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【対談】与えられたステージでいかに「王」となるか/山上信吾 大使

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与えられたステージで
いかに「王」となるか

doq®代表
作野善教
 × 
駐オーストラリア日本国特命全権大使
山上信吾

 日系のクロス・カルチャー·マーケティング会社doq®の創業者として数々のビジネス・シーンで活躍、現在は日豪プレスのチェア・パーソンも務める作野善教が、コミュニティーのキー・パーソンとビジネスをテーマに対談を行う本企画。今回は、2020年末に駐オーストラリア大使として着任後、現地メディアにも数多く登場するなど先頭に立って活躍する山上信吾大使にご登場頂いた。
(監修:馬場一哉、撮影:Angela Elgiva)

PROFILE

やまがみしんご

やまがみしんご
東京大学法学部卒業後、1984年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て2000年、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部一等書記官、その後同参事官。07年、茨城県警本部警務部長という異色の経歴を経て09年には在英国日本国大使館公使。国際法局審議官、総合外交政策局審議官(政策企画・国際安全保障担当大使)、日本国際問題研究所所長代行を歴任後、17年国際情報統括官、18年経済局長、20年、駐オーストラリア日本国特命全権大使に就任

PROFILE

さくのよしのり

さくのよしのり
doq®創業者·グループ·マネージング·ディレクター。米国広告代理店レオバーネットの東京支社とシカゴ本社でAPAC及び欧米市場での経験を経て、2009年にdoq®を設立。NSW大学AGSMにてMBA、Hyper Island SingaporeにてDigital Media Managementの修士号を取得。16年より3年連続NSW州エキスポート·アワード·ファイナリスト、19年シドニー·デザイン·アワード·シルバー賞、Mumbrellaトラベル·マーケティング·アワード·ファイナリスト、「エスニック·ビジネスアワード」ファイナリスト

作野:本日はとても楽しみにしておりました。まずはこれまでのご経歴やご経験をお話しいただけますか?

山上:外交官生活は今年で38年目になります。これまでニューヨーク、ワシントンDC、香港、ジュネーブ、ロンドンに赴任し、現在のキャンベラに至ります。主にアメリカと中国関係の仕事が多かったですね。具体的な仕事内容ですが、条約の締結と貿易交渉の2つを長くやってきました。そのほか、安全保障やインテリジェンス関係にも携わってきたので、よくオーストラリア人からは、何でも扱ってきた「デパート」と呼ばれますね(笑)。

 外務省では入省してから退官するまで一貫して外務省内でキャリアを終える人が多いのですが、私はこれまでに3回出向しました。最初は内閣官房でPKO法案の作成に携わり、次に出向した警察庁では茨城県警の警務部長を務め、最後は日本で一番大きなシンクタンクである日本国際問題研究所に籍を置きました。振り返ると、出向していた時代は役人人生の中で学ぶことが大きかったです。狭い井戸から出て、外の世界を知ることができたのは幸せなことでした。

作野:各分野ではそれぞれ全く異なる専門性が求められると思うのですが、新しい任務にはどのように着手されるのですか?

山上:ジェネラリストであると共に、スペシャリストでもないといけない時代です。貿易交渉を行う場合は、相手国の事情や日本の国内産業の置かれた立場などを勉強します。インテリジェンスをやる場合、対象国の歴史、文化など、小説を含め文献を読み込み、さまざまな分野の話を聞きます。新しい職務に就くたびに勉強をし、常に新しい発見がある。知的好奇心がある人には非常にやりがいのある仕事ではないかと思っています。

作野:次々と新しいことを学ばれ、都度結果を残されてきたと思うのですが、新しい任務に慣れるまでの時間はどれくらい必要なのでしょうか?

