【第15回】最先端ビジネス対談
日系のクロス・カルチャー·マーケティング会社doq®の創業者として数々のビジネス・シーンで活躍、現在は日豪プレスのチェア・パーソンも務める作野善教が、日豪関係のキー・パーソンとビジネスをテーマに対談を行う本企画。今回は、コロナ禍においてなお存在感を高め、業績を伸ばしている時計ブランド、セイコーオーストラリア社の菅沼幸明社長にご登場願った。
(監修・撮影:馬場一哉)
PROFILE
菅沼幸明 (すがぬまゆきあき)
セイコーオーストラリア・マネージング・ディレクター。1991年服部セイコーに入社(現セイコーホールディングス)。シックレザー事業マーケティング、家電用品、スポーツ事業での海外マーケティング、2002年にはソルトレイク冬季五輪公式時計にてスピード・スケート・プロジェクト・リーダー。ウオッチ海外事業アジア・オセアニア・マーケットを担当し2019年より現職。8歳より書道をはじめ、大日本書芸院審査員
PROFILE
作野善教(さくのよしのり)
doq®創業者・グループ·マネージング・ディレクター。米国広告代理店レオバーネットでAPAC及び欧米市場での経験を経て、2009年にdoq®を設立。NSW大学AGSMでMBA、Hyper Island SingaporeでDigital Media Managementの修士号を取得。移民創業者を称える「エスニック·ビジネスアワード」ファイナリスト、2021年NSW州エキスポート・アワード・クリエティブ産業部門最優秀企業賞を獲得
作野:菅沼さんがセイコー・オーストラリアの社長として着任されたのは2019年5月のことでした。
菅沼:辞令が出たのがその年の2月末でした。アジア・オセアニア・パシフィックの担当をしていたため、将来的な可能性は考えていましたが、当時は特に中国市場に力を入れていたこともあってオーストラリアに決まった時は驚きました。
作野:オーストラリアには何度かお越しになられていたのですか?
菅沼:出張ベースですが来ていました。青い空と、人の親しみやすさが印象的で気に入っていました。カフェで並んでいるような時に、店員さんとお客さんの間で「How are you?」のあいさつから会話が始まり、後ろに人が並んでいてもそれがなかなか終わらないということがありますよね。僕はそのような、ある種のおおらかさがとても良いなと感じていました。
作野:米国で見られる社交辞令の言葉ではなく、本質的に人と人が交流していますよね。来豪に際し、どのようなミッションをご自身に課されましたか。
菅沼:現地スタッフのジョブ・ディスクリプションや組織をレビューするなど準備をする中で、まずは組織の抜本的な構造改革が必要だと思いました。さまざまなアイディアやビジョンを持った上で来豪しましたが、いざ来てみると机上の理論では解決できない部分が多々あることに気付き、危機感を得また。そこで最初の100日は自分の目でしっかり状況を「見る」ことに徹しながら現状分析し、同時にグランドセイコー(編注:セイコー社の最高級ブランド)の単独ブティックをオープンするたのプロジェクトを立ち上げました。セイコーは「銀座のブランド」ですから、シドニーでも一等地にグランドセイコーのブティックを開きたいと考えたわけです。
作野:19年末にブティックをオープンさせたわけですが、その後コロナ・パンデミックが始まりました。
菅沼:グランド・オープニングは2月を予定しており、オペラハウスにあるファイン・ダイニング「べネロング」で盛大にパーティーをやる予定でした。しかし、当時はコロナそのものの実態も見えず、不透明な先行きの中で決断だけはしなければならず断腸の思いでキャンセルいたしました。最初の大型プロジェクトでしたので非常に辛い思いをしたことを思い出します。
作野:まさに荒波からのスタートですね。
菅沼:ええ、その前には歴史的な規模のブッシュ・ファイアーもありましたし、今年は洪水もありました。困難な状況の中、どのように会社をマネージメントしていくのか、深く考える良い機会になりました。
作野:ロックダウン時にはどのように対応されましたか。
菅沼:3月の早い段階でほぼ100%のスタッフを在宅勤務させる意思決定をしましたが、体制を整えるのは苦労しました。ウェアハウスの管理は在宅ではできませんし、カスタマー・サービスなどオペレーション系の仕事をどのように在宅で行うかは大きな課題でした。
作野:日系企業ではありますが菅沼さんが唯一の日本人と聞きました。日本とは環境が異なり全員ローカルの職員という状況、いかがでしたか。
