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オーストラリア・ワーキング・ホリデーの概要や歴史/ビザ・コンサルタントが解説するワーホリのメリット③

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第3回:オーストラリアワーキング・ホリデーの歴史と変遷

 皆様、こんにちは。東京を拠点にオセアニア・ビザ・コンサルティング事業を運営している、AOMビザ・コンサルティング代表・足利弥生と申します。

 日本は4月から新学期、学校や企業は新たな気持ちで春を迎えたことと思います。最近は大学を休学し、1年海外留学をして復学後、就職活動やその後のキャリアに生かすような目的でワーキング・ホリデーを活用する学生も増えてきました。この春に渡航した方も多いと思います。近年、耳慣れたワーキング・ホリデー・ビザについて、今回はその概要や歴史、どのような変遷があったかをご紹介します。

ワーキング・ホリデーの概要

 2024年4月現在、オーストラリアは48カ国と協定を結び、ワーキング・ホリデーにおいて以下2つのクラスが存在します

①Working Holiday(417)19カ国、発給枠無制限
②Work and Holiday(462)25カ国、発給枠あり

日本人は①に該当します。おおむね先進国の人が①に該当し、②は2005年に開始した新興国を中心とする国籍のプログラムとなりますが①②ともに目的は若者の人物交流と就学、就労の機会を通じてオーストラリアを体験してもらうプログラムとなっています。

 一般的に18~30歳までの扶養家族がいない若者が対象で、基本健康や経済的な要件を満たす人にはほぼ問題なくビザが発行されます。ただし②については、各国の協定内容に準じ、学歴や英語力、協定国政府からの推薦状などが必要となります。どちらのクラスも許可されたら1年間居住が可能となり、うち、4カ月までの就学、そして、就労は1雇用主につき6カ月まで可能という条件のもと自由に就労が可能となります。2022年度は①②合計で20万人以上にビザが発行されており、特に「観光業界」のみならず、地方における労働市場への貢献となる柱にもなっています。

 日本人には②はなじみがないと思いますので、まずは歴史について紹介したいと思います。

ワーキング・ホリデーの歴史

 私が在日オーストラリア大使館に勤務していたのは1997年11月~2006年11月の9年で、まさにこの期間はビザ・システムのオンライン化やワーキング・ホリデー政策が最も大きく変わった時期でもあり、この変遷を体感しました。

 もともとは若手人物交流や体験を通じて、オーストラリアで就労や就学体験を広くする目的として1975年にイギリス連邦国(イギリス、アイルランド、カナダ)、そして日本は1980年、4番目に開始されました。イギリス連邦以外で日本が初めてだった点は興味深いです。

 南半球の地の果てにあるオーストラリアにとって、グローバル市場において国の認知度アップや人口政策をふまえての構想だったのではないかと推察します。人口の少ないオーストラリアへ一気に若者が流入することで多くの若者が旅行や就労を目的に南半球に渡航するようになりました。

 日本は80~90年代、バブル経済と共にオーストラリア観光業への投資が活発となり、ワーキング・ホリデーによる観光業を支える人材が多く活躍した時代となり、日本人観光客は80万人という記録になったのも、その頃です。来豪した若者は就労のみならず、バックパッカーとしてオーストラリア周遊や多岐にわたる地方に訪問し、滞在するという行動にもオーストラリア政府は注目しました。こうした中で、考えられた構想が「セカンド・ワーキング・ホリデー」という制度です。

 もともとワーキング・ホリデーは「休暇をメインとして、滞在費を補うために就労する」というポリシーのもと開始されましたが、現実問題として、地方における一次産業の労働者不足は深刻でした。特に季節労働者獲得は地方では困難である点から、政府は決められた地方(郵便番号を基礎)で3カ月以上「特定労働(Specified work)」をした場合は、ボーナスとして更に1年間ワーキング・ホリデーとして滞在できる制度を2005年より開始しました。