山上:官僚の世界では大体1つのポストは2年周期です。最初の3カ月間は新しい仕事に慣れるまでに猛勉強し、およそ半年間で一人前にならないといけないとよく言われます。

作野:それほどの短期間で結果を出すというのは、厳しめの投資家がスタートアップの創業者に求めるぐらいの結果の早さと同じですね。

山上:役人は「2年で交代して気楽なものだ」「継続性がなく専門性も身につかないではないか」などといったご指摘やご批判を受けることも多いです。確かにそれは一理あるのですが、2年で代わるという前提に立って、違いを出すためには相当な努力を重ねなければならないといった面があるのも確かです。

作野:ご経歴の中で、最も心に残る経験はありますか?

山上:茨城県警で警務部長を務めていた時は、丸2年間警察官の生活にどっぷり浸かりました。特に地元の県警の皆さんと共に汗をかいたのは、今も鮮明な記憶として残っており、私の役人人生の中では最も大きな財産の1つだと思っています。

作野:警察の組織文化といった面で印象に残られているのでしょうか?それとも人との出会いが大きかったのでしょうか?

山上:警察には、組織として一枚岩として対応するDNAがあるんですよね。それが外務省との最も大きな違いでした。もう1つは人間の悲しみですね。警察は、犯罪現場という人間社会の悲しく不幸な側面と隣り合わせで、それに向き合っている組織です。ですから、対応を巡って世論から支持されることがある一方で、うまくいかなくなった時には厳しい批判にさらされることもあります。そうした面を学んだのも良い経験になりました。

作野:ご経歴を通じて、大使の信念やお仕事に対する考えが形成されていったと思うのですが、尊敬されている方はいらっしゃいますか?

山上:まず私が仕事をする上でのモットーとして、何をしようとも「自分なりの違いを出していく」ということがあります。英語で言うと「make a difference」ですね。

 大使の仕事は大きく3つあります。1つ目は人脈の開拓。2つ目は開拓した人脈を通じての情報収集。3つ目は人脈を生かしての日本の立場の対外発信。この3つはどれを取っても人によって雲泥の差が出ます。大使の椅子に座っていれば仕事ができるなどという甘い世界ではありません。

 そんな中、1990年代半ばにオーストラリア大使を務められた佐藤行雄元大使は尊敬する先輩の1人です。今でも豪州人に「歴代の大使の中で一番印象に残っている人は?」と聞くと、相当数の人が「ユキオ」と答えます。佐藤元大使は、非常に個性的で独特の愛嬌と魅力を放ち、抜群の対外発信力を持っていました。今回私がキャンベラに赴任する際も、何度となく親身になってアドバイスをくださり、数々の貴重な人脈を引き継いで頂きました。

作野:政府機関のトップにいらっしゃる山上大使にメンターがいらっしゃるというのは、うらやましいと思われる経営者も多いと思います。組織のトップにいる経営者は、自分で判断してリスクも取らないといけません。そういった中で、日系企業の経営者の皆さんの中にもメンタリングを望んでいられる人は多いのではないかなと感じています。

「最初の100日間」

作野:キャンベラに赴任されて「First 100 days(最初の100日間)」が経ちましたが、大使のオーストラリアでのこれまでの活動や印象をお聞かせください。

山上:政界、官界、経済界、マスコミ、シンクタンク、大学など、さまざまな人たちにお会いしてきました。実は赴任前に、経済界の中でもオーストラリアでビジネスをされている主要な企業(7大商社、3メガバンク、主要メーカーなど)を極力回るようにして、会長さんや社長さんにご挨拶してきました。この赴任前の経験に加え、赴任後100日間にオーストラリアでさまざまな人にお会いして感じたのは、「日豪関係が本当に緊密である」ということでした。特に貿易と投資のつながりが果たしてきた役割の大きさを肌身で感じることができたのは貴重な体験でした。

 またキャンベラの特徴として、確実に言えることが3つあります。1つ目はアクセスが容易で、日本の大使としてアポイントメントを申し込むと大抵の人に会うことができます。2つ目はオーストラリアの人がオープンで、胸襟を開いて単刀直入に率直に話をしてくれます。そして3つ目は、特に日本の話には耳を傾けてくれます。日豪関係が緊密であるだけでなく、現在オーストラリアは中国との関係で困難な問題を抱えていますから、中国との関係で最も長い歴史と豊富な経験を有するのは日本だということで、日本大使の見解に耳を傾けてくれます。これら3点が「最初の100日間」の中では強く印象に残っています。

作野:赴任される前にご想像されたオーストラリアとは異なるような出来事はありましたか?

