは全て省くということです。花の美しい魅力に引きずられ、花器いっぱいに生花を盛り込んでしまうと華やかですが、花材それぞれの面白さが薄くなってしまいます。
上記の作品は、捨てられる物は全て捨て、省略・圧縮され、枝ぶりが持つ真っ直ぐな心地良さ、刺々しい枝でも上品さと強さが表現でき、花の息遣いをほのかに感じるギリギリの地点まで追求されています。中心に挿された椿も、葉はほぼ全て切り落とされており、花の持つ輪郭の美しさが際立っています。いけばなにおけるシンプリシティーとは、最小限の単位になって初めて感じることのできる植物の特徴的な美しさです。
また極限まで省略され、一花一葉に込められたいけ手の思いとして、元々は自然の中で咲いていた美しさが、一瞬でも観る者に映像となって、記憶に残る物であればすばらしいと思います。花器に水を入れていても、いけばなは絵画や彫刻と違い時間的に持続性がない物ですから、瞬間的に人を感動させられる物で良いと私は思っています。いけばなには多くの流派があり、その学習法はさまざまですが、自己流でいけばなを楽しまれるには、生花を良く観察しその特徴を生かすことではないでしょうか。シンプルな考え方で奇麗だと思います。
Yoshimi
草月流華道講師。幼少の頃から花を嗜む。学生の頃、本格的に活動を始め大阪高島屋に出展。兵庫県議会公館迎え花を担当。シンガポール駐在中に趣味の油絵といけばな展をシンガポール高島屋で行う。現在はシドニーのセント・アイビスのスタジオで華道教室フラワー・イン・ライフ(www.7elements.me)を開講