 その頃から政府はワーキング・ホリデーで「就労」することに対し肯定的な解釈をし始めたのも大きな変革でした。若者はもちろんオーストラリアに長期滞在することを望み、積極的に地方での就労に出掛けました。そうした効果から特に農業業界における貢献は絶大となり、繁忙期の労働者としての位置付けが定着していきました。日本側では「“Pick Australia”─ワーキング・ホリデーでフルーツピッキング!」というキャッチフレーズを掲げ、在日オーストラリア大使館のビザ・セクションで、そのキャッチフレーズが入ったポロシャツを着たスタッフが広報していたことも懐かしい出来事です。

 同じく2005年に「Work and Holiday Visa(462)」というビザが施行されました。目的はほぼ417と同様ですが、対象国が中国を含む新興国となり、417と比較すると学歴や英語力、政府からの推薦など要件が協定国によって異なります。他国を見ても新興国の若者が自由に就労できるという国はほとんど存在しない中、非常に寛大なビザでもあり、受入国としては大胆な政策と感じましたが、その施行以降、オーストラリアは成功を実感しながら協定国を拡大していきました。417、462共に若者の最大のモチベーションは何よりもオーストラリアに長期滞在し、就労経験をしてチャンスがあれば就労ビザや永住にもつながるという点であり、多くの成功者が存在します。そのためにはなるべく長期滞在し、就職活動をしたいため、セカンド・ワーキング・ホリデーを目指す人も増えていきました。

 そして2019年7月、オーストラリア政府はサード・ワーキング・ホリデービザを開始しました。これはセカンド・ワーキング・ホリデー時に6カ月以上特定就労した人は更にもう1年申請が可能となる、という要件です。2005年以降セカンド・ワーキング・ホリデーの10年の実績を見て着実な経済効果や成功を確信したゆえの政策と思います。417も462も基本これらセカンド・ワーキング・ホリデーやサード・ワーキング・ホリデー・ビザの要件は同じになるため、実情としてやはり永住などを真剣に検討したい国籍の人がサード・ワーキング・ホリデー・ビザを取得していると感じています。日本国籍は圧倒的に少ないですが以下がサードまで取得するトップ5となります

【417ビザ】①イギリス②台湾③フランス④アイルランド⑤イタリア
【462ビザ】①インドネシア②ベトナム③中国④アルゼンチン④チリ

オーストラリア政府観光局による広報

 こうした中で一番大きく変貌したと感じるのは、広報のアプローチです。私が大使館に勤務していた当初のオーストラリア政府観光局における「観光」の定義は「3カ月未満」であり、この「観光」を広報活動の中心としていました。そのため、ワーキング・ホリデーについての広報はあまり行われていなかった印象です。

 しかし、2005年以降、セカンド・ワーキング・ホリデーと462の施行により、ワーキング・ホリデーをとりまく状況が大きく変わり、データでも経済促進においても重要な柱となってきました。2019年に政府は大々的なキャンペーンを決め、「世界で最適な就労場所(Best workplace in the world)」として、国を「オーストラリア会社(Australia Inc)」と称して積極的にワーキング・ホリデーで就労を!と広報するアプローチとなり、非常に先鋭的な変化と感じました。以降、オーストラリア政府観光局のウェブサイトにはワーキング・ホリデー・ビザについての情報が詳細に掲載されるようになり、観光のみならず仕事の見つけ方から過ごし方まで多岐にわたる情報を提供しています。

 時代と共にワーキング・ホリデーの政策は若手誘致による経済促進へと大きくシフトし、政府はコロナ禍を経て更に柔軟に活用してきた印象です。

 一番大きく変化したのはやはり、「オーストラリアをより多くの若者に体感してもらい、就労体験も積極的にしてもらう」というアプローチに変わった点かと思います。背景として地方における労働不足の担い手にワーキング・ホリデーによる貢献が、顕著に経済効果になるというデータから政府は確信し、今後も更に協定国を増やしていきたい意向があります。

 これからワーキング・ホリデーを検討する人に、こうした背景を知って頂き、オーストラリア政府観光局のウェブサイトなどを活用して、より充実した滞在にするにはどのようなスケジュールを組むべきか、参考にして頂ければと思います。

(出典:オーストラリア内務省、オーストラリア政府観光局)

AOM Visa Consulting

足利弥生
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