山上:実は食生活に高い期待は抱いていなかったので、オーストラリアの食事がとにかくおいしいというのは嬉しい発見でした。アメリカ、イギリス生活を経ただけに、実感を持って「おいしいな」と感じましたね。

作野:私はシドニーに来る前にシカゴに住んでいた時期があったのですが、アメリカは和食にせよイタリアンにせよアメリカ人向けに加工されているのに比べ、オーストラリアでは本場の味が楽しめるのがオーストラリアとアメリカの食に関する大きな違いではないかなと思っています。私の考えなのですが、アメリカでは既に移民4世、5世が「アメリカ人」として住んでいるのに対し、オーストラリアは移民世代の歴史もまだ短く1世、2世も多いため、「本物感(authenticity)」が残されているのではないかなと思っています。

山上:もう1つあるとすれば、オーストラリアはニューヨークやロンドンに比べると、地理的にアジアがはるかに近いため、食材の調達や人の流れが容易で本場のエスニック料理を味わえるという面もあるのでしょうね。

作野:オーストラリアの食文化が非常に発達しているという事実は、対外的には意外と知られていないんですよね。

山上:オーストラリアにおける日本の存在感を高めると同時に、日本におけるオーストラリアの存在感を高めることをお手伝いするというのが自分の役目だと思っていますので、色々な機会に「オーストラリアの食事が美味しい」ことを発信していければと考えています。

菅総理のオーストラリア訪問実現

作野:今後、日豪関係において注力されていきたいことを教えてください。

山上:現在、日豪2国間の関係が目覚ましいスピードで強化されていることを、外交の最前線上で実感しており、この関係をさまざまな面で更に高めていきたいと思っています。具体的に政治面で言えば、昨年11月にモリソン首相が2週間の隔離期間という負担を承知で訪日されました。その気持ちに応え、今度は日本の菅総理大臣のオーストラリア訪問を今年実現すべく努力しています。その前には、日豪外務・防衛閣僚協議(2プラス2、日本側:茂木外務大臣と岸防衛大臣、オーストラリア側:ペイン外務大臣とダットン国防大臣)も早期に実現したいと考えています。

 安全保障面では、モリソン首相訪日時に原則合意した日豪円滑化協定(Japan-Australia Reciprocal Access Agreement (Japan-Australia RAA))を速やかに締結することですね。これにより日本の自衛隊がオーストラリアで共同訓練や演習をし、オーストラリアの国防軍が日本で訓練や演習をする法的な枠組みが整えられることになります。インド太平洋地域における抑止力を高め、平和と安全を維持するという観点で、日豪両国ができる非常に重要な貢献になると思いますので、早期に取り組みたいです。

 また、目を経済関係に転じますと、従来から貿易・投資の関係は緊密ですが、オーストラリアが食料やエネルギー、鉱物資源を日本に輸出して、日本が自動車や機械製品をオーストラリアに輸出するという、従来の補完的な貿易関係を越えて、新たな地平線を開拓したいと考えています。そういった意味では、ラトローブ・バレーなどで進んでいる水素の日豪協力や、西シドニーで進んでいるインフラ開発協力などは、政府や大使館が後押しして環境を整備していきたいと思っています。人物交流で言えば、コロナ禍で動きが鈍っていますが、政治家や若者の交流を再び活性化していければと考えています。

