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日本でフェイスブックを成功させた第一人者 世界と日本をつなぐ国際人に見えている景色とは─対談 児玉太郎 X 作野善教

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【第21回】最先端ビジネス対談

 日系のクロス・カルチャー・マーケティング会社doq®の創業者として数々のビジネス・シーンで活躍、現在は日豪プレスのチェア・パーソンも務める作野善教が、日豪関係のキー・パーソンとビジネスをテーマに対談を行う本連載。今回は、フェイスブックの日本第1号社員として、同サービスの日本での展開に尽力し、現在は海外パートナーシップ創出をサポートするアンカースター代表の児玉太郎氏にご登場願った。

(構成:馬場一哉、撮影:クラークさと子)

PROFILE

児玉太郎 (こだまたろう)
海外パートナーシップを創出する集団・アンカースター代表(東京)。1999年ヤフー株式会社に入社。米国Yahoo!サービスの日本展開を行うチームに所属し、多様なサービス・プラットフォームの企画・運営を行った。2010 年、Facebook Japan株式会社の一号社員に。15年、アンカースター株式会社を設立。国や言語を超えたビジネス・パートナーシップのプロデュースを行っている

PROFILE

作野善教(さくのよしのり)
doq®創業者・グループ·マネージング・ディレクター。米国広告代理店レオバーネットでAPAC及び欧米市場での経験を経て、2009年にdoq®を設立。NSW大学AGSMでMBA、Hyper Island SingaporeでDigital Media Managementの修士号を取得。移民創業者を称える「エスニック·ビジネスアワード」ファイナリスト、2021年NSW州エキスポート・アワード・クリエティブ産業部門最優秀企業賞を獲得


作野:児玉さんは、子ども時代をロサンゼルスで過ごされていますが、アメリカに行かれたきっかけは何だったのでしょう。

児玉:11歳のころに母親と僕と弟の3人で移住したのですが、きっかけは父親がアメリカ移住を夢見ていたことにありました。父親に先駆けて渡米したのですが、結局父親は来られなかったんですよね。

作野:そうだったのですね。英語は話せましたか。

児玉:ESL(English as a Second Language)のクラスもありましたが、最初は全く話せなかったので苦労しました。「ランチ持ってきた?」と先生に聞かれてそれに答えられなくて悔しい思いをした記憶ありますし、日本人が全くいない環境だったので困難なことも多かったです。


作野:ご苦労されたと思いますが、最も印象に残っていることは?

児玉:母語が英語じゃないためインターナショナル・スクールに行くことになったのですが、それがフランス系の中学校だったんです。

作野:フレンチ・インターナショナル・スクールですか。

児玉:そうなんです。「Le Lycée Français deLos Angeles」という普通はフランス人が通う学校です。英語がままならないにも関わらず、授業は全部フランス語。その環境で吹っ切れたというか、英語はそっちのけでフランス語の勉強に没頭しました。高校では第二言語として、英語以外にもう一言語を選択しなければならなかったのですが、そのような経緯から当たり前のようにフランス語を選び、勉強しなくても常にオールAの成績でした。

作野:すごい(笑)。高校を卒業した後、日本に帰国されていますね。


児玉:高校卒業後は大学進学を考え、受験に合格したのですが、親に「お金が足りない」って言われたんです。想定していない事態にびっくりしましたが、一方で「やったー」とも思ったんです。勉強が好きではなかったので大学に行かなくて済む、そしてたまにしか帰れなかった日本にきちんと住んでみたいと思っていたからです。そのことをきっかけに10年間いたロスを離れ、日本に帰りました。

作野:Yahoo! Japan(以下、ヤフー)に入社されたきっかけは何だったのですか。

児玉:アメリカで親が唯一買い与えてくれて、ずっと遊んでいたのがパソコンだったのです。インターネットより前のパソコン通信の時代から、いろいろなコンテンツにアクセスして楽しんでいたので、パソコンの扱いには慣れていたんです。そんなある日、ヤフーのウェブサイトを見たら「スタッフ募集」と書いてあって、その場で応募しました。

