【第25回】最先端ビジネス対談
日系のクロス・カルチャー·マーケティング会社doq®の創業者として数々のビジネス・シーンで活躍、現在は日豪プレスのチェア・パーソンも務める作野善教が、日豪関係のキー・パーソンとビジネスをテーマに対談を行う本連載。今回は、10年以上Googleに勤務し、現在はシドニーを拠点にアジア太平洋地域のインクルージョン戦略責任者を務める寺澤ジョー・敬子氏にご登場願った。
(撮影:クラークさと子)
PROFILE
Jo Keiko Terasawa
島根県出雲市出身。東京女子大学を卒業後、バース大学で修士号を取得。英国から帰国後、医療コミュニケーションと研究専門知識の分野でキャリアをスタート。その後HR分野へキャリア・チェンジし、2011年Googleに入社。オーストラリアへ移住し、シドニー大学で労働法と労働関係の修士号を取得。現在は、アジア太平洋地域のインクルージョン戦略責任者を務める
PROFILE
作野善教(さくのよしのり)
doq®創業者・グループ·マネージング・ディレクター。米国広告代理店レオバーネットでAPAC及び欧米市場での経験を経て、2009年にdoq®を設立。NSW大学AGSMでMBA、Hyper Island SingaporeでDigital Media Managementの修士号を取得。移民創業者を称える「エスニック·ビジネスアワード」ファイナリスト、2021年NSW州エキスポート・アワード・クリエティブ産業部門最優秀企業賞を獲得
作野:来豪された経緯について伺えますか。
寺澤:Google Japanで5年間勤め、次にどうしようかと考えた時期がありました。日本で他の外資系企業に転職するか、社内の他の部署やポジションに就くかの2択で考えていたのですが、イギリスで出った夫と「いつかまたもう一度海外に住めたらいいね」と話していたこともあり、国は関係なくオープンに仕事を探し始めました。子どもが3人おり、一番上の子がちょうど小学生になる年だったので、そのタイミングで共働きでき、会社員ではない夫のクオリフィケーションが使える所などいろいろな条件を見ながら、Googleのオフィスがある都市を検討していた際、シドニーへの選択肢が浮上し、2人とも行ったことはなかったものの良い場所だと聞いていたので、移住を決めました。
作野:なるほど。社内異動をしたことになるのですね。
寺澤:はい。ジオ・トランスファーと言うのですが、自分のポジションを持ってオフィス移動だけすることになりました。私はもともとアジア・パシフィックの担当で、ビジネス・ケースがあったので、とんとん拍子で2016年の3月に移動しました。
作野:運と縁とタイミングが全て合ったという感じですね。生まれと育ちは日本ですか?
寺澤:学士までは日本です。島根県出雲市の田舎で育ち、大学から東京に出て、卒業後イギリスに渡り大学院生になり、同時通訳を学びました。日本帰国後は、東京医科大学でメディカル・コミュニケーションのリサーチャーとして、医師や看護師、医学生に向けたメディカル英語コミュニケーションの教科書を作ったり、レクチャーをしたり、製薬会社との治験プロジェクトや医療系の国際NPOの事務局運営などに携わっていました。
作野:現在とは全く違う仕事ですね。Googleに転職されるきっかけとなったのは何ですか。
寺澤:東京のメディカル系のリサーチャーとして4年間働く中で、ダイバーシティが随分と遅れていることに気付きました。当時所属していた組織内で人事部に移動して変革を起こすより、より長期的な視点を持って、より前向きなことに自分の能力を使いたいと考え、HRに特化した仕事に転職しようと思ったんです。大手外資系のクライアントをサポートするプロジェクトがどんどん入ってきている時期のHRコンサルティング会社から機会を頂け、入社しました。新たな分野を学ぶ気があって、かつ英語のできる人ということで入れて頂き、そこからHRの道を歩み始めました。
作野:なるほど。そういう道を通られてきたんですね。
寺澤:はい。そこで4年間コンサルティングの経験を積み、その後Googleに入社しました。
目からうろこの体験があるダイナミックな環境
作野:現在、Googleでのタイトルが「Head of Inclusion and Equity Program」ということで、アジア・パシフィックのダイバーシティ・エクイティ・インクルージョン(以下、DEI)の責任を持った仕事をされていますが、具体的にどのようなことをしているのか伺えますか。
