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東京ホテル隔離体験記(1)最後まで分からぬ滞在地、銀座の仕出し弁当

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ホテル隔離体験記、シドニーから東京へ(1)
──到着まで分からぬ滞在地、銀座の仕出し店の弁当

6泊7日を過ごすには手狭だが、男1人に割り当てられるのはこれくらいのスペースだろう
6泊7日を過ごすには手狭だが、男1人に割り当てられるのはこれくらいのスペースだろう
 12月下旬、オーストラリア・シドニーを発ち、6日間のホテル強制隔離が義務付けられている日本へと帰国。記事公開現在も都内ホテル隔離中の、在豪日系メディア「Nichigo Press」記者が隔離生活の様子を、写真と共に紹介していく。
(文・写真:馬場一哉)

12月21日午後7時過ぎ、羽田空港へと到着。2年ぶりの日本だが、その後に待ち受ける煩雑な手続きを想像すると少々気が滅入った。というのも、事前の噂でいろいろなことを耳にしていたからだ。曰く、ホテルに入るまで到着から8時間掛かった……。曰く、福岡までバスで運ばれた(成田空港着のケース?)……。ホテルでは窓を開けることが許されない……、隔離中はお酒が禁止されている……など。

豪州に限らず海外在住日系人の中には、それらの情報をSNSなどから得て、果たしてどのタイミングで日本に一時帰国すべきかと悩まれている人も少なくないだろう。実際の入国、隔離生活の様子はどのようなものなのか。必ずしも同じ条件下には置かれないにしても、ケース・スタディーの1つとして、入国から出所までの僕自身のトータル7日間について私見を交えながら3回に分けて書いていきたいと思う。一時帰国に悩まれている在留邦人の参考になれば幸いだ。

なお、ホテル滞在前に手にした「検疫所宿泊施設滞在のしおり」には「待機施設内の様子などをSNS や動画サイトなどに投稿することはご遠慮願います」と書かれていた。本記事ではこの点に配慮し、具体的な宿泊施設名には触れず、室内の写真には一定の加工を施すことにした。基本的にはルールは大きく変わらないはずなので一般事例として解釈頂いて問題ないと思うが、一事例であることも念頭に置いて読み進めて頂ければ幸いだ。

航空機内で配られた誓約書
航空機内で配られた誓約書

降機後、急いでもあまり意味はない

飛行機の停車後、シードベルト着用サインのランプが消灯するとキャビン・アテンダントからアナウンスが入る。

「日本へと滞在される方から優先的にお降り頂きます」

さて、と立ち上がりながら体を伸ばす。何となしに周りを見渡してみると、立ち上がったのは飛行機全体でもおそらく両手で数えられてしまうほどの小人数であった。

外国人の新規入国制限があるとはいえ、年末年始を日本で過ごそうと帰国する日本人はもっと多いかと思っていたので少々驚かされた。

飛行機から降りると、そこからはベルト・コンベヤーに載せられているかのごとく、次々に空港内に設置された各ブースを順にまわることとなった。同じ通路を何度か行き来することになるが、通路はしっかりと仕切られ、係員もいるため迷うようなことにはならない。

各ブースでは、厚生労働省からの質問事項への回答であるQR コードの提示、唾液のサンプルを取る検査、スマホに入れる必要アプリのダウンロード・チェック、アプリの設定内容の確認など、役割が細分化されている。1つのブースでは基本1つの事項にフォーカスしているため、スタッフのチェックに時間が掛かることもなく、事前準備をしておけばどんどん先へと進むことができる。

ただ、もともとの提示書類などに加え、各行程で新たな紙をもらうこともあり、手元にはいつの間にか書類がたまる。そんな紙の束を見ると多少の煩わしさと共に「ああ、日本らしいな」と懐かしさもまた同時に感じた。オーストラリアでは免許から保険証、決済手段、診療履歴、何から何までデジタル化していてスマホ1つで提示や処理が済む。便利である一方、マニュアル的なオペレーションがどんどん姿を消していくことへの味気なさもたまに感じたりするものだ。