作野:当時のヤフーはどのくらいの規模だったのですか。

児玉:社員がまだ100人以下の時代です。僕の強みといえばアメリカでヤフーを使っていたこと、英語ができるくらいでしたが、当時の社長に「とりあえず明日から来い」と言われ入社することになりました。新しいサービスをプロデュースすることがミッションのプロデューサー部という部署に配属されたのですが、高卒入社は僕だけだったことから、他の人たちよりも早く経験を積めたことで26歳で100人以上いる事業部の企画部長になりました。

作野:それは思い切った若手の抜擢人事ですね。

児玉:ちょうどミクシーなど、SNSの波が来ていたころでしたが、僕はアメリカにも友人がたくさんいたので当時日本ではあまり知られていなかったフェイスブックも使っていました。社内でもフェイスブックが少しずつ話題になっていたころで、経営会議などでフェイスブックのすごさを説明したりしていました。ヤフーの皆さんも当時、かなり細かく絞り込めるターゲティング広告に驚いていました。

フェイスブック、日本第1号社員に

作野:ヤフーからフェイスブックに転職されたきっかけは何だったのでしょう。

児玉:フェイスブックを日々研究する中で、本社の人と交流する縁を得ました。そんな中、フェイスブックの人から「いつもありがとう。お礼がしたいからサンフランシスコに遊びに来てくれ」と言われてチケットが送られてきたのです。会社を休んで遊びに行ったら、いきなり面接でした。会議室に閉じこめられ、10人くらいの方々と順番に話をしした。そして最後にマーク・ザッカーバーグが現れて「日本でやるならどういうふうにする?」と聞かれ、「僕がやるならフェイスブックらしさをそのまま活かしたい」と話をしたら、その日の内に「いくらでヤフーを辞める?」って聞かれました。当時はヤフーに恩返ししながら、最終的には社長になる気持ちでいたのですが、思わず「いくらでも辞めます」って答えてしまいました。

作野:その結果、日本版フェイスブックの1号社員になったと。

児玉:ええ、1人でのスタートだったので大変でした。

作野:言語のみならず文化とユーザーが異なる日本市場では、どのような戦略を取ろうと考えられたのですか。

児玉:ヤフーからフェイスブックの1号社員が出ということで、前職の同僚や友人がいつも遊びに来てくれて、そのたびにいろいろな意見をくれました。そんな中、マーケティングやPRの前に日本国内のパートナーを見つけるという戦略を取ることにしました。ただ、どうやってパートナーを見つけたら良いかが分からない。そこで、ヤフー時代にパートナーシップのプロと僕が仰いでいた森岡さんという人にお声掛けしたんです。すると「5分で行くよ」とすぐに来て頂けました。森岡さんにはその後、2号社員としてチームにジョインして頂き、結果的に電通、KDDI、ソフトバンク、ヤフー、リクルートなど多くの企業と協業契約を交わすことができました。自分たちでマーケティングやプロモーションをしなくても、周囲がフェイスブックを押してくれているという状況が非常に面白かったです。ただ、4年半ほど経ったころ、日本のユーザーが2,000万人を突破しフェイスブックも上場を遂げ、初期の段階で僕ができることはこれくらいかなと思い、フェイスブックを辞めることにしました。

オーストラリアは新しいものが生まれる国

作野:フェイスブックを辞められた後、ご自身の会社、アンカースターを立ち上げ、現在はさまざまな海外企業の日本参入を手伝われていらっしゃいます。日本企業の抱える課題など感じられていることがあればぜひ教えてください。

児玉:日本の会社の多くは、日本国内の競合を見ています。しかし、グローバル進出を考えている企業が日本進出の際に見ているのは、国の経済力はもちろん、国民1人当たりのGDPなど客観要因です。それらのデータを参照しながらどの国からアプローチしていくかを考えます。「たまたま日本が3番手だから来ました」とか、そのような感じなのです。そして、訪れた各国から市場に合わせた要望が進出企業に上がります。当然、日本人は「日本のマーケットは特殊だからこう対応すべき」と主張しますが、どこの国もそれは変わりません。もちろん、日本人の僕としては日本向けに直してもらいたいところは多くあるのですが、グローバル企業の本社からしたらそれはとうてい無理な話。なぜなら日本はいちマーケットにすぎないわけですから。

作野:多岐にわたる市場を見られている中でオーストラリアという国をどのように感じられていますか。

児玉:最初にアメリカなどとの違いを感じたのは食べ物ですね。東京やニューヨークではやはり皆さん、オーセンティックが好きじゃないですか。ただ、オーストラリアではオーセンティックが売りになっていないのです。多様な人種が多く、かつ、みんな友達になって、いろいろ遊んでいるうちに新しい味が生まれているのではと感じました。また、アメリカに比べてマナー1つ取っても、みんなすごくやさしい。国内線の飛行機でも、ニューヨークであれば到着したら出口に我先にと殺到です。だけどここでは全員が全員を譲り合っている。日本人よりマナーが良いと思いました。そう思いません?