寺澤:会社など、枠組みの中ではアンダー・レプレゼンテッドと呼ばれる、市場にいるよりそのレプレゼンテーションが低い人たちのためのコミュニティー「Employee Resource Group(ERG)というものがあり、そこのサポートをしています。ただ単にサポートするだけでなく、グローバルやリージョンのダイバーシティ戦略に合わせた形で、そのコミュニティーの活動を支援しています。社内でアジア人女性や黒人女性のリーダーシップ・サミットを作ったり、LGBTQの人たちのためのデベロップメンタル・プログラムを作ったりもしています。
作野:日本特有の、なかなか変えることが困難な環境で仕事をされた後に、Googleという世界でも先進的なカルチャーを持っている会社で、さまざまな取り組みをされているわけですが、その大きな違いをどのように感じていますか。
寺澤:大きな違いは、出会う人たちの幅が広い点です。人種や出身地などバックグラウンドはもちろん、基本的な考え方が全く異なる人たちと毎日仕事をするので、目からうろこの体験が日々あって、例えば、女性だからこうでなければならないとか、もう何歳だからこれをしなければならないなど、そういう固定概念に自分自身、気付かされる時があります。そういうダイナミックな環境の中にいる分、変化は起こしやすいと言えるかもしれません。
ダイバーシティはどこからでも始められる
作野:ご自身が地方で生まれ育った日本人女性ということもあり、全く違う世界からダイナミックな環境に飛び込んだ。だからこそ、ダイバーシティの仕事をする上で、マイノリティの方々の観点に自分を投影し、その人の考え方をより深く理解できるなどといった面もあるかもしれないですね。
寺澤:ダイバーシティは、スタート時点では違いがありますが、結局、理解を深めていくと同じところに行き着くため、誰がどこから始めても良いと思っています。それぞれが自分のいる環境でできることをやっていくということが大事なのではないでしょうか。
作野:日本のDEIは、世界と比べると非常に遅れていると感じていますが、どのようにお考えですか。また、日本のために何をしたいと思いますか。
寺澤:日本の強みはたくさんあると思いますが、外から見て特にユニークだと思う点は、みんなが同じでなければいけないという基本的な考え方です。みんな違って、それぞれ良い部分があるという観点をなかなか受け入れがたいというか……。ダイバーシティとは、異質なものを入れていく作業なので、最初は効率が下がるんです。イノベーションが起きる前に、ダイバーシティだけを取り入れると、混乱や困惑、いら立ちなど、上手くいかないことが最初に出てきます。しかし、そこを避けていては、ダイバーシティがもたらす力をビジネスのイノベーションにつなげていくことはできません。大多数とは違う考え方などに対する拒否反応をコントロールしながら、少しずつ本質的な変革につなげていくという点が大きな課題だと思います。内側からはなかなか変化が起こしづらく、変革を起こそうと思って中から頑張ってやっている人たちが続かないという風潮があるので、外から風を送り込んでいく作業が必要だと感じます。
作野:特に日本では、同調圧力だったり、周りの人がどうやっているかを見て自分も決めるような文化がある中、インフルエンシャルな人が何をやっているか、みんなが注目していると思います。ムーブメントを起こす時は、そのインフルエンシャルな人に同意する人たちと一緒に声を上げていくということが、日本のコミュニティーやビジネスにとって大変有効なアプローチになるのではないでしょうか。
自己認識レベルを高めることの重要性
作野:日豪間でジェンダーやDE Iの仕事や女性リーダーをされている中で最もチャレンジングだったことは何ですか。
