成果の乏しい教育投資
ナオキ・マツモト・コンサルタンシー:松本直樹
今年の5月に全国の初等・中等教育学校で実施された、恒例の全国共通学力試験(NAPLAN)の結果が、8月28日に公表されている。それを契機に、教育政策、とりわけ教育投資に関する議論が再度活発化している。
教育分野の所管
豪州は連邦制を採用しているが、豪州では高等教育は連邦が主管、一方、初等・中等教育は各州等政府が主管となっている。ただ、連邦は初等・中等教育行政についても、各州等への使途指定交付金を通じて間接的に関与しているし、また各校に対して直接助成を行ってもいる。
例えば政府系学校(公立)の場合には、連邦政府と州等政府との助成比率は1対9程度で、非政府系学校(注:私立独立系学校並びにカトリック系学校を指す)の助成では7対3程度、そして初等・中等学校全体では、連邦が1に対して州等は3となっている。
各種世論調査からも明らかなように、教育分野は恒常的に国民の関心度の高い分野であることから、頻繁に選挙の政策争点のひ1つともなる。教育は労働党が「得意」と自負する分野でもあるが、2大政党の教育政策を比較すると、「選択の自由」を掲げる保守連合が私立の初等・中等学校教育を重視している一方で、労働党の方は、公立学校の充実こそが中核かつ急務との考えである。
高等教育でも2大政党の考えは異なっており、労働党の方はできるだけ多くの者に高等教育を受ける機会を与えるべきとの考えであるが、一方、保守連合の本音は、誰彼も大学に行く必要はないというものである。
労働党のゴンスキー教育改革
初等・中等教育分野で最近大きく注目されてきたのが、ゴンスキー初等・中等教育改革である。ゴンスキー改革とは、ゴンスキー(注:連邦公務員などの年金の財源となる「将来基金」の総裁を務めた、大物のビジネスマン)を委員長とする諮問委員会がまとめた答申書の内容を受けて、ギラード労働党政府が策定した政策で、全国身障者保険スキーム(NDIS)と並び、ギラードが制度改革の双璧と位置付けていた重要政策である。また、継続的な低支持率に喘いでいたギラード政府が、2013年選挙キャンペーンの最大の「セールス・ポイント」と期待していたものであった(注:ただ13年9月の選挙は、実際には返り咲いたラッドとアボットとの間で戦われた)。「教育首相と呼ばれたい」と述べていたことからもうかがえるように、ギラードは教育問題に深い関心を寄せていた政治家である。そのためギラード労働党政府は、2025年までにOECDの国際生徒学力評価ランキングにおける算数(数学)、理科(科学)、そして読解の3科目で、豪州が上位5位に入ることを目標として掲げ、12年9月に政府が公表したいわゆる「アジア白書/アジアの世紀白書」でも、同目標を合計25の国家優先目標の1つとして再確認していた。
政府が採択したゴンスキー教育制度改革案は、向こう66カ年間で145億豪ドルに上ると見積もられていた追加助成を通じて、同目標を達成しようというものであった。ゴンスキー教育改革の中核的な内容とは、政府系と非政府系学校で異なっていた学校助成額決定方式を廃棄し、政府系であれ非政府系の生徒であれ、生徒1人当たりの年間教育コストの共通ベンチマークを設定し、しかも特殊事情も勘案した上で、必要に応じて助成額を調整するという(注:例えば身体障害者や先住民、貧困家庭の生徒などについては、ベンチマークに一定額を上乗せし、他方、非政府系学校の生徒などについては、保護者の支払い能力を加味した上で助成額を調整する)、政府系・非政府系学校の垣根を取り払った、「ニーズ・ベース」の助成額算定方式を採用するというものであった。