 また最後に、インド太平洋地域や国際社会を舞台にした日豪間の協力はかなり緊密に進んでいます。日米豪印(Quad)が注目を浴びる前にも、例えば、アジア太平洋経済協力(APEC)や環太平洋パートナーシップ(TPP)協定は、日豪が推進力となってきました。また、世界貿易機関(WTO)の改革や経済協力開発機構(OECD、オーストラリアのコーマン元予算大臣が新事務総長)における協力など、多岐にわたる協力ができるのも日豪関係の広がりと深まりの象徴だと思っています。

作野:日本とオーストラリアは季節が真逆だったり時差が1時間しかなかったりと、地理的にも特徴のある関係だと思います。そうしたところも駆使して、日本からの積極的な投資や関係構築などを日本の企業に積極的に考えてもらえればと感じています。

山上:私がオーストラリアに行くことが決まった時に、最初にしたことは東京駅前の本屋に行き、オーストラリア関係の本を全部買い漁ることでした(笑)。しかし、アメリカ、中国、ロシア、イギリス、インドネシア、タイなどはそれなりに本が揃っていたのですが、なんとオーストラリア関係の本が3冊しかなかったのには愕然としました。日豪関係がこれだけ緊密であるにもかかわらず、すぐに手に取れる形で情報が整っているわけでないことは衝撃的であり残念に思いました。

 そこで、オーストラリアの事情を日本に伝えていきたいという問題意識から、大使館のホームページに私が書き下ろした拙文を掲載する「南半球便り※」を始めました。オーストラリアに初めて赴任する人間が何に関心を持ち、どこが目新しいのかなどを、主として日本人に伝えてオーストラリアの認知度を上げたいと思います。同時に、英訳も出しており、日本の外交官が何をし、何を感じているかをオーストラリア人に伝え、日豪の関係強化に貢献したいと思って続けています。

https://www.au.emb-japan.go.jp/itpr_ja/bilateral_official_visits_jp.html

作野:これだけ日本に距離も近くて親日国家で、かつ先進国なのに成長を続けていて、情勢も安定しているオーストラリアを見ない理由はないと私も思っています。

山上:日本政府観光局(JNTO)の統計調査によると、訪日外国人観光客の中で一番日本にお金を落としているのはオーストラリア人なのです。また、オーストラリア人の持っている発信力も追い風になると思いますね。彼らは世界の津々浦々に出かけて行って発信することに長けています。日本に旅行して「ここが良かった」と英語で発信するのは大抵オーストラリア人で、そうした情報をアメリカ人やイギリス人が知ることになる。こういった側面を日本側はよく認識する必要があると思います。

作野:約4人に1人が海外生まれということもあり、オーストラリア人1人ひとりが持つソーシャル・ネットワークはとても広く、国外への拡散力が非常に高いと思います。オーストラリア人は旅行面においてはイノベーターとでも言いますか、常に新しい経験やデスティネーションを切り開いていくようなトラベラーであると思います。

日豪をつなぐ「Japanaroo 2021」の開催

作野:現在、シドニーでは在シドニー日本国総領事館主導の下、日豪の交流を推進するための新企画「Japanaroo(ジャパナルー)」を官民一体となって進めています。ジャパンとカンガルーを掛け合わせたネーミングの同イベントは、端的に言うとオーストラリア各地で日本関連の文化、食、ビジネス、教育など日本に関連した企画を8月20日から約10日にわたり同時に開催する初めての試みです。

山上:素晴らしい企画だと思います。日本紹介の企画と言うと、どうしても特定の古典芸能や武道、観光地紹介に偏りがちなのですが、こういう形で多方面から等身大の日本を紹介していくというのは、タイムリーだと思います。オーストラリア人が日本に寄せる視線の熱さは日々感じていますので、そうした期待に応えられる企画になるよう我々も応援しています。