寺澤:DEIとは、企業経営において、従業員それぞれが持つ多様な個性を最大限に活かすことが、企業にとってより高い価値創出につながるという考え方をベースにしていますが、そもそも「自己認識(self-awareness)」のレベルによってその人ができることは限られます。どのように各個人のselfawarenessを上げていくかという点が実は最も難しいのです。困難な事態に対峙した際、各個人のawarenessレベルによってできることが全然違うことが分かります。そんな中、何をするのが最も効果的かというと、ストーリーテリングなんです。さまざまな人のストーリーを聞くことによってselfreflectionができ、自分も話したくなります。自身のストーリーを語る際は必ず内省する必要がありますが、そこで得られる気付きは大きいものとなり、「自己成長」が起こります。トップ・リーダーでもジュニアの人材でも、DEIに関するself-awarenessに関する精錬レベルに、肩書きは全く関係ありません。ジュニアの人でもself-awarenessが高い人は、DEIに関して高いリーダーシップを示すことができます。Googleではそういった人たちが少なくありません。
作野:そのような感覚は、人生においてどのように醸成されるものですか。
寺澤:やはりさまざまな経験をすることですね。経験から生まれるsel f-ref lect ionと、あとは、私が「目からうろこ体験」と呼んでいる「aha moment」を体験しているかどうかです。いかに自分の考え方と違う人と触れ合ってきているかだと思います。
作野:なるほど。単一民族で同じ文化の人たちの中で育っている人たちがほとんどの日本に比べると、オーストラリア社会の方が、そういった機会が子どものころから日常的にあるのかもしれませんね。
寺澤:そうですね。
作野:その中で、寺澤さんみたいに日本で生まれ育った人が、グローバル企業で、そういった役割と仕事をされているのはほんとすごいことだと思います。
寺澤:あんまり自覚はないですが、後々考えてみると、都道府県の中で島根県の共働き率が高いということが影響していたのかもしれません。私が子どもの時、専業主婦のお母さんの家はほとんどなく、みんな働いていて、それが当たり前だったので、意外と地方で育っている子どもたちというのは、割と都会のステレオタイプの影響を受けにくいというか、もう少し野放しの状態で育っていたりするんで
すよね。
作野:固定概念にはまりにくいということですね。
寺澤:私もそうでしたが、公立の学校だと、障がいを持った人と同じ教室で勉強するなど、今でいう流行りのインクルーシブ・エデュケーションが40数年前にあったわけです。私には片足義足の大親友がいたり、小学生の時に自閉症スペクトラムの同級生が同じ教室で過ごしていたりして、ものすごい発想の意見を言ったりするんです。「あ、かなわないな」って思うような発言をしていたので、そういう経験が現在すごく活きていると実感します。
全てのベース・ラインで日々変化するDEI
作野:寺澤さんのパーソナル・キャリア・ビジョンは何ですか。
寺澤:昔から「being a bridge」ということを念頭に置いていて、何かと何かのギャップの架け橋になりたいという夢がずっとありました。それは通訳であったり、その次はメディカル・コミュニケーションであったり、現在は人事でDEIに携わっていますが、形は違っても、ライフ・ミッションとしてそれを続けていきたいと考えています。DEIは、全ての根幹で、それがあるからこそイノベーションが起きます。DEIのホット・トピックは、日々どんどん発展しています。昔は女性だけのトピックだったのが、今はLGBTQ、ディサビリティー、人種など広がりを見せています。それらの研究も進み、DEIのしっかりとしたビジョンを持ち、そこに向かって行動するのが、私のライフ・ミッションだと思っています。
作野:最後に日豪プレスの読者の方々にメッセージやアドバイスを頂けますか。
寺澤:変化の中にいると、辛いことばかりが見えてくるかもしれません。自身のカルチャー・トランジションも大変ですが、もしお子さんがいらっしゃるのなら、どのようにサポートしてあげたら良いのかを考えてみてください。それまで見えていなかった、さまざまなバイアスのある、困難なチャレンジも出てきたりすると思いますが、それをチャンスと捉えましょう。その経験をした人にしかできないことがあります。だからこそ、チャレンジのタイミングが訪れた際には、ワクワクした気持ちで、例えばレモンをどのようにレモネードにするかといったような「ここから何を学べるのか!?」といったマインドを保てると良いのではないでしょうか。そうすることで、時に困難な海外生活も、楽しくポジティブに過ごしていけるのではないかと思います。
作野:ありがとうございます。
(2023年11月24日、シドニー市内で)