気付けばとんでもない数の書類が手元に
気付けばとんでもない数の書類が手元に

実際、もらった書類の中には、結果的にあとから何度も読み直しているものも少なからずあり(隔離ホテルでの細かなルールなど)、その点では紙の方が利便性が高い情報もある。一方、内容が重複しているにも関わらず、何度か確認を求められた際には少々辟易した。だが、難しい手続きは特にないので、空港スタッフ同様、通過儀礼として1つ1つ淡々とこなしていくと良いだろう。

さて、この流れ作業の中、何度も提示・提出するため毎回しまい込まず、手に持っていたほうが楽なのが「健康カード」と「ピンクのカード」だ。

前者は、空港内実施のコロナ・ウイルス検査に関する「個人番号」などが記載された検疫所の発行の書類だ。スタッフには「健康カードをお見せください」と言われるが、たくさんの紙の中「どれが健康カード?」と戸惑ってしまう人もいると思う。なぜなら、書類のどこにも「健康カード」とは記載されていないからだ。「紙に下4桁の個人番号が記されたシールが貼られた書類」と覚えておくと良いだろう。

「健康カード」の名は水際対策に関わる空港検疫スタッフの間で、いつの間にか当たり前となっていった通称なのかもしれない。勝手な推測だが。

また、後者「ピンクのカード」は検査結果が出た後に渡される、その名の通りピンク色の小さな紙だ。移動の最中、通路などで「ピンクのカード、お見せください」と何回か言われるのでもらったあとはしまい込まず手に持っておくといい。用紙には番号が記載されており、それを元に乗降するバス等が認識できるようになっているのだろう。

さて、ここまでの一連の流れにおいて、僕の場合、事前に必要アプリを入れるなど準備をしていたので各行程をざっと流れるように通り過ぎることができた……のだが、推論では、事前の準備を万全にしていようが、最終的に隔離ホテルに着く時間が変わる可能性はほとんどない。

というのも、各手続きを経た後、最終的には検査結果の判明・発表の待機エリアで待つことになるのだが、そこまでの到着が早かろうが遅かろうが、結局、検査結果が出る時間は変わらないからだ(おそらく)。つまり、仮に途中の行程で、不備などでもたついてしまったとしても焦らなくて大丈夫ということ。もちろん、検疫スタッフの手間やストレスの軽減のためにできる準備はしっかりしておくべきだが、一方で完璧に準備をしなければとストレスを感じてしまうような方にはセーフティ・ネットもあることをお伝えしておきたい。

途中の行程では、スマホの活用に自信のない利用者も丁寧にサポートを受けていたし、スマホを持っていない方向けには途中のブースでレンタル・サービスのコーナーが設けられていた(持っていない場合は絶対に借りなければならないと誓約書に記載されている)。このように、万全のサポート体制が敷かれていることは到着後の手続きに不安を覚えている方にとっては安心材料と言えるだろう。

ほぼミステリー・ツアー!? 到着したのはまさかの……

検査結果の発表まで待機エリアでは結局2時間待つこととなり、僕の番号が呼ばれたのは午後10時過ぎ。その後またしばらく待機時間を経ていよいよ入国審査となった。「ピンクのカード」を提示しながら税関へ向かい、最後の組なので荷物受け取りもスムーズ。その後係員の誘導でバス乗り場へと向かう。その途中、1人の男性が誘導スタッフに尋ねた。

「いったいどこのホテル滞在なのでしょう?」

当然誰もが答えを知りたい質問だ。スタッフは答えた。「すみません、私たちも知らないんです」

誘導するバスの把握はしていても、そのバスの行き先までは本当に知らないのだろう(あるいは伝えてはいけないのか)。

バスはいわゆる一般的な観光タイプのもので、パネルにはアルファベット順に名前が振られ、僕が乗ったバスには「ホテルG」と記載されていた。僕の後ろに座った若者たちは「Gっていったいどこ?」と小さな声で静かに盛り上がっていた。

バスが出発したのは午後11時30分。飛行機到着から4時間半が経過していた。周囲の顔ぶれはこの4時間半、ちらほらと近くで見かけていた人たちで結局ほとんど変わっていない。やはり、同時間帯に到着した人は結局、同時間帯に空港を発つことになるのだろう。

