独自の世界感で世界中を虜にしているアーティスト
西野 達(たつ)氏 インタビュー
9月2日から2020年の2月16日までニュー・サウス・ウェールズ州立美術館で開催される「50 years of Kaldor Public Art Projects」に作品を出展し、ドイツや日本を始め、世界各国で活躍するアーティスト、西野達氏。同氏は、シンガポールのトレード・マーク、マーライオンを客室に組み込む形で設計された「The Merlion Hotel」や東京・六本木のど真ん中にカプセル・ホテルを出現させ、そこに滞在する人びとをアートの一部とした「カプセル・ホテル21」、そして豆腐で作られた仏陀の彫刻にしょうゆで再現した後光が印象的な「豆腐仏陀と醤油の後光」など、独自の世界感を持つ作品で、世界中の人びとを魅了している。同氏のアートへの姿勢、アーティストを志す人への思いなどを伺った。(聞き手=水村莉子)
「アーティストでいるということが、最高に面白く、自分に合った生き方」
――今回オーストラリアで9月にスタートする「the 50th anniversary of Kaldor Public Art Projects」ではどのような作品を披露されますか。
この展覧会は「Kaldor Public Art Projects」の50周年記念として行われるもので、同プロジェクトの設立者であるカルドー氏が最初に企画した、クリストの作品で有名な海岸を丸ごと梱包した「海岸の梱包」を始め、「Kaldor Public Art Projects」のこれまでの全作品に関連した展示になると聞いています。その中で私は、2009年にニュー・サウス・ウェールズ州立美術館で見せた屋外インスタレーション「War and peace and in between」を写真で再現しようと思っています。
――アーティストを志したきっかけとは何だったのでしょうか。
両親の教育方針で、物心が付いたころからいろいろな稽古事を“やらされて”いました。しかしその中で、唯一“自分の希望”で通っていたものが「絵画教室」でした。
幼少のころから絵を描くことや「秘密基地」を作ることに熱中していたのですが、今も変わらずそういったことを追求してるということになるのではないでしょうか。小学6年生の時に建築家になることに興味を持ちましたが、アートの魅力の方がそれを上回ったというわけです。
子どものころから道に迷って知らない場所へ行くことも大好きでした。大人になった現在も、知らない場所を訪れ、作品リサーチのために街を歩き回ることが仕事の一部となっています。
――子どものころから好きだったことを今もこうして続けることができているということは、とても幸せなことですね。
そうですね。アーティストでいるということが、私にとって最高におもしろく、自分に合った生き方なのです。
――刺激を受けた物や人、アーティストはいらっしゃいますか。
一番影響を受けたのは、小説家の大江健三郎です。美大浪人時代、バスを待つ間に入った古本屋で彼の小説を初めて手に取ってから、彼の出版物に非常に共感を覚え、そして多くのことを教わりました。芸術に対して私が持っていたイメージが言葉となって論理的に書かれていたのです。
ずいぶん後になってから気が付いたのですが、中学生の時に見た寺山修司の『田園に死す』という映画のラスト・シーンからは、非常にダイレクトに影響を受けているかもしれません。
また、子どものころから読んでいた日本のマンガ、特にマイナーなマンガからの刺激もあるはずです。
アーティストで言えば、ミニマル・アートの創設者ドナルド・ジャッド、アメリカ西海岸の現代美術家マイク・ケリーやポール・マッカーシーが好きですね。
――アートを通して伝えたいことやコンセプトなどはございますか。
アートは何かを伝えるために存在しているのではありません。人によって受け取り方が変わってくるアートは、考えを正しく伝えるのにはとても不向きなメディアです。アートは作家の主張を伝えるためにあるのではなく、アート作品を見ることによって観客が何を感じるかが大切だと私は思います。アートにおいては常に観客である“あなた”が主役なのです。
また、私が考えるアートとは“無目的”なものになります。
芸術の意味とは、全て目的を持って動いている社会に“無目的”で“非論理的”なものとして存在することです。その反社会的とも言える立場で、この世界に自由でいることの重要性を示唆しているのです。芸術家はそのような非生産的な物事に真剣に取り組んでいる姿勢で、世の中に“別の生き方”が存在することを表現しているのだと私は思います。
――大学を卒業されて、日本を飛び出した理由を教えてください。また、行く先はなぜドイツだったのでしょうか。
