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鬼手仏心(きしゅぶっしん)/福島先生の人生日々勉強

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福島先生の人生日々勉強

鬼手仏心(きしゅぶっしん)

鬼手仏心という言葉があります。誰かを救うために、内心は慈悲に満ちているのに、外見は傷つけているようにしか見えない手段を採る時の有様を言います。

よく言われるのが、外科医の手術です。外科医が手術を行う時、患者の体を切り開く様が、鬼のように残酷に見えます。しかしその心には、患者を救いたいという仏のような慈悲の心があるということです。

この鬼手仏心という言葉は、手術の本来的な精神を表していると言われますが、そうした医者の心得に留まらず、広く人と人との関係においても、場合によって、心すべき考えとなるのではないでしょうか。

思いやりの心を持って優しく接するというのは、人間関係において大切なことです。しかし、優しく接しているだけではどうしても相手に伝わらないことがあります。子育てなどはその典型です。本当に相手のことを思う時、あえて鬼となり、相手の心の中に押し入って琴線(きんせん)に触れないと気持ちが通じないことがあります。鬼になる方も精神的に大変ですが、そうすることが必要な場面が、子育てに限らず、大人同士の人間関係においても、人生には度々あるように思います。

放っておく方がその時は楽でしょう。しかし、楽だからと子育てを怠ったり、思いやりと見せかけて友を見捨てたり、世の中に対して無関心を装ったりしていると、いずれ手に負えない事態に陥るかもしれません。面倒だからと逃げてはいけないことも、この世にはあるということです。

真に思いやりの心を貫くには、時に相手の心を傷付けてでも相手を救うことが必要です。その過程で必ず自分も傷付くに違いないし、最悪の場合、傷付け合うだけで終わってしまうかもしれない。それでも、「その責任は自分自身で負うのだ」という覚悟を持って事に当たることが大切です。

では逆に、戒められた側に立ったらどうでしょう。まず、私たち人間には、自分の領域を死守しようとする傾向があるということを念頭に置いておくと良いでしょう。人は、自分が認められていないと感じれば不安になり、憤慨します。心の傷、傷付いたプライド、怒り。これらを抱えていても、楽しいことは何も起こりません。

私たちは、こうしたネガティブな感情から自由になることができます。そのための大事な一歩は、「もうこんなことはしないし、したくない」と強く心に言い聞かせることです。衝突には大きな負のエネルギーが溜め込まれています。しかし、固く決意することにより、謝罪と許しが生まれ、人を敵と味方に分かつ負のエネルギーを解放することができるのです。

難しそうに感じますが、案外ほんの少し勇気を出せば良いだけかもしれません。


教育専門家:福島 摂子
大阪府出身。33年間、教育に携わり、教育カウンセリング・海外帰国子女指導を主に手がける。1992年に来豪。シドニーに私塾『福島塾』を開き、社会に奉仕する創造的な人間を育てることを使命として、幼児から大学生までの指導を行う。2005年10月より拠点を日本へ移し、日々活動の幅を広げていく一方で、オーストラリア在住者に対する情報提供やカウンセリング指導も継続中である。

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