作野:今回の企画では無関心層に向けても日本を発信し、一般的なオーストラリア人にもいかに日本に興味を持ってもらえるかということにチャレンジしていきたいです。

山上:1968年から2008年までの40年間、日本はオーストラリア最大の貿易相手国でした。クイーンズランド州と西オーストラリア州を訪問した時に、「日本企業なくして我々はここまで豊かになれなかった。日本企業が石炭や鉄鉱石などの資源を発掘し、豪州の安定的な輸出先となってオーストラリア経済に貢献してくれた」としみじみと言われました。日本とのビジネスに携わった人は日本との関係の重要性を肌身で感じているのですが、オーストラリア全体として見ると、お互いの関係を当然視してきた印象を受けます。ですからジャパナルーが日本の重要性を再認識してもらう1つの大きな契機になればいいなと期待しています。

作野:政府レベル、そして民間レベルの両側から多文化主義のオーストラリアにおける日本のプレゼンスを高めていくものとなるとうれしいです。ローカルのオーストラリア人から見て、日系コミュニティーというのがどう存在していて、何をしているのかということはあまり知られていないのが現状ですから、それをどういう風に「見える化」していくかが課題だと思います。

山上:日系アメリカ人の歴史が良い例ですが、日本人が現地に同化していくのは各地で見られます。日系コミュニティーが現状目立っていないというのは、実はそれだけ日本から来た人がオーストラリアに溶け込もうと努力したという証なのかもしれません。

「与えられたステージで王となれ」

作野:日豪プレスの読者の中には、20代のヤングプロフェッショナルから30~40代の起業家やビジネスパーソン、転職を考えている人たち、留学生などさまざまな読者がいらっしゃいますが、そうした方たちに向けてメッセージを頂けますか?

山上:私は人生の大先輩にあたる経済産業省の大幹部の方から言われた「与えられたステージで王となれ」という言葉を今でも大事にしています。自分の与えられたステージは大きいかもしれないし、小さいかもしれない。しかし、自分が今置かれた状況で最善を尽くせば必ず道は開ける、というものです。私自身も公務員生活の中で、「なぜこんな仕事をしているのだろう。辞めてやろう」と思ったことは何度もありました。ただ今振り返ってみると、そうしたポストこそ、ものすごく勉強になったと自信を持って言えます。人生には回り道も無駄な仕事も一切ないのです。与えられた環境の中で全力を尽くすことによって、それが自分の経験や財産となり、次の仕事につながっていく、ということは若い人たちには特に強調したいですね。

作野:大使ご自身が長期的に達成されたいことはありますか?

山上:日本は経済・技術力のみならず、政治的成熟度、社会の安定性、国防力、1人ひとりの資質など、どれを取っても立派な大国です。にもかかわらず、日本人は往々にして口頭でのプレゼンテーションが苦手です。日本の学校教育では読んで聞く力は伸ばしても、話す力は伸ばしていない。そんな中で、私が外務省の門を初めて叩いた時に抱いた志は、「外交官として、どうやって自分の話す言葉で勝負していくか」ということでした。日本の存在感を国際社会の中で上げていく、日本が持っている力にふさわしいだけの対外発信をしていく、そんな志を持ってこれまでやってきました。外務省での現役生活は恐らくあと数年で終わりますが、それを越えて「話す力があるうちは発信し続けていきたい」。それによって、日本が国際社会に今後も貢献していくことができるのではないかなと思っています。

作野:本日はありがとうございました。

(4月15日、駐オーストラリア日本国大使公邸で)

「南半球便り」
https://www.au.emb-japan.go.jp/itpr_ja/bilateral_official_visits_jp.html

在オーストラリア日本国大使館ホームページ
https://www.au.emb-japan.go.jp/itprtop_ja/index.html

在オーストラリア日本国大使館フェイスブック
https://www.facebook.com/JAPANinAUS/

山上大使ツイッター
https://twitter.com/YamagamiShingo

在オーストラリア日本国大使館ツイッター(領事安全情報)
https://twitter.com/JapanEmb_AUS

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