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マーベラス・メルボルン「1850年代の民間建築物」

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メルボルンはかつて世界一の金持ち都市となり「マーベラス・メルボルン」と呼ばれた栄華の時代があった。メルボルンを首都としたオーストラリア連邦政府ができる1901年までの50年間、メルボルンっ子はいかにして驚異のメルボルンを作り上げていったのか――。

第35回 1850年代の民間建築物

1835年のメルボルン創設から20年ほど経ち、ゴールド・ラッシュにより財政的には母国ロンドンを凌ぐほどになった。金塊の輸出と引き換えに最新技術と大量の物資が輸入され、富裕な商人や農業資本家が勃興してきた。当時の建築物から時代を探る。

ロイヤル・テラスは、各フロア10戸・3階建てのテラス・ハウス(集合住宅アパート)で54年建築。

都市ガスの供給もまだ数年先で電気はなく、移動は徒歩か馬車の時代である。テラスの裏手には、高価なブルー・ストーン石製の馬厩舎(きゅうしゃ)が各ユニットに備わっていた。

ロイヤル・テラス。オーストラリア最初のアパート
ロイヤル・テラス。オーストラリア最初のアパート

設計は著名建築家ジョン・ギル、施主は建築家で富裕な材木商のジョン・ブリアント。赤色砂岩はスコットランドのアーブロース産、灰色砂岩は英国ハイランド産の高級輸入品である。鋳物(いもの)製フェンスや私道の舗装敷石も輸入品で贅沢を尽くしており、ブルー・ストーン石積に砂岩製化粧材を使用している。建材の大半を輸入し、著名建築家に設計を依頼し、一等地に立地するなどブリアントの財力をうかがわせる。ビクトリア議事堂や政府中心地に近いイースタン・ヒルの高台にあり、世界遺産カールトン・ガーデンの隣に位置、ビクトリア首相、政治家などが住居兼事務所として使用した。初期テラス・ハウスとしては最大の建築物であり、優雅さの点でも比較する建物はない。

ルネッサンス様式のザンダース第3倉庫
ルネッサンス様式のザンダース第3倉庫
スワンストン通りのブルックス・ビルディングス
スワンストン通りのブルックス・ビルディングス
メルボルン最古の民間建物、ジョブズ・ウェアハウス
メルボルン最古の民間建物、ジョブズ・ウェアハウス

メルボルン最初の港がヤラ川沿いにあったため、倉庫建築物はメルボルンの都心にあり、富裕な商人が倉庫兼店舗を経営していた。54年にルネッサンス・リバイバル様式で建てられたザンダース第3倉庫は、A・L・スミスの設計でフィレンチェ、ローマの裕福な商人邸宅様式で建築されている。施主はアーガス新聞社で、現在は男性用ナイト・クラブ。

中心部繁華街のスワンストン通りに面する、ブルックス・ビルディングスは、50年代にホーキンス兄弟の設計で連続する8軒の賃貸住居として建築された。外科医、建具職人、ダンス教室、フリーメイソンの事務所などが入居した。

ジョブズ・ウェアハウスは、メルボルンで最も古い建物の1つで、48年から49年にかけて2階建て植民地ジョージア様式で建築された。漆喰を塗ったレンガ造りで、柱脚にはブルー・ストーン石材が使われている。1階が店舗、2階が住居になっており、建築当初のシンプルな姿を保っている。肉屋ウィリアム・クロスレイが施主で、食肉販売店舗、食肉処理場もあり、家族と住む住居でもあった。

電気も自動車もないが、富裕な民間人が増えてマーベラス・メルボルンと呼ばれた繁栄する1860年代に向かうメルボルンの姿が想像される。


文・写真=イタさん(板屋雅博)
日豪プレスのジャーナリスト、フォトグラファー、駐日代表
東京の神田神保町で叶屋不動産(Web: kano-ya.biz)を経営

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