地方部での近所付き合いというと以前は濃く親密な関係をイメージしていたが、私が暮らすサウス・コーストの田舎町は少し違うようだ。地方部への移住当初から、オーストラリアらしい「広さ」が隣人との距離感に与える影響を感じることもある。人のさり気ない温かさに触れながら、不測の事態が起きた際の協力も頭の隅に置きつつ、マイペースに近所付き合いを楽しんでいる。(文・写真:七井マリ)
隣人の暮らしが見えない距離で

この辺りの田舎町では住宅が密集しているエリアもあれば、隣家まで歩いて5〜15分というエリアもあり、私の住まいは後者に位置する。丘や森が家々を隔てているので、近くまで歩いて行って見ようとしなければ隣家は目に入らない。ほんの時折、誰かの飼い犬のほえる声や幼い子の可愛らしい歓声が遠くかすかに聞こえる程度で、それがなければ周辺に人が住んでいることを忘れてしまいそうだ。
物理的な距離に比例してか、近所付き合いもあっさりと心地良い距離感が保たれている。静かな田舎を選んで住んでいる人も少なくないうえ、現代オーストラリアの個人主義の土壌もあり、自分らしいペースや人との快適な距離を大切にするのだと思う。しかし人間関係が希薄かというとそうでもなく、道で会えば皆にこやかにあいさつをするし、何かあったら助け合おうという意識も感じられる。広いオーストラリアの全ての地方部を知っているわけではないが、少なくともここではそうだ。
私とパートナーがここに移り住んで少し経った頃の週末には、一番近い隣人宅に招かれて近隣4軒が合同でお茶をした。新参者の私たちが地域の人と顔合わせができるようにしてくれたのだ。おかげで互いの顔と名前を知ることができ、隣人たちが飼っている家畜の種類から干ばつや森林火災の経験までを興味深く聞いた。気候や地域の状況は地元の人に教えてもらうのが一番確かだ。
ここでの暮らしはどうか、と馬を飼っている隣人の1人が私に尋ねた。毎日鳥の声で目が覚め、仕事の合い間に森で知らない虫や草花を観察する毎日は、生物が好きな私にとってはすてきなことばかりで、マダニや毒ヘビがいても大して気にならない。私がそう答えると、自然を愛するその人は柔らかく顔をほころばせた。
馬の世話のために習ったこと

私の興味と隣人のニーズが一致して、ほんの時々だが馬の世話を手伝い始めたのはその頃からだ。隣人が家を空ける数日間の朝と晩に餌をやり、寒い日や雨の日には馬が風邪をひかないように馬着を着せる。
餌の与え方も馬着の着せ方も隣人から手ほどきを受けた。温かい裏地付きの真冬用の馬着は重く、私の頭の高さにある馬の背中に載せるだけでも最初は一苦労だったが、穏やかな性格の馬なので暴れるようなことはない。600キロもある体躯なのに、されるがままに服を着せられる人間の子どものような愛らしさだ。幼児同様に気が乗らない日もあるようで、首元のベルトを留められるのを嫌がったり、馬着を載せる前に草地に逃げたりする時は、馬が落ち着くのをしばし待つ。私の能力で対処しにくい時は無理をせず、やれる範囲でやる約束になっている。
温度や雨量によって馬着の種類や餌の量を変えるので、この辺りの地形に応じた風向きと天候の変化のパターンや、季節ごとの気温の傾向などを隣人から習った。学ぶことを通じて隣人と親しくなっていく中で、馬とも少しずつ信頼関係が育まれたようだ。においでコミュニケーションを図る生き物だと知り、毎回あいさつ代わりに手の平を差し出していたら、馬はひとしきり嗅いだ後に大きな舌で私の手を優しくなめるようになった。
田舎町のスモールトーク

在宅ワークが中心の私のライフスタイルのせいもあって、隣人たちと出くわすことは正直そう多くない。そもそも1つの通り沿いに住む人の数が都会と比べて桁違いで、人よりカンガルーの方が多いくらいなので、静かな時間を好むタイプにはちょうど良い。
そうはいっても、人目が少ない田舎だからこそ見知った人同士の関係を大切にしたい気持ちもある。ささやかでも普段から交流を大切にすることは、日常の楽しさのためだけでなく、近隣での災害や犯罪、環境の変化などの情報共有のハードルを下げることにもプラスになるはずだ。
犬の散歩中の隣人とばったり会えば、スモールトークの一環で「昼から雷雨の予報だから気を付けて」「◯◯通りで倒木があったので迂回が必要だよ」といった注意喚起も日常的にある。季節によっては、「ジャムを作ったけど食べる?」「庭でバナナが採れたから少し持って行く?」と声を掛け合い、家庭菜園の状況を楽しく報告し合うようなことも。近すぎず遠すぎない快適な付き合いができているのは、隣人たちの人柄によるところも大きいかもしれない。
誕生日パーティーの夕べ

隣人の1人が町の小さな多目的ホールで誕生日パーティーを開き、誘われて参加したこともあった。オーストラリアでは誕生日を迎える本人がイベントを企画するのが一般的で、自分流に友人たちをもてなしておめでたい日を共に祝うというスタイルだ。
その日のパーティーは遠方からも含め50人以上が参加した。主催者が呼んだ地元のバンドがこぢんまりしたステージでグルーヴ感のある音楽を奏で、小型のミラーボールがカラフルな照明を受けてきらめく。1人1品ずつ料理を持ち寄っての立食形式で、テーブルにはチーズとサラミ、サラダ、クラッカーとディップ、ピザ、キッシュなどがずらり。持ち寄るのはポテトチップス1袋でもOKという会だったので、皿に盛ったスナック菓子や出来合いの惣菜も並び、肩肘を張らない気楽な雰囲気だった。会の後半、主催者の友人や家族に続いて本人から簡単なスピーチがあり、用意された大きなケーキのロウソクの火が歓声の中で吹き消された。
私自身は日頃からそう多くの人と交流するタイプではないものの、時にはこうしてオーストラリアの地域社会との関わりを楽しみ、そしてまた静かな森の暮らしに戻る。人口の少ない田舎町とはいえ、社交に積極的な人なら趣味やボランティア活動のグループ、子どもを持つ人の集まりなどもある。人との関わり方をある程度選んで暮らすのは都会も田舎も変わらないが、静かな暮らしの選びやすさは田舎ならではかもしれない。
著者
七井マリ
フリーランスライター、エッセイスト。2013年よりオーストラリア在住