作野:相手のことをきちんと考えられる心を持っている人は多いと思います。アメリカでは、アメリカンにならないと最終的には社会には受け入れられないですよね。

児玉:ええ、見えないピラミッドがあるんです。

作野:ちなみに日本の地方で、日本人も乗らないようなローカルのバスに待っている外国人って実はオーストラリア人が多いと知っていますか?

児玉:え、そうなんですか !?

作野:オーストラリア人は僕たちもめったに入らないような地方の食堂、めったに乗らないようなバスを待ったりします。旅行した時の多文化への知的好奇心が非常に高いのと、あと心理的にも冒険が大好きですね。

児玉:多文化を受け入れる土壌があるので、他の国でも、そこの文化を楽しむスキルを持っているのかもしれないですね。いずれにせよ、オーストラリアに関して言えば本当に人が全て、すばらしいと思います。今よりもっとたくさんのオーストラリアの人たちに、どんどん日本に来てもらいたいと思いますし、こんなに日本人にとって過ごしやすい、受け入れてもらえて働きやすい、そして日本にはないような自然を満喫できる場所はなかなかないので、何なら1,000万人ぐらいオーストラリアに引っ越して来たらいいんじゃないでしょうか(笑)。

遊びながら仕事をする

作野:日本におけるオーストラリアのイメージって、コアラ、カンガルー、オペラ・ハウス、ウルル、そしてビーチの町など偏っていて、そこからあまり発達していませんよね。どうすれば日本でもう少しオーストラリアのことを分かってもらえるのでしょうか。

児玉:今回僕は2週間滞在しているので、レンタカーを借りて地方の都市などにも行ったのですが、日本と違って高速道路で目的地に一気に向かうという設計にはなっていないですよね。日本だと大阪まで行く途中に出口を下りない限り、そこの途中の町は見られないですが、オーストラリアでは町が近づいてくると制限速度が遅くなり、町を通り、そこを抜けるとまた制限速度が上がります。つまり、メルボルンまでシドニーから頑張って運転しようと思えばその途中の全部の町を通って見ることができるわけです。そんな中、どこかのある村で食べたサンドウィッチが人生で一番おいしいサンドウィッチだったというような体験もあるかもしれないのです。観光地もすばらしいですがぜひ3泊4日などではなく、ゆっくりと移動を楽しんで頂き魅力を知ってもらいたいと思います。

作野:有給が取りづらいなどといった理由で3泊4日のせかせかした海外旅行が日本人のメイン・ストリームですが、今は「ブレジャー」という言葉もあるように、旅の途中で仕事の時間をきちんと作れれば2週間程度の旅は可能ですよね。児玉:そうだと思います。「2週間シドニーに行き、普通に仕事もする」ということもできるわけです。それでも朝は散歩できるし、夜はおいしいごはんを食べられるし、週末は足を伸ばしてワイナリーめぐりもできるのです。行き先はニューヨーク、ロンドンなど、もちろんどこでも良いですけど、オーストラリアは世界を学ぶには最高かもしれません。

作野:オーストラリアには約270の異なる背景を持つオーストラリア人がいますからね。ここに来ることでイギリス人、アメリカ人、スペイン人、南米、そしてアジア各国の人びともいますので、本当に皆に会えてしまう。

児玉:そしてオーストラリアにいる方々はみんなすごいおしゃべりが好きですよね。「俺はどこから来た」みたいな会話が、タクシーでも、どこかの待合室でも当たり前に行われます。

作野:その通りですね。では最後に読者へのメッセージを頂けますか。

児玉:「日本と世界」という感じで捉えている人が日本ではほとんどだと思いますが、日本も世界の一部に過ぎません。出たもの勝ちだと思うんです。まずはぜひオーストラリアへ!

作野:素敵なメッセージ、ありがとうございます。

(3月3日、日豪プレス・オフィスで)





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