一方、初等・中等教育は州等政府の主管とは言え、連邦も莫大な財政負担を行っており、同分野の大幅な予算増に繋がるゴンスキー改革にしても、連邦はその3分の2を負担することとなる。ただ、州等政府としては、自分たちが主管する初等・中等教育分野への連邦の一層の財政的てこ入れは大歓迎であるものの、苦しい「台所事情」の政府も多かったことから、3分の1という追加負担額の大きさに尻込みしていた。また当然のことながら、教育事情や財政事情は各州等で異なることから、連邦労働党政府は各州等政府との間で、財政負担問題などに関し個別に交渉を実施したという経緯がある。問題は、選挙戦の「目玉」にしたかったギラード政府が、教育改革に必要な各州等政府からの同意を得るために、連邦政府からの追加助成問題で「大盤振る舞い」を行ったことであった。
保守連合とゴーンスキー改革
これに対して当時のアボット野党保守連合は、現行の助成制度や助成額決定方式に問題はないと述べつつ(注:各私立学校への助成額決定方式は、ハワード保守連合政府が採用した「経済・社会的ステイタス」SESなるものであった。これは各学校の所属生徒の家族居住地と、同地域住民の所得や学歴といった、豪州統計局の「国勢調査」データとをリンクさせ、それに基づいて各学校毎の点数を算出し、高得点の学校ほど助成額を少なくするというもの)、ゴンスキー教育改革には一貫して反対を表明していた。ところが野党保守連合は、13年選挙の前に、一転してゴンスキー改革支持へと路線転換を図っている。
最大の理由は、そのままではアボット野党が「悪者扱い」される、すなわち、野党はせっかくの教育助成の大幅拡大を阻もうとしている、との烙印を押される危険性が高く、それが次期選挙の観点から野党の重大なハンデとなる恐れがあったからだ。とりわけ、最大州のニュー・サウス・ウェールズ(以下NSW)州や2番手のビクトリア(以下VIC)州が連邦労働党政府と同意し、しかも両州ともに保守政府であったことから、連邦野党保守連合もますます変節を余儀なくされたものと考えられる。
ただし、留意すべきは、野党がゴンスキー改革の内容をそのまま受け入れたわけではなかったことだ。政治的判断からゴンスキー改革を表面上は受入れたアボットも、現実には同改革には冷ややかであった。実際に、13年に政権の座に就いたアボット保守政府は、14年度及び15年度連邦予算案の中で、ゴンスキー改革へのコミットメント、すなわち各州等への追加助成コミットメントを相当に制限している。
これに対し、15年9月に誕生したターンブル保守連合政府は、ゴンスキー改革ではアボットよりも遥かに積極的であった。それどころかターンブルは、16年の5月にターンブル政府の初等・中等教育政策を公表した際に、ゴンスキー本人を記者会見に登場させ、保守政府の政策を「ゴンスキー改革第2弾」とまで呼称している。しかも保守政府は、労働党前政府が各州等政府との特別協定を通じて、ゴンスキー改革の「精神」を台無しにしたと訴えつつ、ターンブル政府の教育政策こそ「真正ゴンスキー改革」とまで喧伝していた。
周知の通り、ショーテン野党労働党は、保守政府のゴンスキー改革への姿勢を鋭く批判してきたわけだが、それまで「労働党教育政策の英雄」と労働党が位置付けてきたゴンスキーを、ターンブルがまんまと抱え込んだことは(注:両者は長期にわたり友人関係を維持してきた)、保守政府にとり大きな政治的得点であった。少なくとも、これで政府の思惑通りに、労働党の教育政策分野での優勢をある程度「中和」することが可能となったのである。
なお、野党は220豪億ドルものカットと指摘しつつ、政府の政策を批判していたが、それは労働党政府時代の「非現実的な」助成計画よりも、政府の助成額が少ないということに過ぎず、保守政府の政策も相当な教育助成の増額を意味するものであった。
全国共通試験の結果
さて8月末には、今年の全国共通試験(NAPLAN)の結果が公表されたわけだが、このNAPLANとは10年程前に、教育問題に熱心なギラード労働党政府が導入したものである。具体的には、年に1回、全国の初等・中等教育学校の一部の学年、すなわち第3学年、5学年、7学年、そして9学年の生徒を対象に、「読み書き・算盤」能力の判定試験が実施される。
