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コロナ禍の下でケインズ経済学を学ぶ必要性について

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今さら聞けない経済学

日本や世界の経済ニュースに登場する「?」な話題やキーワードを、丁寧に分かりやすく解説。
ずっと疑問だった出来事も、誰にも聞けなかった用語の意味も、スッキリ分かれば経済学がグンと身近に。
解説・文=岡地勝二(龍谷大学名誉教授)

第68回 コロナ禍の下でケインズ経済学を学ぶ必要性について

 前回の「ケインズ経済学」についてのほんの入り口に続き、今回は少しケインズ経済学を掘り下げ、現在との関係に触れながら考えてみたいと思います。確かにケインズは「過去の人」です。しかし「ケインズ理論の真髄」は今なおちゃんと生きています。とりわけコロナ禍で世界が大混乱している時には、ケインズの考えが再度、世界経済の在り方を教えてくれるのではないでしょうか。

ケインズ経済学の真髄

 前回見たように、ケインズは有効需要の原理というケインズ理論を確立し、世界の人びとからとても大きな尊敬を受けました。1929年から33年にかけて世界は「大不況=世界恐慌」に見舞われ、それを克服するためにケインズ理論が取り入れられたのです。とりわけ、アメリカでは失業者が巷に溢れ、政府がどのような政策を取っても失業者は増えるばかりでした。そこで当時の大統領ルーズベルトは、思い切ってケインズをホワイトハウスに招き、彼の経済政策の方針を聞いたのです。するとケインズは突然、大統領に全米の地図を見せてください、とお願いをするのです。不思議なことを頼むなぁとケインズに地図を見せると、ケインズはこう言ったのです。「大統領、私の言うことを実行してくださればアメリカ経済は再生します」と。南部諸州を貫き切って流れる大河、テネシー川にダムを造ってください。それもできるだけたくさん。そうすればアメリカの不況は克服できます。そう言うのです。

 渋々ながらもルーズベルトは、ケインズの忠告に従ってテネシー川に幾つかの巨大なダム建設計画を実行しました。考えてみると、巨大なダムを造るには想像を絶するほどの資金と資材を必要とし、更に数限りない人びとを雇う必要があります。そのために政府は巨額の政府投資を実行したのです。するとどうでしょう、あんなに溢れていた失業者がダム建設に雇われるようになり、減少し始めたのです。ダムを造る資材の注文が企業に大量に入り、そこにも失業者が雇われるようになりました。この計画が遂行されるに及び、アメリカの大量失業問題と不況は解決に向かい、アメリカ経済はよみがえったのです。この遠大な再建計画は世に「T VA政策=テネシー川流域開発公社」として知られています。このTVA政策はそれ以後、世界経済の復興の見本として世界に知られるようになり、そしてケインズの経済再建政策も世に知られるようになったのです。

ケインズ政策の日本経済への応用

 このケインズ政策は実は日本にも持ち入れられていました。日本が第二次世界大戦の復興から立ち上がろうとした時、このケインズ再興政策を導入したのです。政府はまず、1960年代初頭に名古屋と神戸間に高速道路建設(名神ハイウェー)を計画しました。世の中ではまだ「牛車」が堂々とまかり通っていた時代の高速道路計画です。更に、64年に開通した東京・大阪間の「弾丸列車=新幹線」を造り上げたのです。これらは、まさに日本にとってT VA 政策に匹敵するような事業でした。これらの公共事業によって日本経済は息を吹き返したのでした。日本経済の復興は、まさに「ケインズ経済理論の導入」だったのです。

有効需要の原理

 ケインズは訴えるのです。政府がどんどん投資をし、それに人びとを雇えば人びとの賃金が増大し、増大した賃金を人びとは消費に回します。つまり、たとえ「井戸掘り」にでも政府はお金を使えば良い、と言ったのです。そうすれば人びとは井戸掘り作業に雇われ、賃金が手に入るのです。すると人びとは財の購入量を増大させます。お金が世に出回るようになり、世の景気が高まるに違いありません。この有様をケインズは「有効需要の原理」と名付けました。この「有効需要の原理」がケインズ経済学の真髄であり、この主張こそが「ケインズ革命」の命題なのです。

 ケインズ以前の経済学者は、一様に「節約の尊さ」を説きました。「人びとが手にする賃金の中から消費に回さず節約をし、その分投資に回せば経済水準は向上する」と説いたのです。その考えをケインズは180度転換させ、「消費こそ経済活性化の原動力だ」と訴えたのです。

 更にケインズは、政府は借金をしてどんどん投資をしなさい。人びとが生きるのに必要な財の供給を赤字を出しても財政支出を増大して作りなさい、そうすれば国の経済の水準は上昇する。つまり、「赤字財政」の必要性を説いたのです。まさにこの考えは「革命的」だったのです。

ケインズと国際通貨基金

 ケインズは、第二次世界大戦によってどん底まで落ち込んだ世界経済を立て直すためにとても大きな力を尽くしました。世界経済を復興させる第1の武器は資金力の安定した供給であるとみなしたケインズは、「国際通貨基金(IMF)」の設立にも大きなエネルギーを注ぎました。世界経済の復興には財の取引きの増大が不可欠であり、それを成し遂げるには資金の流通が何よりも必要だ、と認識したケインズは、世界の通貨の安定的な取引きに必要な基金を作り上げようとしました。そして「国際通貨基金(IMF)」という制度の設立に尽力したのです。

 第二次世界大戦がまだ火中にある1943年に早くもケインズは、もう二度と世界大戦を繰り返さないために、世界でスムーズな通貨の交換性の確立が成し遂げられなければならないと見なしていました。翌4 4 年7月にはアメリカの北部ニューハンプシャー州のブレトン・ウッズという町に、戦争に勝利すると見られた国の代表を集め、国際通貨制度設立の話し合いを始めました。これが戦後、国際通貨基金(IMF)となって、世界経済復興の中心的役割を果たすことになったのです。

 ケインズはこのIMFの設立に中心的な役割を果たし、世界共通通貨というものさえ作ろうとしました。しかし、それは当時、世界で絶大な力を持っていたアメリカ政府の反対によって実現しなかった、と言われています。

 そんなケインズは、過酷な条件の下で精力的にイギリスとアメリカとを往復。そして厳しい国際会議に疲れたのか、国際会議が開かれたアメリカ南部、ジョージア州のサバンナという風光明媚な港町で急病に倒れ、急遽イギリス戻ったものの、46年に66歳の若さで世界から惜しまれつつこの世を去っていきました。当時、ノーベル経済学賞があったなら、ケインズは間違いなく受賞したであろうと万人が認めています。

 さて、ケインズ経済学の基本用語を最後に見てみましょう。(1)消費は美徳、(2)有効需要の原理、(3)ケインズ革命、(4)投資乗数理論、(5)国際通貨基金の設立ーー。

 これらの5つの重要な言葉は今なお、大学の経済学の講義で学生たちが学んでいる大切な経済の理論であり、世界経済の政策を語る時、どれ一つとして欠かせない理論なのです。

解説者

岡地勝二

岡地勝二

関西大学経済学部卒業。在学中、ロータリークラブ奨学生としてジョージア大学に留学、ジョージア大学大学院にてM.A.修得。名古屋市立大学大学院博士課程単位終了後退学。フロリダ州立大学院博士課程卒業Ph.D.修得。京都大学経済学博士、龍谷大学経済学教授を経て現在、龍谷大学名誉教授。経済産業分析研究所主宰

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