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「このままでは日本の外交は地盤沈下してしまう」─ 日本でベストセラー連発の元外交官・山上信吾氏がオーストラリア・シドニーで大いに語る

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 2020年から23年にかけて駐オーストラリア日本国大使を務めた日本の元外交官であり、現在は外交評論家として数々のメディアで活躍する山上信吾氏が8月、シドニーを訪問。山上氏と旧知の中であり、在豪日系企業の中でも特に勢いがあり注目を集めるdoq®社の創業者・グループ·マネージング・ディレクターである作野善教氏が、オーストラリアの魅力、さらには日本の外交が抱える問題などについて話を聞いた。
(撮影:クラークさと子


作野 :元駐豪日本国大使の山上さんにとって、オーストラリア駐在時に最も印象に残った出来事は何でしたか?

山上:オーストラリアの各地に日本人の足跡がしっかりと残っているのを目の当たりにしたことです。日本にいると、オーストラリアの情報があまりに少ない。シドニーに支局を置いている大手新聞社は日本経済新聞のみですし、非常に深い交流のある国にもかかわらず、日本のお茶の間には情報が届いていません。ところが、実際に住んでみると木曜島の真珠貝のダイバー、シドニー湾の特殊潜航艇、カウラの大脱走など歴史上の接点も多いですし、現在ではNSW州の石炭、西オーストラリア州の鉄鉱石、さらには北部準州のガスなど、日本との協力なくしてこの国がここまで発展できなかったというのは一目瞭然です。日本の足跡が所どころに感じられる国であったというのが強烈な印象でした。

作野 :同じように多国籍国家であるアメリカの日系人社会と、オーストラリアの日系人社会を比較した際には、どのような違いを感じられますか。

山上:決定的な違いは、オーストラリアはかつて白豪主義で、日本からの移民が原則許されなかったことです。日系アメリカ人のコミュニティが根付いていたアメリカ社会と、後に日系オーストラリア人になる人がほとんどいなかったオーストラリア社会の違いはことのほか大きいと思います。人の声や考え方を反映するという意味で日系アメリカ人社会は相当大きな役割を果たしてきました。ただ、オーストラリアでその違いを補いつつあるのが、在留邦人の活発な活動だと思います。10万人規模の在留邦人がいて、その数は世界第2位の中国に迫っている。これだけ交流が盛んな国は日本にとってたいへん貴重です。日本人は、オーストラリアをさらに進化させられると思います。私はオーストラリア人の前でスピーチをするたび強調してきましたが、オーストラリアは「三拍子揃っていい国」です。気候、食生活、そして人です。オージーは単刀直入で、気に入らなければ主張するし、良いと思えば素直にうなずく。さらに、日本に対して大抵の方が暖かな気持ちを持っている世界的にも珍しい国だと思います。

山上信吾氏
外務省国際情報統括官、外務省経済局長等を経て、2020年には駐オーストラリア特命全権大使。2023年に退官。2024年現在は、TMI総合法律事務所特別顧問、笹川平和財団上席フェロー等を務める。著書に、『南半球便り 駐豪大使の外交最前線体験記』(文藝春秋、2023年)『中国「戦狼外交」と闘う』(文春新書、2024年)『日本外交の劣化 再生への道』(文藝春秋 2024年)
作野善教
オーストラリアを拠点とした日系マーケティング会社、doq®創業者。米国広告代理店レオバーネットでAPAC及び欧米市場での経験を経て、2009年に同社を設立。2021年NSW州エキスポート・アワード・クリエイティブ産業部門最優秀企業賞を獲得した。著書に『クロスカルチャーマーケティング』(宣伝会議、2022)

他国の大使との熾烈な競争

作野 :今年は歴史的に、オーストラリア人が訪日外国人として、最も多く訪れる年になると予測されています。100万人に届く勢いです。

山上:観光の伸びは非常に重要です。日本の観光地の皆さんにとって、インバウンドの念頭にあるのは中国、台湾、香港、韓国、シンガポール、タイなどアジアの近隣諸国だと思いますが、オーストラリアのポテンシャルを活用しない手はありません。時差もなく、雪の魅力もあり多くのオーストラリア人が日本に注目しています。また、もう1つ大事なポイントとして、日本各地のリゾートの格を維持するという視点に立った場合、例えば「爆買い」で知られるような国に一本足打法で頼るのは非常に危険ということが挙げられます。リゾートの格が下がる可能性があるとともに、日本人も行きたがらなくなるからです。オーストラリア人に関しては、ニセコ、白馬などリゾートの格を維持している成功例がいくつもあります。日本のリゾートを世界レベルのリゾートに向けて格上げしていく発想を持たなければなりません。

