オーストラリア出身初の世界的ポップ・シンガー
1972年のヒット曲「I Am Woman」で一躍国際的なポップ・ミュージックの世界で名を成したヘレン・レディさんがロサンジェルスの自宅で亡くなった。
1941年にメルボルンに生まれたレディさんは、ベビー・ヘレンの名で両親と共にツアーして回った。1965年にはオーストラリアの音楽ショー・テレビ番組「Bandstand」で優勝し、ニューヨークへの招待券を手に入れた。
1971年に「I Don’t Know How To Love Him」でヒットし、アメリカのヒット・チャートでトップに立った初めてのオーストラリア人になった。
その翌年には、ヘレン・レディの名と共にポップ音楽史に残る「I Am Woman」で世界的な名声を獲得した。
この曲は、レイ・バートンとの共作で、女性解放運動のテーマ・ソングのようになった。当初、「I Am Woman」は、「ウィミンズ・リブのクズのような歌」とこきおろされていたが、世界的ヒット曲になるともう誰も「クズのような歌」とは言えなくなった。
翌年、レディさんは、オーストラリア人としては初めてグラミー賞を獲得し、受賞の挨拶で、「神に感謝したい。彼女(神)はあらゆることを可能にしたのだから。これまで誰も女達のことを歌わなかった。今こそそうすべき時だと思う」と語っている。
最近にはディメンチアと診断され、芸能界から遠ざかってカリフォルニア州の子供達の近くに住んでいたが、2014年にはツアーでオーストラリアに帰っている。
また、2019年にはトロント国際映画祭でヒット曲「I Am Woman」と同じ題名でレディさんの伝記映画が発表された。
ヘレン・レディ・ファンのオフィシャル・フェースブックで、家族が、「素晴らしい母であり、祖母であり、真に強い女性だった。私達は心を引き裂かれながらも、彼女の歌声が永遠に生き続けることを慰めとしている」と述べている。
■ソース
Helen Reddy, Australian singer of hit song I Am Woman, dies aged 78 in Los Angeles