オーストラリアの日系コミュニティーで活躍するローカル人に話を伺った。
第7回 ジョン・テイラーさん
John Taylor
恐怖を感じないなら、それはチャレンジではない
1960年代に英国から来豪し、フルコンタクト(直接打撃制)空手の代表的な流派である極真空手に入門した。後に日本に渡り、極真空手の創始者、故・大山倍達総裁の指導の下で厳しい修行を積んだ。最高位の称号「範師」を授かり、約半世紀にわたって「国際空手道連盟極真会館」の豪州支部会長を務めてきた。数々の世界チャンピオンを生み出すと共に、「身体と心の強さは表裏一体である」という日本の武道精神をオーストラリアに伝え、青少年の教育や日豪交流にも大きく貢献している。(聞き手:守屋太郎、写真:水村莉子)
テイラー範師はスコットランド生まれの英国育ち。「世界を見てみたい」と英国を飛び出し、オーストラリアにやってきたのは1963年。22歳の時だった。テイラー範師はスコットランド生まれの英国育ち。「世界を見てみたい」と英国を飛び出し、オーストラリアにやってきたのは1963年。22歳の時だった。
――極真空手の世界に飛び込んだきっかけは?
昔から団体競技は性に合わなくてね。チームで戦うスポーツでは、いつもだいたい補欠で、ベンチを温めていたんだ。私には、自分だけで戦える格闘技が向いていた。(ラグビーやサッカーのように)誰かにボールをパスするのを気にしなくていい。成功しても失敗しても、格闘技は全て自分の責任だからね。
10代のころからボクシングをやっていた。初めて体験した日本の武道は柔道。叔父が開いた柔道の道場を手伝っていたんだ。
オーストラリアにやって来た時も「何か始めよう」と思った。たまたま極真空手の募集広告を見て、門を叩いたんだ。ボクシングや柔道のバックグラウンドがあったから、身体に直接打撃を与える格闘技は私に合っていた。寸止めの空手だったら、すぐに辞めていたかもしれない。たまたま入門したのが(フルコンタクトの)極真だったのは、とても幸運だったよ。
若かった私は将来を模索していた。やがて極真は私の人生そのものになり、一生続けたいと思った。でも、当時の私は、ここまで深く関わることになるとは想像もしていなかった。
空手道にはさまざまなスタイルがあるが、大別すると、直接打撃を与えない「寸止め」の「伝統派空手」と、素手、素足での直接攻撃を認める「フルコンタクト空手」がある。極真は後者のフルコンタクト空手だ。創設者である故・大山倍達総裁は、猛牛を素手で倒すなど数々の最強伝説で知られ、梶原一騎原作のマンガ『空手バカ一代』の主人公にもなったカリスマ的な武道家である。テイラー範師は70年に日本に渡り、大山総裁に直接、指導を受けた。
――日本での修行生活はどのようなものだったのですか?
日本の本部では毎日、大山総裁直々にトレーニングを受けた。本部に住み込んで寝食を共にすることができ、非常にすばらしい経験をさせてもらった。もちろん躾しつけはとても厳しかったよ。でも逃げ出したいとは思わなかった。母親が非常に厳しい人だったから、躾には慣れていたんだ。
外国人道場生は他にもいたが、本部に住み込んでいたのは私1人だった。外出するにも許可が必要だったけれど、厳しい環境で鍛えられたのは良かった。若い男にとって、日本の街は誘惑に溢れているからね(笑)。
――その後オーストラリアに帰国し、約半世紀にわたって極真会館豪州支部の会長を務めています。
若かったころの私は、ただ空手の修行を積みたかっただけで、指導的な立場に就くことは考えていなかった。しかし、こうして長年にわたって極真空手に関わることができて、とても幸運なことだと思っている。
日本を離れることになった時、大山総裁が私を呼び「オーストラリアに戻ったら、組織を運営してくれ」と言ったんだ。空手に真剣に取り組んでいた私にとって、その言葉は「神のお告げ」のようなものだった。
帰国後、私は彼の言葉を実行した。オーストラリアの極真空手はどんどん大きくなっていった。77年には大山総裁の出席の下で、初の「全豪フルコンタクト空手選手権」をシドニー・タウン・ホールで開催し、観客が会場に入りきれないほどの大成功を収めた。オーストラリア建国200周年の88年には、英連邦15カ国の代表が集めて「コモンウェルス極真空手選手権」も開いた。
97年には、海外支部を統括する連盟副代表に就任させてもらった。経営していた不動産会社を約20年前に売却し、以来、フルタイムで極真空手の指導と組織の運営に従事している。
日本の武道に「心技体」という言葉があるように、フルコンタクト空手は、一般的なスポーツと異なり、強さとテクニックだけではなく、心を磨くことや礼節を重んじる。同時に、身体に直接打撃を与えるため危険と隣合わせの競技でもある。
――テイラー範師にとって、フルコンタクト空手の本質は何ですか?
重要なのはチャレンジ(挑戦)だ。恐怖を感じないチャレンジは、決してチャレンジとは言えない。恐れるからこそ、挑戦となり得る。
空手というのは、コーチが常に横にいてあれこれ指示するスポーツではない。非常に狭い環境の中で、皆が一緒に戦い、互いを高め合っていくものだ。
――精神面では生徒に何を教えていますか?
強さだけではなく、精神の修養は極めて大切だ。生徒には、「強くなれ」、「自分自身の技量をリスペクトせよ」、そして「自分の力を悪用するな」と言っている。オーストラリアの学校では「ディシプリン」(鍛錬、躾)を教えてくれないからね。
――これまでの人生を振り返って思うことは?
非常に恵まれてきたと思う。若い時は組織を大きくするために汗を流した。組織が大きくなると、世界大会をオーストラリアで主催し、成功させることに力を注いできた。現在は、選手の指導・育成に専念している。これまで、この道場から7人が世界の頂点に立った。今後もより多くの世界チャンピオンを育てていきたい。
私を受け入れてくれたオーストラリアはすばらしい国。この国で極真空手を教え、多くの人と巡り会えたのは幸せだと感じている。昔の私のようにオーストラリアに来た若い人たちは、人生で何をやり遂げたいか狙いを定め、その目標に向けて100パーセントの力を発揮して欲しい。
武道家の強面なイメージとは対照的に、優しい笑顔が印象的だ。シドニー五輪・パラリンピックが開催された2000年には、オーストラリアのスポーツ界への長年の貢献が評価され、勲章「オーストラリア・スポーツ・メダル」を受勲した。日本で4年に一度開かれる極真空手のワールドカップに毎回、100人以上の生徒を派遣するなど、日本とオーストラリアの人的交流の発展にも大きく寄与している。空手道に「引退はない」と語るテイラー範師の更なる活躍に期待したい。