作野 :駐豪大使時代に特に重要だと感じた課題はどのようなものでしたか。

山上:「物申す大使」であらねばならないということです。日本の外務省には物を申せない人が多くいます。厳しい言葉で言えば危険回避、それから知的怯懦、要するに臆病ということですね。国際社会においては発言しないとまず相手にされません。特に、オーストラリアのような外交上非常に重要な国であれば日本の国益に関わるような事項はいくつもあります。日豪が緊密に連携し、足並みを揃えて対処することが大事ですし、経済、安全保障、人的交流など各場面で日本のものの考え方や立場を伝えていくことが必要です。大使に就任する際、オーストラリアの知人からは「インパクトのある大使になってくれ」と言われました。大使は一国に1人しかいないため、安定したポジションと考える人も少なからずいるかと思いますが、実際は熾烈な他国の大使との競争があります。どうやって日本という商品を売り込むか、それが大使の仕事の真骨頂。他国の大使を可能な限り、絶対的に凌駕する。それが私のモットーでした。

 そのような姿勢が評価されたのか、離任間際にオーストラリアのメディアの方々から「ナンバーワンの大使」とお褒めいただきました。今着けている時計はセイコーの限定販売のユーカリという時計なのですが、実はジョン・ハワード氏、トニー・アボット氏、スコット・モリソン氏ら豪州の元首相の3人からの共同プレゼントで、バンドには「貴使の勇気と知的リーダーシップへの感謝を込めて、3人の元首相から、日本の最も偉大なる大使へ贈ります(Three PM’s tribute to Japan’s greatest envoy, in gratitude for your courage and intellectual leadership)」と刻まれています。

 今の時代、ワーク・ライフ・バランスを重視する外交官も多く、「山上さんは何でそんなに肩に力が入っているの」と冷ややかに見ている人がいることも知っています。しかし、私はそういう姿勢でいると日本はどんどん地盤沈下してしまうと思います。与えられた場所で最大限力を尽くす、そういう心意気を持った人間が集まって初めて、外務省というのは匠の集団として機能するのではないかと考えています。

作野 :これまで見たことがないコンフィデンス、リーダーシップ、国際感覚、語学力、コミュニケーション力、プレゼンテーション力など、山上さんに初めてお会いした時にこんな方が政府系組織にいらっしゃるのかと驚いたことを覚えています。

山上:汗顔の至りですが、高みを目指して日々研鑽するのが大事だと思うんですよね。実は辞めた後に、多くの方が外務省は弱腰というステレオタイプを持っていることに愕然としました。この考えが幅を利かせてしまうと、ますます人材が外務省に行かず、日本の外交は弱くなります。それはあってはならないことです。外交は日本にとって重要な機能なのでそこに二線級の人材しか集まらなくなったら世も末ですよ。どうやって良い人材を集めて鍛え、世界に通用する人材にしていくかを真剣に考えなければならないと思います。

「大事な仕事への意欲が失せてしまっては世も末」

作野 :辞められてから執筆された本が軒並みベスト・セラーとなっております。

山上:おかげさまで多くの方に読んでいただいておりますが、なぜ短期間で複数の本を書いたかというと、私がやったことをきちんと同輩や後輩に伝えつつ刺激を与え「自分は山上を超える」という気概を持って欲しいと思ったからです。

