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2人のゴードン、ゴードン・リザーブ公園─マーベラス・メルボルン

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詩人アダム・リンゼイ・ゴードンの銅像

 メルボルンCBDスプリング通りにある州議事堂と旧財務省ビルの間にゴードン・リザーブ公園があり、詩人のアダム・リンゼイ・ゴードンと英国軍人のチャールズ・ゴードンの銅像が立っている。

 アダムは、エリザベス女王やダイアナ妃がスピーチに引用するほど英国で知られた詩人である。英国の詩人オスカー・ワイルドは、アダムは英国民族の中で最も優れた詩人の1人であると称賛し、作家のコナン・ドイルもアダムの詩をたたえている。1934年、アダムの胸像がロンドン、ウェストミンスター寺院の詩人広場に建立された。唯一の豪州人である。

 アダムは英国東部で競馬が盛んなチェルトナムに1833年に生まれ、20歳の時に豪州SAに単身、移民した。チェルトナムで乗馬に親しんでいたので、ペノーラやマウント・ガンビアで騎馬警官、調教師、競馬の騎手などで生計を立てた。ペノーラでは聖人マリー・マキロップの恩師であるジュリアン・ウッズ神父に出会って、詩を作り始めた。

 競馬は英国や豪州では上流階級のスポーツや娯楽であり、紳士的でスマートな騎手としてアダムは人気を集め、多くのパトロンがサポートするようになった。ペノーラの富豪で、クナワラ・ワイン地区の創始者であるジョン・リドックもパトロンであり、アダムはリドックの豪邸ヤラムに長逗留し、詩作にふけった。そのころ、シドニーやメルボルンの新聞に多くの詩を寄稿している。

 アダムは、競馬で何度が落馬し、体調を壊したためビクトリアへ移転したが、メルボルンでは、アダムの詩が酷評され、やむなくバララットに滞在した。その後、70年にメルボルンのセント・キルダで、失意の中で自ら命を絶った。没後数十年してアダムの名声は特にメルボルンで、「天才」「国家的詩人」として高まった。アダムの銅像は、市民の寄付により1932年に建立された。

 チャールズ・ゴードンは、英国の軍人で、アヘン戦争時代の中国で将軍として活躍した後、1885年にスーダンのハルツームで反乱軍によって部隊共に全滅された。

 チャールズは豪州には来たことがないが、英国や豪州でも非常に人気が高い将軍であり、89年の銅像建立には市民から多くの寄付が集まり、オープニング・セレモニーには8000人が集まった。英国にはチャールズの銅像は多数、建立されている。アダムとチャールズに親類関係はないが、共に1833年に英国で生まれ、王立軍事学校時代は同級生であり、ゴードン・リザーブ公園で顕彰されている。

このコラムの著者(文・写真)

イタさん(板屋雅博)

イタさん(板屋雅博)

日豪プレスのジャーナリスト、フォトグラファー、駐日代表。東京の神田神保町で叶屋不動産(Web: kano-ya.biz)を経営。

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