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大切なことを見つける/セクレタリーの“ヒショヒショ話”

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第19回:大切なことを見つける

 意志を貫くには、それなりの覚悟が必要である。自分が「やりたい」と思っていることを貫く生き方はそれほど容易なものではない。

 大阪で働いていた20代のころ、自分の人生で何をやりたいのか、そのためには今をどう生きるべきなのかばかり考えていた。同年代の友人は、みんな青春を謳歌するかの如く合コンや彼氏とデート、旅行に精を出していたけれど、私にはそんな時間はないと思っていた。きっと、なんてつまらない子なのだろうと周囲には思われていたに違いない。でも、私には自分が求めている人生はそんなものではないと確信していた。

 日本には家族もいて、仕事もあって、お見合いの話も数多いのに、何が不満なのかといつも父親に怒られていた。





 自分を見つけるために、海外に行こうと思った。誰も知らない所で、自活して一から始める。シドニーに行くことに決めた。地元のビジネス専門学校に入り、市内にアパートも借りた。電気、ガス、電話を初めて自分の名前で申し込んだ。炊飯器もないキッチンで毎日自炊した。冬のシドニー、初めての一人暮らしは寒かったけれど、とても楽しかった。

 自分の時間がたくさんあって、何をしようかと毎日ウキウキしていた。マーティン・プレイスに座って、行きかう人を見ていた。天気の良い日は、フェリーに乗ってマンリーに行った。どこに行っても、人びとはとても楽しそうである。

 平日のビーチで散歩する人と話しをしてみた。有給休暇中だとかで、楽しそう。仕事は大好き、でも休暇はもっと好き、休暇のために一生懸命働いていると言っていた。そうか、どこで働くということより、どれだけ自分の仕事が好きかということが大切なのだ。

 大阪で働いた時、周囲の人は私がどこで働いているかを聞いてはうらやましがっていた。だけど、「自分の仕事が好きか?」と聞かれて、私は「はい」とは答えられなかった。これだと思った。自分が楽しめる、納得できる仕事をするべきなのだと。仕事は、会社の規模や名前ではない。自分の能力をどれだけ活用して貢献でき、やりがいを感じられるかである。シドニーに来てよかった。とても大切なことが1つわかった。

 両親には、6カ月したら日本に帰ると言って許してもらったシドニーでの生活体験。30年経った今でも、まだシドニーにいたいと思う。

ミッチェル三枝子

ミッチェル三枝子

高校時代に交換留学生として来豪。関西経済連合会、マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社に勤務。1992年よりシドニーに移住。KDDIオーストラリア及びJTBオーストラリアで社長秘書として15年間従事。2010年からオーストラリア連邦政府金融庁(APRA)で役員秘書として勤務し、現在に至る





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