作野 :具体的に本で主張されていることについて、お聞かせ頂けませんか。

山上:3冊目の本(『日本外交の劣化 再生への道』文藝春秋 2024年)でも強調したのですが、今外務省では、有能な人間がどんどん辞めているんです。他の主要省庁もそうですし、大手商社などでも辞めることが常態化しており、終身雇用制度はもう崩れつつあります。外務省でも総合職の人間を中途採用で採るようになりましたが、そうしないと回らない状況になっているのです。先ほど外務省の評判についてコメントしましたが、一方で外交自体に興味を持っている人は多くいるのです。例えば私が顧問をしている法律事務所は間もなくシドニーに拠点を設けますが、国際的に活躍したいという若者も多く、私はそういった人材が、将来外務省に出向し、大使として海外に出ていくというような流れになることを期待しています。法曹界だけでなくメディア、商社マン、銀行員など、業界を超えてオールジャパンで外交をやっていかないと日本外交はますます地盤沈下していきます。

作野 :日本の良いところ、日本の魅力をオーストラリアの人たちに伝えるというのが私の仕事ですが、言わばそれも1つの外交です。それを生きがいとして常にやっている人々を外務省の外交官が束ねてくれるといいですよね。

山上:良いご指摘です。私が長年付き合っているアメリカ人で、WTOの幹部ポストを務めてきた友人が来日した際、外務省関係者以外に海外で揉まれてきた通信社のジャーナリストも交えて意見交換をしたのですが、英語のレベル、会話の質が、通信社の古手のジャーナリストのほうがはるかにレベルが高かった。これは深刻な問題だと思いました。外務省の若手は何を勉強しているのかと憤りを覚えました。ゴングが鳴っても椅子に座って立ち上がれないボクサーのような人がいっぱいいるのです。あるOB大使が「外務省も真剣に経済安全保障に向き合わないといけない」と言った際には「外務省にそんな余裕はありません」という答えが次官から返ってきたそうです。日々の業務が忙しすぎるのか分かりませんが経済安全保障という大事な仕事に正面から向き合う意欲が失せているというのは世も末。しっかりと制度の見直しをしないと日本外交の未来は真っ暗です。待ったなしの状況と言えるでしょう。

作野 :メインの職を持ちながら外交官として活躍できるようなシステムがあると良いかもしれないですが、日本の外交難易度はかなり高いですよね。

山上:ええ、語学力はもちろん、国際情勢のフォロー、スピーチ、テレビインタビュー、プレゼン力も必要ですから「海外業務をやっていました」「ハーバード大学に数年留学しました」という程度でやりこなせるような甘い世界ではありません。例えば、昔大手商社の大幹部だった人物が主要国の大使になったことがあるのですが、歴史問題、領土問題に関してあまり勉強しておらず、厳しく批判されました。若い頃から海外でしっかりともまれ、外交の現場で一定の成果を上げてから大使、総領事として戻ってくる。こういうリボルビングドアを民間と省庁の間で作っていくことは不可欠だと思います。

ローリスク・ローリターンの弱腰外交

作野 :日本に帰国され、さらに外務省を離れられたわけですが、現在客観的に日本の政治経済、社会の変化をどう感じられていますか。

山上:第二次安倍政権の際、「自由で開かれたインド太平洋」という世界に通用するコンセプトを打ち出し、その実現に向けてQUAD(日米豪印)を主導しました。戦後の日本外交としては金字塔にふさわしい貢献だと思いますが、今回日本へ帰って感じたのは、そのレガシーが崩れつつあり、第二次安倍政権前の右往左往する状況対応型に戻っていたことです。それが非常に残念で、私が外務省を去ることを決めた最も大きな理由の1つでもあります。「怒るときに怒れない」「ことを荒立てるべきでない」というような姿勢で、事態を不自然に沈静化させる動きも見られます。これではとても精強な外交などできません。情けなく思うとともに大変な危機感を持っています。

作野 :そのような姿勢の根本原因はどこからきているのでしょう。

山上:この弱腰姿勢を因数分解すると、いくつか要素があります。1つは日本人が持っている文化的背景。大方の日本人は目の前にいる人と言い争うことを好みませんよね。「和をもって尊しとなす」という姿勢は、世界の諸民族の中でも特に強いと言って差し支えないでしょう。しかし、領土問題など絶対に譲れない事例は数多くあります。1990年代初頭の慰安婦問題の対応などは分かりやすい例です。外交的解決を急いで謝罪しましたが、一度謝ってしまうと、日本は悪いことをしたというイメージを世界に拡散することになります。また、謝って済むはずはなく、お金、補償、さらには追加の謝罪など問題は拡散していきます。その展開を読めず妥協に入る甘さが政治家にも外交官にもありました。

