福島先生の人生日々勉強
怒りの正体を知る
「怒り」は誰にとっても厄介で切実なテーマです。この世に「怒り」という感情さえなければどんなに楽だろうかと思いますよね。自分の願いが叶わないばかりか、対人関係に支障を来す原因になるので、そのストレスは相当なものです。頭では分かっているつもりでいても、ついつい怒ってしまいます。なぜなのでしょうか。実は分かっているつもりの「怒りの正体」が見えていないからなのです。
「怒り」とは心の不快な反応の1つです。危険な目、嫌な目に遭った時に人は怒ります。危険なものと対峙し、身を守るための防 御反 応です。生きるために不可欠な単純な怒りです。しかし、もう1つの怒りが厄介です。精神的な刺激による怒りです。相手の立ち居振る舞いや、思い通りにいかない現実への怒り、いつの間にか蓄積してしまっている慢性的な怒りもあります。心に受けた刺激によって生まれる「怒り」。その原因を突き止めることによって「怒らずに済む」なら助かりますね。
よくある原因の1つに、「過度の欲求」があります。今回は、この求め過ぎることによるストレスについて考えてみましょう。例えば、「もっと高く評価されたい」という思いも、「相手に分かってもらいたい」という思いも、自分本位の願望。過剰な期待であり要求です。自分からしてみれば、他人は、自分以上に変わりにくく期待できない相手なので、そこに「怒り」が生まれるのは当然です。そのままでは、不満も、相手との衝突もなくなることはありません。貪欲さと怒りの量は釣り合っているのです。「私の要求は独り善がりだ」と客観的に理解しようとすることが肝心。
「求め過ぎていたかな」と省みて、考え方をスパッと切り替えてみてください。「今、自分にできることは何だろう」と自分に聞いてみるのです。体を使う作業でも頭を使う作業でも構いません。自分の持ち前、領域に心を向け、「怒りを手放す」のです。
「怒り」は身近な人の幸福感を奪うことになりますし、何より、自分が感じた怒りによって、自分自身が終わりのない怒りのループにはまり込んでしまいます。怒(おこ)りっぽい人は、心の中で怒りがくすぶっている状態にあります。過去の怒りは過去のもの。過去の怒りを今の不機嫌の理由にはしないと決めましょう。
意外な盲点は「姿勢」です。背筋がピンと伸びていると、心もピンと真っすぐになります。正しい姿勢は、どの方向にぶれても元に戻りやすく、結果的に感情の起伏を減らし、心を安定させてくれます。前かがみになっていませんか。
このコラムの著者
教育専門家 福島 摂子
教育相談及び、海外帰国子女指導を主に手掛ける。1992年に来豪。社会に奉仕する創造的な人間を育てることを使命とした私塾『福島塾』を開き、シドニーを中心に指導を行う。2005年より拠点を日本へ移し、広く国内外の教育指導を行い、オーストラリア在住者への情報提供やカウンセリング指導も継続中。