日豪プレス、メディア体験プログラム2019
日本とオーストラリアをつなぐ架け橋
1951年に創設されて以来、日本の航空業界をリードし日本と海外の窓口であり続けている日本航空株式会社(Japan Airlines Co., Ltd./以下、JAL)。同社の運航路線はオーストラリアにも通じており、同国からの訪日旅客数も年々右肩上がりとなっている。日々重要性を増すオーストラリア路線におけるJALの事業について、また海外での日系企業のあり方や2020年東京五輪へ向けての展望などを、JALオーストラリア・シドニー空港所所長・木村巌さんに話を伺った。(取材・文=小澤泰知、軽部剛至、高橋美亜子、星田亮、山下未来)
“1つでも、1人でも欠けていたらJAL772便は飛びません”
空港とは航空会社の縮図の1つ
――はじめにJALオーストラリアについて教えてください。
今年9月で東京―シドニー線が50周年を迎えます。この歴史の長さには私も驚いています。2017年9月からは、成田―メルボルン線も開設、オーストラリア路線は多くのオーストラリア人の皆さんにも利用して頂き、毎回ほとんど満席です。
これは日本でスキーやスノーボードをするオーストラリア人が増えているからだと思います。このように日本が注目されている点では、JALにとって重要な路線の1つだと考えています。
――JALのオーストラリア路線の現状を教えてください。
日本の文化や生活に興味を持つ海外の人たちが非常に増え、訪日旅客数が増加傾向にある中、JALオーストラリア線もオーストラリア籍のお客様の利用が増えており、現在では日本人のお客様との比率が半々ほどになっています。
また、メルボルン線開設以降、シドニー線とメルボルン線の両方を組み合わせて利用頂くお客様も増えるなど、オーストラリア線は日豪間の旺盛な需要に支えられて非常に好調に推移しています。
――オーストラリア路線の需要が増えてきているとのことですが、それに応えるための最も重要な要素は何ですか。
飛行機を飛ばすためにはいろいろな職種があり、その中で一番を決めることはできません。空港というのは、皆の協力によって成り立っている航空会社の業務の1つの縮図だと言えます。
当たり前の話ですが、毎日整備士がいますし、航空機が目的地までたどり着けるよう監視するディスパッチャーが現場にいます。チェックインを担当している地上係員もいます。それによってJAL772便は出発することができるのです。
この中で1つでも、1人でも欠けていたらJAL772便は飛んでいません。
オーストラリアにおける日本人と日系企業
――現在多くの日本人が国際的なビジネスの場で活躍していますが、海外で仕事をする上で日本人としての強みはありますか。
それはホスピタリティー、日本人の「おもてなし」の心ではないでしょうか。緻密(ちみつ)さや繊細さ、少し大げさに言うと可憐さは日本人の強みと言えます。
日本人のように目で話すといった文化は海外にはあまりないですよね。日本人としての良さは強みになると思います。全ての人には伝わらないかもしれないですが、同じ心を持っていれば伝わる瞬間はあるのかな、という気がしています。
――オーストラリアで日系企業が事業を展開することについてどのようにお考えですか。
オーストラリアには親日家が非常に多いです。日本と同じアジア・オセアニア地区ということもあり、日本文化への理解もあります。テレビや新聞、雑誌でよく日本の特集をしているからか、皆さん日本に対して好意的ですね。
文化になじみがない国で新しくビジネスを行うのは難しいですが、オーストラリアではこうしたプラットフォームが既にできているので、企業としては展開しやすいと思います。
――オーストラリアの日系企業が更に発展するために、何が大切だと思いますか。
日系企業は関係するオーストラリア企業との連携を更に密にして、日豪の秀でた点をお互いが取り入れていくことで、日本人とオーストラリア人の双方に喜んで受け入れられる商品・サービスを提供することができると思います。
飛行機が飛び立つ瞬間、かけがえのない喜びを感じる
――木村さんはなぜJALで働こうと思ったのですか。
国際的な仕事がしたかったからです。そうした仕事に興味を持ったきっかけは、学生時代のアルバイトです。私が大学生の時、ホテルの仕事で海外の人たちと関わる機会があり、語学や海外に対する興味が強まりました。それから、学生時代にはバックパックを背負っていろいろな国に行きました。空港に降り立つ度にJALの鶴丸マークが見えて感動したことを覚えています。語学面での苦労はありましたが、言葉から学ぶ文化もあり異なる価値観も学べました。
私はオーストラリアにも交換留学をしていて、良い国だという印象が強かったです。シドニーでの勤務が決まった時、オーストラリアと縁があるんだなと思いましたね。
――木村さんにとってJALでの仕事とは?
「夢のある仕事」ですね。飛行機は人だけではなく文化も運びますから。
同時に飽きることがない仕事です。現在私が務める空港所長は地上職の1つですが、他にも総務や営業などさまざまな仕事があります。これまでに、私はいろいろな職種を経験しました。客室乗務員をしていたこともあります。異動がいろいろとあるので、そうした意味でも飽きない仕事です。
――木村さんが空港所長として心掛けていることを教えてください。
私たちの仕事は朝早くから始まります。私は毎日午前3時半に起きて、5時前には空港に到着しています。当然、職場の皆も眠いと思うのです。そこで喝を入れるよりも、明るく活力のある職場にするために朝から冗談を言い合える風通しの良い雰囲気を作ることが大切だと考えています。
――仕事をする中で、どのような時にやりがいを感じますか。
JAL772便が午前9時15分に出発する瞬間に一番のやりがいを感じますね。毎日その繰り返しですが、あの瞬間には本当にかけがえのない喜びを感じます。以前勤務していた日本国内の空港では1日に9便飛ばしていました。シドニーは1日1便ですが、9便でも1便でも飛行機を定刻に安全に、お客様に満足頂けるよう送り出していく。その瞬間が、仕事をしていて良かったなと思う時ですね。
2020年東京五輪というチャンス
――今後のJALオーストラリアのビジョンについて教えてください。
2020年東京五輪を1つのターゲットにしています。日本にとっても航空会社にとっても五輪は盛り上がるタイミングだと思います。空港の発着枠が拡大したり、新しい路線が展開したりと事業規模が大きくなるかもしれません。これから東京五輪に向けてさまざまな取り組みが行われるはずです。
――具体的にどういった取り組みが行われると思いますか。
取り組みの1つとして、日本国内の職員は胸元に東京五輪マークのバッジを付けています。そうやって、目に見える形で「おもてなし」を表すようにしていますね。「おもてなし」は日本人の強みですから。その他にユニフォームを新しくする案などもあります。
また、シドニー路線はシート・ピッチが広い飛行機で運航していて、エコノミー・クラスの座席でも34インチ(約87センチ)という大きさです。他社と比べ横一列の座席数を「2・4・2」の8席と、1席分少なくしています。そのため全体的にゆったりとできます。東京五輪を機に、この路線も多くの人に利用してもらいたいですね。
――シドニーから出る飛行機の便数も、もしかしたら増えるかもしれませんね。
増えるかもしれません。そうなると朝から晩まで働かなきゃいけないですね(笑)。
――本日は貴重な話をお伺いさせて頂き、ありがとうございました。
木村巌(きむらいわお)
1988年日本航空株式会社に入社。成田国際空港での旅客業務や国内線・国際線の客室業務を経験後、日本国内の空港や米国の空港での総務業務や本部の企画業務などを担当。日本国内での空港所長を経て、現在はオーストラリア・シドニー空港所長を務める