ちなみに当時の労働党政府は、学力向上のためには各学校の「読み書き・算盤」のパフォーマンスを開示することが不可欠としつつ、全国共通試験の実施ばかりか、その学校別成績情報をインターネットで閲覧できるシステムを構築している。ところが、これまでに初等・中等教育分野には、州等政府ばかりか、連邦政府からも莫大な予算が投じられてきたものの、今回の試験結果も含めて、その「トレンド」はかなり惨憺(さんたん)もので、国際的に比較しても決して満足いくものとはなっていない。とりわけ「書く」のカテゴリーでは、多くの生徒の能力が逆に低下している有様となっている。
そのため教育政策、莫大な教育投資問題が、再度注目を集めているのだ。なお、全国9政府の初等・中等教育学校支出の総額は、FY2007/08には364億豪ドルであったのが、FY2016/17には578億豪ドルにまで急増している。また同期間に、生徒1人当たりの教育支出は実質で14パーセント上昇している。州等別に見ると、これまではNSW州やVIC州といった大州、そして首都特別地域(以下ACT)での結果は比較的好調で、一方、先住民人口の多いノーザン・テリトリー(NT)では、圧倒的な低水準を記録することが多かった。ただ今年の試験では、西オーストラリア(WA)州やクイーンズランド(以下QLD)州、そしてNTにおいて、とりわけ小学校部門で改善が見られる反面、ACTの結果が低迷している。
共通試験の結果と教育投資
以上のように、医療問題と共に国民が重大な関心を抱いてきたゆえに、2大政党、とりわけ「教育は労働党の十八番」と自負する労働党政府は、これまでにも教育分野には莫大な予算を組んできた。しかもその傾向は、労働党政府によるゴンスキー改革の策定、そしてやや追加予算額は限定化しつつも、アボット/ターンブル保守政府によるゴンスキー政策の採用により、一層強化されてきたと言える。
ところが、こういった政府の姿勢に対しては、以前より教育関係者の一部からも批判の声が上がっていた。それは、「予算額さえ増やせば教育問題は解決する」との甚だ単純な思考、姿勢である。実際、上述したように、全国共通試験(NAPLAN)が導入されて以降、全国政府の教育関連支出は大幅に増加しているものの、NAPLANの結果を見る限り成果は乏しいと言わざるを得ない。また各種研究、調査によっても、教育予算額と生徒の学力水準の間には明瞭な相関関係はないとされる。
むしろ重要なのは、教育予算の絶対額ではなく、教育投資の重点領域、ターゲットであるとされる。その中でも最も重要なのは、教師労働組合が要求、主張してきたクラス生徒数の一層の縮小などでは決してなく(注:労組が支持する理由の1つは、それが教師数の増加をもたらすため)、教師の質、すなわち教師の教育技術の向上にあるとされたのである。そして教師の質の改善のためには、教師トレーニングの充実はもちろんのこと、優秀な人材の確保のために教師の待遇を向上させることや、教師間で待遇の「差別化」を図ること、などが指摘されている。
実はこういった指摘、主張は、野党時代の保守連合が労働党政府を攻撃する際に盛んに取り上げていたものである。ところが、その保守連合も政権党となってからは、国民の反発する教育支出の削減には及び腰となったのである。ただ例年の学力試験の結果は、こういった議論の正しさを改めて証明するものであり、他方で、教師の待遇改善のみに集中し、教師間で待遇に差がつくことを極端に警戒するだけで、肝心の生徒の学力向上問題には関心の薄い、左派系大労組の豪州教員/教師組合(AEU)(注:公立の初等/中等学校の教員で構成される)の無責任さを再認識させるものであった。
なお、学力試験の結果に対するAEUの通常のコメントは、学力試験の結果のみを重視すべきではないという、一般の保護者が抱く関心、希望からはおよそずれたものである。