東京の美大の最終学年の時、制作で行き詰まりを感じていました。そこでアートという概念が生まれた地であるヨーロッパへ行って、本物の作品を見ながら美術史のおさらいをしようと考えました。
そのころは、若いいち学生にヨーロッパにコネクションがあるはずもなく、人と会う度にヨーロッパでの就職先を知らないかと聞いていました。そして、その当時通っていた美容院の美容師からドイツの日本料理店を紹介してもらい、両親にも告げずに日本を飛び出したというわけです。もし誰かにイタリアの就職先を紹介されていたなら、私は今頃イタリアに住んでいたことでしょう。全くの偶然でドイツに行くことになってしまったのですが、ドイツでなければ今の私の作品はなかったと言えます。そういう意味で、私は日本人ではあるけれど、半分はドイツの作家だと思っています。
――日本では、武蔵野美術大学で絵画を勉強されていたそうですが、日本と海外で学ぶアートにはどのような違いがありましたか。
今は改善されているかもしれないですが、当時の日本の美大では現役で活躍している教授の指導を受ける機会があまりありませんでした。過去のスタイルを破壊することで前進してきたアートの世界において、現役のアーティストでもない教授の言うことを聞く学生でいたのでは大成は望めません。その点、ドイツの美大の教授は現役で作家活動している人たちが多く、たとえ教わることがなくても、最低でも最新のアート・シーンを身近に感じることができ、教授の展覧会を手伝うことで作家としての活動を学ぶことができました。
また、日本のアートの教え方は情緒的ですが、ドイツは論理的です。その点で言えば、日本とドイツでアートを学ぶということは対照的であるため、とても面白いです。
――大学在学中から語学の勉強はされていたのでしょうか。ドイツ語は習得が難しいと言われますが、アートと語学の勉強の両立をどのようにこなしていたのかお聞かせください。
私のドイツ語のレベルは日常会話程度です。現在はドイツに滞在する機会が減っているのでドイツ語を話すことも少なくなり、私のドイツ語はひどいことになりつつあります……。
私がドイツに住み始めたころは、まだ外国人学生に対しては緩やかな決まりしかなく、私はそれに助けられました。語学力が劣っていることよりも、アートに対する姿勢とその才能を優先してくれ、一種の特別枠のようなポジションでの在籍が許されていました。外国人学生に厳しくなっている今では、それも無理な話になっているに違いないでしょう。
ドイツの美大で学びたいと考えている若いアーティストの卵がこのインタビューを目にするかもしれないので、ひと言付け加えておきますが、ドイツの美大にはドイツ語が必要な入試以外にも、聴講生(Gaststudent)から正規の学生になるという手段もあります。気になった人はぜひ参考になさってください。
――アーティストとして日本という枠を超え活躍されている西野氏から、アーティストを志している人に向けひと言お願い致します。
私の経験から言うと、有名な美術館やギャラリーではなく、たとえカフェでの展覧会であっても、良い作品を見せていれば必ず誰かに発見されチャンスが与えられることがあります。有名なアート関係者にコネクションを作る時間があるのならば、作品を進化させることに集中してください。
(西野氏の作品が展示されるイベント詳細は下記、または9月シドニー・イベント・ガイド参照/記事の情報は8月21日時点のもの)
◆The 50th anniversary of Kaldor Public Art Projects
▼会場:Art Gallery of New South Wales(Art Gallery Rd, The Domain)
▼日程:9月7日(土)~2020年2月16日
▼時間:10AM~5PM
▼料金:無料
▼Tel: (02)9351-1180
▼Email: info@kaldorartprojects.org.au
★Web: 50years.kaldorartprojects.org.au/program/making-art-public
西野達(Tatzu Nishi)
1960年に名古屋で生まれ、武蔵野美術大学、ドイツ・ミュンスター美術アカデミーで絵画や彫刻を学ぶ。その後、97年からヨーロッパを拠点に活動し、都市のあらゆる場所を舞台に、人びとを巻き込む斬新かつ大胆なプロジェクトを多数行う。現在はドイツと日本を中心に世界各国で活躍する。2009年から10年にかけては、シドニーのニュー・サウス・ウェールズ州立美術館で作品展示を行った。17年に芸術選奨・文部科学大臣賞(美術部門)を受賞。
★Web: tatzunishi.net