菅沼:日本語で意思疎通できる人間が職場に誰もいないというのは不安ではありました。ただ、言葉は違えども、自分の考えをしっかり持っていれば伝わるでしょうし、どちらにしてもやるしかないわけですから、一気に気持ちを切り替えました。ただ、パンデミックの中、スタッフに仕事のスタイルを変えさせるのは困難な仕事でした。新たなやり方に対応できないスタッフもいましたが、全社員を守る立場として、1人も辞めさせることなく窮地を乗り越えるという意気込みで取り組みました。僕が常に社員に言ってきたのは、「僕たちは皆ファミリーだ」ということです。
作野:以前お伺いしたエピソードを思い出します。メルボルンのリテールで40年以上勤め上げたスタッフが引退される際、菅沼社長自らメルボルンまで出向き、サプライズでグランドセイコーをプレゼントされたそうですね。
菅沼:彼は、40年以上という人生の長い時間をセイコーのために費やしてくれました。その貢献には感謝しかありません。
コロナ禍、オフィス・スペースを改築
作野:さまざまな変革をされる中、もう1つの大きな動きとしてオフィス・スペースのリノベーションを実施されました。
菅沼:コロナ禍で経費を切り詰めなければならない状況下、オフィスをダウン・サイズする企業もあったと思います。そんな中、あえてオフィスの改修・拡張工事を行うというのは、時代に逆行しているように見えるかもしれません。しかし、長い目で見た時に企業文化の醸成のために必要なことだと私は考えました。在宅勤務に際し、電話による声だけでのコミュニケーションは原則禁止にし、画面で顔を見ながらミーティングを行うことといたしました。オンラインで効率的にコミュニケーションを行えるようになった点は良かったと思いますが、一方で「行間」を読めない、あるいは相手の熱や思いが伝わらないと感じる場面も少なくありません。そんな中、ポスト・コロナを見据えて、むしろオフィスでのコミュニケーションがより円滑に行えるような職場づくりに取り組んだというわけです。
作野:現在、オフィスに勤務できる状況が戻ってきましたが、変化は感じておりますか。
菅沼:現時点ではオフィス勤務は以前の60%という状況なので、フル活用とは言えませんが、共有スペースで昼食を食べたり、仕事の合間に笑顔で会話するようなシーンが多く見られるようになりました。自然発生的なコミュニケーションから、社員の声が聞けるようになっているので成果はあると感じています。デジタルの世界でのコミュニケーションだけで、企業文化を醸成させていくのは限界があると思います。会社と言っても人間の集まりですから、家庭と一緒で、近い距離で交流することによって培われていくものがあると思います。
作野:菅沼さんが変えたいと思った部分はどのあたりでしょうか。
菅沼:私がチームに感じていた課題に「個が強すぎる」というものがありました。それは必ずしも悪いことではないのですが、個が強すぎると横の交流が損なわれ、チームとしてのつながりが欠けてしまいます。私はその原因の1つを、オフィスのレイアウトにもあるのではと考えました。
高まる世界の識者からの評価
作野:日本ブランドの強みは日本のカルチャーに由来する「調和」だと私は考えていますが、これはそのままセイコーのプロダクトにも現れていると思います。優雅さ、優れたクラフトマンシップから生まれる絶妙なファンクション、それらが遂に国際的な舞台での評価につながりましたね。
菅沼:2021年ジュネーブ時計グランプリ(Grand Prix d’Horlogerie de Genève=GPHG)で、グランドセイコーのSLGH005がメンズ・ウォッチ部門賞(Men’s Watch Prize)を受賞しました。
作野:時計界のアカデミー賞と呼ばれる舞台で、日本のプロダクトの価値が世界的に認められた瞬間ですね。
菅沼:おかげさまで、この受賞を機にグランドセイコーの名が、世界のウォッチ・コレクターに急激に浸透しました。日本のデザインの良さはシンプルさにありますが、実は見えないところにも手を入れています。そういった伝えなければ分からない細かな点も、広くお伝えできるようになりました。
作野:菅沼さんは既に30年以上と非常に長い期間にわたり、セイコーで働かれています。一方で、豪州には2~3年で仕事を変えるジョブ・ホッピングのカルチャーもあります。その点、経営者として思われるところはございますか。