 そして次に政治家の問題です。40年間のキャリアの中で、政治家から「日本の言い分だけ言って帰って来い」と言われたことは一度もありません。大体において「何とか頑張ってまとめて来てくれ」と言われます。しかし、実は交渉は壊すくらいの胆力がないと、なかなか有利な条件でまとまらないのです。場合によってはwalk awayするくらいの強い気持ちで臨まなければならない。そこは外交官のみならず政治家の問題とも言えるでしょう。

作野 :ローリスク・ローリターン、ハイリスク・ハイリターンというのが世の中の原則ですから、おそらくその交渉もローリスク・ローリターンを強いられているのかもしれないですね。

「日本というブランドを作ってきた先人に感謝」

作野 :日豪プレスの読者には人生の転換期を迎えているなど「何かしらのトランスフォーメーションを自身でしたい」と考えている人が多くいます。日本の外交未来を見据え、世界で活躍する若者に対して具体的にどのような経験やスキルを積むべきかアドバイスをいただけますか。

山上:『遥かなるケンブリッジ』『若き数学者のアメリカ』『国家の品格』などの著者で知られる評論家の藤原正彦さんの言葉に「外国で暮らすということは常に、過剰に日本を意識することだ」という言葉があります。海外で生活するからこそ日本の良さが分かるという側面は間違いなくあるので、自身の根っこに日本があることを大切にすべきだと思います。一昔前は、日本から来たことをできるだけ表に出さないようにし、その地に入り込んで暮らしていくというスタイルを貫く日本人が相当数いたように記憶しています。しかし、それはもったいないことです。ニューヨーク、ワシントン、香港、ジュネーブ、ロンドン、キャンベラなど数々の地に滞在しましたが、どこにいても感じたのは、国として日本ほど強いブランドはなかなかないということです。ハードパワーのみならずソフトパワーも含めて、このブランドを利用しない手はありません。日本人というだけで大事にしてくれる国は相当数あります。この点においては我々は先人に感謝しないといけないと思います。そうした積み重ねの上に日本は立っているので、これを若い人には意識してほしいです。

 また、私も若い時に苦労したのですが、日本で起きていること、日本文化をきちんとその国の言葉で説明できることが重要です。例えば「初詣ってなぜ行くの?」と聞かれた時にきちんとその国の言葉で説明することができますか? 外交官という肩書はなくとも、実は皆、外交に携わっているんです。そこを意識していただきたいのと、もう1つは、日本にいる時と海外にいる時にはギアの切り替えが必要だということです。私も日本語を話す時と英語を話す時では、人格をある程度意識的に変えるようにしています。あえて攻撃的に反論するような気構えがないと欧米社会ではなかなか相手にされません。付加価値をつけた議論、インパクトのある議論ができないのは日本人の長年の課題なので、若い人にも意識してほしいです。日本にいれば年長者が話すことにニコニコ笑って頷いていれば「いい子」で済むのですが、海外に出た時にそれは通じませんから。

作野 :まさに仰る通りで、こちらの人とビジネスをする時は完全にギアを切り替える必要がありますね。日本人的な感覚で多少強めに言ったところで彼らにとってみたら何てことありませんから。

山上:ええ。一方で、日本人にとって美徳とされているものは、多くの国でも同様に美徳となるのも確かです。大谷翔平選手がなぜあれだけアメリカでハウスホールドネームになって好かれているかというのは、彼の人懐っこさ、人の輪の中に入っていける開放性、積極性など野球だけではない技量があるからなんですよね。人格的な面を培ったのは日本社会ですから、良いところはそのまま活かせば良いわけです。その上で、心に鎧をつけて一戦交える気持ちでないと通用しないのが国際社会です。そのあたりの感覚は若い皆さんに一刻も早く体得してもらいたい。そのために、早く世界に出てみるというのは貴重な体験になると思います。

作野 :すばらしいアドバイスありがとうございました。

(8月1日、シドニー・ピアモントで)

右は山上夫人




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