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オーストラリアの田舎で暮らせば㉓ユーカリの森を歩くと見えるもの

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 住まいに隣接するユーカリの森を歩きながら、葉や幹に手を触れ、深呼吸をしてにおいを嗅ぐ。約800種もあるユーカリの木は森林火災との関係について語られることが多いが、オーストラリアの生態系の中で果たす役割はそれ以上だ。生き物を育み、人間の暮らしを助け、絵本の主人公にもなり、ユーカリは当地の文化を形作る存在でもある。(文・写真:七井マリ)

オーストラリアの生態系に欠かせない存在

見上げるとめまいがしそうなほど高いユーカリの木々

 風で落ちたユーカリの葉を手に取ってこすり合わせると、青々と清らかな香りに胸がすっとする。微かなメントールの奥からハチミツが香るようなイメージだ。

 住まいの周辺に群生するスポテッド・ガム(spotted gum)やブラックバット(blackbutt)など複数種のユーカリは、最大で20階建てのビル相当の樹高に育つ。樹冠を見上げれば人間の小ささを思い知るのには十分だ。葉や花はほとんど上部に付き、その周りを飛ぶ鳥や虫の姿をはっきりとは見えないが、ユーカリの森が育む生命の気配は感じられる。

 ユーカリの幹は樹齢に伴って太く頑丈に育ち、強風で大枝が折れた跡などにできるうろ(樹洞)には鳥や獣が住み着く。太い木の大きなうろでのみ産卵する絶滅危惧種の鳥もいて、樹齢の高いユーカリが伐採されずに残り続ける意義は極めて大きい。オーストラリアの生態系とユーカリの不可分なつながりを、森の中を散歩しながら改めて思う。

 晴れた朝や日没前は、ユーカリの森を透かすように射す陽の光が美しい。堆積したユーカリの落ち葉や樹皮を踏んで森の中を歩くと、森と自分との境界が薄れるような気分になる。

ユーカリの森の子どもたち

糸状の多数の雄しべが目立つ綿毛のようなユーカリの花。周りに散っているのも雄しべ

 絵本作家のメイ・ギブス(May Gibbs)は1900年代前半に、オーストラリアの草木を主人公とする「ブッシュ・ベイビーズ(Bush Babies)」という絵本シリーズを描いた。日本語で「森の子どもたち」といったところか。ユーカリの実や花を題材にした愛らしいキャラクターと詩的な物語が有名で、ワライカワセミやポッサムなども味のある脇役として登場する。

 ユーカリの小さな花は、高い樹上に咲くので目立たない。ギブスはそれを内気で心優しい花の子と表現し、その小さな命を慈しむように言葉を紡いだ。

“When twilight
deepens into dark,
and the last tint of
sun has stolen
from the distant
hills, the little
Blossoms fold
their petals about
them and close
their eyes in sleep.

ほの暗い
夕ぐれが
やみに沈み
とおくの山から
夕ばえの最後の色が
ひっそり消えるころ
ユーカリの花の子は
花びらをたたみ
おやすみの
目をとじる。”

『ブッシュ・ベイビーズ』より
(メイ・ギブス著、伊藤延司・マーガレット・プライス訳、毎日出版社)

 日本に住んでいたころ、オーストラリアの友人から贈られた日本語版の絵本でギブスを知った。ユーカリの花や実を見たことがなかった当時、ギブスが描き出すオーストラリアの豊かでユニークな生態系は遠くまばゆい不思議の国のように映った。

 「ブッシュ・ベイビーズ」の世界観が現実の自然に根差したものだと実感したのは、オーストラリアの田舎町に移り住んでからだ。窓の外のユーカリの森の輝き、風に乗って地上に降りる花や実、枝から枝へ飛びながらおしゃべりをする鳥たち。手元に今もある絵本を開くと、まるで目の前の景色がページからあふれ出すような心地がする。

ガム・ナッツを食べる生き物

強風の後に、成熟して固くなったユーカリの実が落ちていた

 日本語では「ユーカリ」だが、オーストラリアの日常会話にはユーカリプタス(Eucalyptus)という学名は頻繁には登場せず、ガム・ツリー(gum tree)の呼称が一般的だ。イギリスの探検家がオーストラリアに上陸したころに、ユーカリの木が分泌する粘度の高い樹液(gum)を見てガム・ツリーと呼んだことが語源という説がある。

 ガム・ナッツ(gum nuts)と呼ばれるユーカリの実は木質で固く、小さな鐘の形をしている。人間は食べられないが、ガム・ナッツを餌にする野鳥は多い。

 秋のある日、ユーカリの森の中で長く高い鳥の声を聞いた。黒い体の一部に黄色をちらつかせた3羽が遥か頭上を飛び、まだあまり高く育っていないユーカリの木に舞い降りた。固有種のオウムの1種、イエローテールド・ブラックコカトゥー(Yellow-taild Black-Cockatoo/和名:キイロオクロオウム)だ。短いくちばしで枝先から何かをむしり取る動きを繰り返していたのでガム・ナッツを食べていたのだろう。私の視線を気にしたのか飛び去ってしまい、食事の時間を妨げて悪いことをした。

昔も今も暮らしの一部として

スポテッド・ガム(左)は樹皮がはがれ落ちる性質があり、露出した形成層は滑らかな手触りだ

 ユーカリの葉は虫などの食害を防ぐために抗菌や鎮静作用のある物質を含む。それらの成分はオーストラリア先住民の間で、人間の傷、発熱、呼吸器疾患などを癒やすために役立てられてきた。ユーカリの種類によって性質に違いはあるが、幹でカヌーや楽器、狩りの道具を作り、樹皮は染め物やアート作品に使い、樹液は接着剤などにしたという。ユーカリが昔から人間の暮らしの一部なのだと知ると、散歩する森の見え方も違ってくる。

 直線的に伸び、固く腐食に強い幹を持つ一部のユーカリは、欧州からの入植後には木材として船舶建設に使われた。私が暮らすサウス・コースト地方には、優れたユーカリ材が多く採れたことから造船業で栄えた歴史を持つ町もある。木製の船の時代は過ぎたが木材としては今も使われ、ユーカリの成分が入ったのど飴や洗剤なども日常に溶け込んでいる。

 生態系にとっても人の暮らしにとってもユーカリが大切である一方で、不当な大量伐採のニュースも聞く。日本における屋久杉のような樹齢500年超の希少なユーカリを木材チップにして輸出する企業と政府への批判の声は国内外から上がっていて、その木材チップを買い求める主要国の1つが日本だという事実は心を重くする。できることなら、本当に必要な時に少量だけをありがたく使わせてもらうような、負荷の少ない自然との関わり方へと人間の歩みを速められたらいい。オーストラリア先住民の文化がそうして続いてきたように、それは私たち人間にとって可能なことなのだから。

著者

七井マリ
フリーランスライター、エッセイスト。2013年よりオーストラリア在住





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