菅沼: 2~3年でできることって非常に限られますよね。新しい職場に入って、自分のカラーを出しながら2~3年で成果を出すというのはたいへん難しいことです。人生のゴールにしてもそうですが、仕事においても、ゴールはそんなに近くにあるものではないと思います。ジョブ・ホッピングをするにしても、しっかりと中期的な視点を持って動かなければせっかくのキャリアも無駄になってしまう気がします。
作野:3年という期間で、自身の人材価値を高い状態に保ちながら成果を出せる人というのは非常に限られた優秀な人材ですよね。1分たりとも無駄に使わないレベルの歩み方ができる人でなければ高いレベルでのミッションの達成は難しいですよね。
シドニーの一等地に新ブティック
作野:現在シティーのQV Bにあるセイコーのブティックを移転されるそうですね。
菅沼:現在の場所も人通りは多く、決して悪くはないのですが、スペースが手狭なのと、オープンしたての頃とはデモグラフィックが変わってきました。グランドセイコーでは既に我々の情報をしっかりと発信し、メッセージを伝えていますので、セイコーでも、それぞれのプロダクトにおいて適切なメッセージを伝えたいと考えました。
作野:ジョージ・ストリート沿いと聞いています。
菅沼:アップル・ストアの近くです。売り場面積も大きくなることに加え、同じ商業施設に若者向けの店もあるので、若者への情報発信もできるようになります。イベントの企画など、ダイナミックに、枠にとらわれない使い方をしていきたいと考えています。
作野:以前にように一等地で日本のブランドを見ることがほとんどなくなってきているので、シドニーの一等地でセイコー、グランドセイコーを見られるというのは在豪日本人としては非常にうれしいですね。ところで、菅沼さんがお越しになられて、オーストラリアから学んだことはございます
か。
菅沼:個人的に学んだのは新しいライフスタイルですね。日本にいる頃は朝から晩まで働き、お酒を飲んで朝方帰るなどということも頻繁にありましたし、出張も多かった。しかし、こちらに来てまず驚いたのは午後4時くらいから社員がぽろぽろといなくなることです。マネージャー・クラスでもみんな僕より早く帰る。だからといって、仕事をしていないかというとそんなことはない。そしてその時間に帰れば、夏時間であればゴルフもできてしまいます。生活の時間帯の中で充実したプライベートの時間を過ごせるというライフスタイルの差はものすごく大きいですよね。
作野:プライベートが充実することで、生産性があがり結果的に会社へのリターンとして返ってきますよね。
菅沼:僕自身も早く帰って自分の時間を作るようになりました。この点は日本との大きな違いだと思いますが、日本も働き方の多様化で変わるかもしれませんね。ただ、一方で自分のテリトリー以外の仕事をしない人もいて、その点には困らされる時があります。しっかりとしたジョブ・ディスクリプションがある分、それ以外のことをやらないなど。ちょっとした気遣いで変わることもあるので、そのあたりはうまく調和できるといいと思います。
作野:バランスですよね。日本人は優先順位を付けずにやりすぎるから残業サイクルに入ってしまう。一方でジョブ・ディシクリプションの範囲内だけのマインドセットになってしまうと、横のつながりが作れず生産性が上がらない流れになってしまいます。それは課題かもしれませんね。
作野:セイコーオーストラリアはコロナ禍においても、業績を伸ばしている状況ですが今後の目標はありますか。
菅沼:グローバル・マーケットでも、オーストラリア市場はだいぶポジションが上がってきていますが、もっと存在感を高めて世界に対して影響力のある会社にしていきたいと思っています。
作野:人口は2500万人と少ないですが可処分所得の高さでは決して無視できない市場ですね。最後にこちらで同じようにチャレンジされている方に向けて何かメッセージがあればお願いします。
菅沼:私も含めてですが、遊びでも仕事でも何でもやったことのないことにトライすると良いかと思います。
作野:菅沼さんはサーフィンを始められたと聞いています。
菅沼:オヤジ・サーファー・デビューですね(笑)。ビーチから海を見ていたのとは逆に、海からビーチを見るという目線の違いが新鮮です。シーカヤックも始めたのですが、小さい波でも海面30センチのところにいると意外と大きく感じます。目線が変わるというのは面白いことですね。
作野:何事にもチャレンジというマインドセットから生まれる発見ですね。本日はありがとうございました。
(5月17日、セイコーオーストラリア社で)