およそ20人を載せた「ホテルG」行きのバスは、空港を出発するとそのまま首都高へと入った。乗客の誰もが行き先、それどころか想定の乗車時間すら知らない。せめてどれくらい掛かるかだけでも教えてくれれば良いのにと、なんだかおかしな気持ちにもなった。まるでミステリー・ツアーだ。

バスはどんどん都心に近付き、間近に東京タワーが見えてきた時には車内にスマホのシャター音が響いた。羽田空港周辺のホテルが濃厚、という説があったがどうやらそうではなさそう。霞が関を通り過ぎるあたりでは都心のシティ・ホテルを期待したりもしたがスルー。バスは池袋方面へ向かう路線へと入る。その先には埼玉、あるいはより足を伸ばすのであれば東北道方面へと向かうことができるが、僕はそう遠いところには連れて行かれないだろうと踏んでいた。根拠は薄弱だが、遠方であるなら事前のトイレ利用をもっと促すにちがいないからだ。

そしてその頃から僕の中ではある予感が頭をもたげ始めた。僕の実家は神楽坂というエリアにあり、首都高上では池袋の手前にあたるが、遠方へ向かうのでなければ宿泊施設もまばらになるため池袋を超えることはない、つまり、隔離ホテルは実家に近いのではないか……。しかし、これは僕にとっては大いなる皮肉。なぜなら、最終日である退所日、僕は実家の目と鼻の先の隔離ホテルから強制的に羽田空港へと戻されることになってしまうからだ。

神田橋の出口で降りれば飯田橋・九段下周辺のホテル。そう思いながら見ているとスルー、ほどなくJR飯田橋の駅が見え、懐かしさがこみ上げる。次の出口、早稲田で降りると実家までは徒歩圏内。しかしそこは危なくスルー。どうせならもう周囲の景色が広い埼玉方面のほうが良いかもと思った矢先、バスは次の東池袋で一般道へと降りた。実家もさることながら、今度は護国寺の妻の実家が至近だ。

若い頃、終電をなくし池袋から夜通し歩いた道など、馴染みのある光景を眺めているうち、バスはホテルへと到着した。バスを降りると懐かしい東京の夜の香りがした。

チェックイン作業も、笑顔を絶やさぬスタッフがスムーズに行ってくれたおかげで、部屋にはすぐに入ることができた。時刻は午前1時手前くらい。部屋はよくあるビジネス・ホテルのシングル・ルームで、残念ながら大きな荷物を広げるスペースは確保できそうにない。

ただ、隔離生活下、入り口の扉を開くことはほとんどないため、玄関スペースに旅行バッグを置くことにした。靴を履く機会もないのでしまい込み、スペースの有効活用を目指した。

荷物は入り口の扉前のスペースを有効活用
荷物は入り口の扉前のスペースを有効活用

翌日からの生活のためにルールなど状況把握したいこともたくさんあったが、シドニーの自宅を出てから20時間。もはや疲れ切っていた。明日以降のことは明日考える。そう決断し、シャワーをさっと浴びたが翌日も仕事。1日移動に費やしてしまったこともあり、仕方なくパソコンに向かった。やっとのことでベッドに入ったのは午前4時近くだった。

隔離初日朝、寝不足の身にアナウンスの嵐

ベッドに入ってわずか2時間ほど経った午前6時、突如、天井のスピーカーから館内アナウンスが流れた。「6時になりました」の声と共に、コロナ・ウイルスの・テスト・キットを配布する旨が案内された。3日隔離の人は3日目、6日隔離の人は加えて6日目、10日隔離の人は更に加えて10日目にテストをすることが義務付けられているが、滞在1日目の僕には関係ない。

つまり、このアナウンスは毎朝6時に館内全体に必ず掛かるというわけだ。再びうたた寝をしていると今度は午前8時「健康チェックを行ってください」とのアナウンス。毎朝8時に体温を測り、それをホテルの専用チャット・アプリを通して連絡、更に「SOSアプリ」でも連絡をする必要があるとのこと。体温を測り、2個所にレポートしなければならないわけだ。面倒だが仕方ない。

ホテルから手渡された書類一式を見ると、中にはチャット・アプリ用のQRコードがプリントされた紙が入っていた。スキャンするとID を求められたが何の番号か分からずコールセンター(フロント)に電話して聞くと、カードキーに貼ってあるという。

