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正しく見るということ/福島先生の人生日々勉強

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福島先生の人生日々勉強

正しく見るということ

視野を広げて物事を正しく見るということはとても大切です。そんなことは誰もがよく分かっていることです。しかしながら、これがなかなか簡単ではありません。人は生活においてほぼ正しく適切な見方をしています。身の回りのあらゆることについて間違っていたら、1日たりとも生きていくことができなくなるからです。

ただ、時として間違った見方が入り込みます。そして、人はその間違いになかなか気付くことができません。気付くことなく、問題が起こってしまいます。窮地に陥る前提として、私たちは何気なく、大事なことを見間違い、あるいは見過ごしてしまっているのです。

禅の言葉に、「担板漢(たんばんかん)」という言葉があります。「板を担いだ男」という意味なのですが、どういうことかと言うと、大きな板を片方の肩に担ぐと、板が邪魔になってしまい、片側しか見えない、反対側が見えなくなるということです。両側が見えていないために物事を正しく見極めることができなくなり、正しい判断もできなくなるということの例えです。

同じような話として、「出られないアブ」の説話があります。ある古寺に1匹のアブが入ってきた時のことです。アブは外に出ようともがきますが、一向に出られません。古寺は荒れ果てていてどこもかしこも隙間だらけです。ちょっと落ち着いて周りを見渡せば、どこからでも容易に外へと抜け出していけるはずです。それなのに、一度ここと決めたら何が何でもそこからでなければ外に出られないと思い込み、何度も繰り返しては、同じ障子に頭をぶつけて倒れている、という話です。

私たち人間も、アブと同じように「この道以外はない」と間違った思い込みで行動してはいないでしょうか。担板漢のように片側しか見えていないかも知れません。

何か問題が起きた時、落ち着いて視野を広げ、全体を正しく見極めるようにしてみると、不思議なことに今まで見えなかった、本当の正しい道が見えてくるはずです。見えなかったものが見え、聞こえなかったものが聞こえてくるはずです。

いいや、問題は起きていない、ずっとこの方法でうまくやってきた、と言う人もいるかも知れません。自信を持つことは良いことです。しかし、本当に正しかったかというと、周囲の意見は違うこともあります。

自分の信じてきた方法が一番だと思っているところからスタートして、自省して視野を広げるという行程は難しいことです。「正しく見る」とはまず、正しくものを見ることは難しいと知ることなのではないでしょうか。そして、自らの見方を常に改めていこうとする姿勢を保つこと。その行為はさながら、お清めのようでもありますね。


教育専門家:福島 摂子
大阪府出身。34年間、教育に携わり、教育カウンセリング・海外帰国子女指導を主に手掛ける。1992年に来豪。シドニーに私塾『福島塾』を開き、社会に奉仕する創造的な人間を育てることを使命として、幼児から大学生までの指導を行う。2005年10月より拠点を日本へ移し、日々活動の幅を広げていく一方で、オーストラリア在住者に対する情報提供やカウンセリング指導も継続中である。

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