前日チェックインの際に説明を受けた気がするが、あまり覚えてない。体温を測り、無事報告を終え、再び布団に潜り込むと今度はその30分後再びアナウンスが。

「朝食の準備ができました。お部屋の扉のフックに……マスクを着用の上……」

もう頼むから静かにしてくれ……! 疲れと寝不足の中、畳み掛けてくる館内アナウンス。

頭に布団をかぶり「今日から6日間、ここから一歩も出られないのか……」とひとりごちる。すると心拍数が急激に上がり、少し呼吸が苦しくなってきた。

ベッドの上にある窓を見上げる。外の空気を吸いたい。念のため「検疫所宿泊施設滞在のしおり」を頭からざっと読みなおす。「窓を開けるな」とはどこにも書かれていない。

窓を開閉するフックに手を掛け下ろすと、手のひらが何とか出し入れできるレベルの隙間ではあったが開閉することができ、そこから冬の東京の懐かしい風の匂いが飛び込んできた。

窓の外は壁ながら空けると風が通る。これだけでも気分が変わる
窓の外は壁ながら空けると風が通る。これだけでも気分が変わる

「帰ってきたんだな……」

改めて深呼吸をする。

窓を開け、外の空気が入ってくる、外の音が聞こえてくる。それだけでも隔離中のメンタルに及ぼす効果はきっと大きい。

食事は銀座の仕出し店のもの

朝食-昼食-夕食(初日)
左上から:朝食(初日)、昼食(初日)、夕食(初日)

さて、隔離初日。いよいよ食事だ。まずは写真をお見せするのが早いだろう。順に初日の朝、昼、夜の食事だ。内容も味も悪くない、見た目もきれいだが、すべて同じ仕出し店の食事のため、朝、昼、晩のおかずの内容がかぶっている点が難といえば難。ただし、同じ仕出し店の弁当を朝、昼、晩と頼むことは通常はなかなかない。そこを突っ込まれても業者としては困ってしまうところかもしれない。

なお、弁当に貼られていたラベルから店を調べてみたところ、僕の滞在ホテルが頼んでいる仕出し弁当は銀座の仕出し店のもので、取引先には政府関係組織、芸能関係、その他大手企業などの名がずらりと並んでいた。

実際、このお弁当がカンファレンスなどで提供されるシーンを想像するとクオリティーは高く、参加者の満足度も高いものとなるだろう。とはいえ、毎日・毎食、口に入れる日常食と考えると明らかに野菜が足りず、また冬の東京での食事と考えると冷たいのがどうしても気になってしまう。ただ、冷えてもおいしいのが弁当に求められる必要十分条件。その点では、十分おいしく満足できるレベルだった。

ただ、これから最終日まで残り合計14食あることを考えると何かしら自身での対策も必要となってくるだろう。2日目以降、クオリティ・オブ・隔離ライフを高めるために、必要なものの取り寄せなどのチャレンジをし、紹介していければ思う。以下、僕の滞在しているホテルのケースだがTIPSまでに。

【ドリンクについて】

チェックインの際にはペットボトルの水とお茶を頂いたが、以降は食事配給の際に250ミリのお茶1本。水は頼めば持ってきてくれるが毎回頼むのもお互い手間だ。僕は浄水フィルター付きの水ボトルを常備しているのでこれに大いに助けられた(後にコーヒー、味噌汁などを作る際にも大いに役立った)。また、隔離期間中、「アルコールが禁止」というのはリアル情報であった。残念ながら我慢するしかない。

【着替えや洗濯、清掃】

部屋の清掃はなく、リネン類も交換がない。シャンプー、リンス、ボディソープはあるが、その他ホテルのアメニティは歯ブラシ1個、綿棒2本くらい。アメニティーには期待せず、事前に準備しておくとベターだろう。ランドリーの使用も不可だが、望めば洗剤はもらえる。ただ、浴室での洗濯、部屋干しとなるので、少なくとも隔離期間中の下着や着替えは数をそろえておいたほうが無難だ。ちなみに僕はぎりぎり6セットを用意した。「部屋着はなし」と記載されていたが、引き出しに袋に入った新品の入院着のような物が入っていたので僕はそれを寝間着に使用、助かっているがあるとは限らない。

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