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日系Z世代「ぶっちゃけ座談会」
オーストラリア育ち「日英バイリンガル」の実態

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 多民族国家のオーストラリア。同国で生まれ育った日本人も多く、子育てに奮闘する親もたくさんいる。どのように子育てをすれば子どもたちは英語と日本語を流ちょうに話せるようになるのだろうか。今回は、オーストラリアで日本人の親の元で育った、10~20代のいわゆるZ世代を代表し、筆者の所属する野球チーム3人のバイリンガルに、彼らの英語・日本語に対する考えや、両言語を使いこなす思考回路などについて話を伺った。
(インタビュー、撮影:阿部慶太郎)

田中敦大さん

生まれも育ちもシドニーの24歳。小学校はアーターモン、高校はチャッツウッド・ハイスクールを卒業後、現在は社会人として働いている。野球チームでは不動の1番センターとしてチームの核弾頭を務める。

山口力護さん

熊本県八代市生まれ。2歳のころ、親の仕事の都合でシドニーに移住。現在はチャッツウッド・ハイスクールに通う18歳の高校生。将来は日本の大学への進学を希望。野球チームでは強肩を生かし投手内野手を兼任。

安達慧さん

福岡県生まれ。生後3カ月の時に親の仕事の都合でオーストラリアへ。小学1年生までケアンズで暮らし、その後シドニーに移住。現在はライドのハイスクールに通う17歳。野球チームでは投手捕手内野手をこなすユーティリティー。共にチームでプレーする父と日々野球の腕磨きに奮闘中。



日本人バイリンガルのバックグラウンドと思考回路

――オーストラリアで子育てをする親が多い中、どうすれば子どもたちがバイリンガルとして育つのか話を伺いたく、本日は当事者である皆さんに集まってもらいました。皆さんは全員親が日本人ということですが、家でのルールなどがあったら教えてください。

田中:これといったルールはなかったです。親があまり英語を話せないので、日本語で話さないとコミュニケーションが取れないということはありました。特に家の中で日本語で話さなければいけないという決まりはなかったのですが、英語でコミュニケーションを取っても親に伝わらなくて、親との関係がギスギスしたりケンカになったり……。そういう経緯があり、家では自然と日本語を話すようになりました。

山口:自分は父親がオーストラリアの大学を出ているので英語が話せるのですが、母親があまり話せないので家の中で日本語を話さないとコミュニケーションが取れないという状況でした。母親いわく、英語が呪文のように聞こえていたらしく、英語で話しても、聞き取ってもらえず無視されていました(笑)。ルールは特になかったですが、そういう環境だったので家での日本語の使用は必須でした。

安達:自分は田中さん、山口さんとは少し異なり、親の意向でオーストラリアにいても日本語が話せるように「家では日本語」というルールがあったので、日本語を覚えざるを得ない感じでした。家にあったゲーム機も日本語の物しかなかったので、自然と家の中では日本語に囲まれていました。

――田中さんと山口さんは、親が英語でのコミュニケーションをあまり得意としていないから、日本語を覚えざるを得ない状況になったということですね。

山口:親が英語を流暢に話せたら、子どもは英語で話すようになると思います。

田中:それは間違いないですね。親が英語を日常生活でも話す環境にいたら、ここまで自分たちの日本語は上達しなかったですね。子どもの時から日本語を聞いて育っていたのは大きいと思います。

――家族以外の人と会話をする時に、日本語と英語のどちらが話しやすいですか? 頭の中ではどちらの言語に変換されるのでしょうか。

田中:日本語で話している時は完全に日本語のモードになっています。頭の中も日本語でいろいろ変換されています。でもやっぱり時々言葉に詰まる時があって、そういう時は英語に切り替えるとその単語がパッと英語で出てきて、それが日本語に再翻訳される感じです。基本的に英語脳、日本語脳は共存していないです。図で表すなら、1つの丸の中に日本語と英語の丸があって、ほんの少し重なっている部分があるくらいです。今となってはどっちの言語の方が話しやすいとか、特にないですが、幼いころは圧倒的に英語脳でした。学校ではずっと英語だったので、それに引っ張られていました。ここ数年は環境の変化もあり、日本語を話す機会が増えたので、少しずつ日本語も追いついてきて、ようやく今はバランスが良くなってきた感じです。

山口:自分は圧倒的に英語です。ボキャブラリーの量で言うと絶対的に英語の方が勝っているので。日本語で話すと、特に敬語を使う時に詰まることが多いです。逆に英語で詰まった時には、たまに日本語に置き換えて再翻訳します。僕たちバイリンガルは困った時にもう一方の言語に言葉を置き換えて再変換できるので、すごく楽で便利です。なぜか分からないのですが、置き換えたらその言葉がパッと出てくるんですよね。

田中:分かる。なぜか出てくるんだよね。

安達:自分の場合、山口くんと逆で日本語の方が話しやすいです。僕がいるコミュニティーはけっこう日本人が多く、そういう中でのコミュニケーションは基本日本語になるので、日本語の方が話しやすいです。オーストラリアで生活していると英語も自然と汲み取れるようになってくるのですが、頭の中での言語の変換に関しては日本語が軸になっています。英語の本を読むよりは日本語の本の方が面白いと思っていたので、触れる機会も断然日本語の本の方が多かったです。日本語特有の言いまわしなどもたくさん日本語の本で仕入れたのですが、英語でいざその言い回しを伝えようと思ってもその言葉自体がないんですよね。自分は、日本語で詰まることよりも英語で詰まることの方が多いと思います。



オンライン形式で行った座談会は和やかなムードで進んだ

――(ここで、坊主頭なのに画面に映る自分の髪の毛を気にし、いじる山口くんに対し)

田中:お前は坊主だから髪の毛いじっても意味無いからな(笑)

一同:笑

――ちなみにこういう時に英語でツッコミという文化はあるのですか。

田中:ないです(笑)。

安達:だから英語の言い回しは、難しいんですよ。

山口:ツッコんだら、「何、お前」みたいな感じです(笑)

田中:ボケとツッコミ、こういうものはないですね。誰かが何かをしていたら、「What are you doing?」みたいなことは言いますけど、ボケとツッコミっていう概念自体がないですね。

――気を取り直して、普段日本語も上手に操っている皆さんですが、難しいと思いますか?

一同:難しいです。

――何が一番難しいと感じますか?

田中:自分の場合は、自分の名前以外全く漢字で書けないのでそれが難しいですね。それに加え、ひらがなとカタカナも難しいです。あとは会話をする際、先程安達くんが言ったような日本語独特の言い回しですよね。それは子どもの時から難しいと思っていました。

山口:自分は日本の大学に進学したいと考えているのですが、日本語を書くのが一番難しいです。現在、小論文を書く練習をしているのですが、非常に苦労しています。小論文を書くには最低でも小学1年生から中学3年生までの間に勉強する漢字を覚えなければいけないんですよ。そこがすごく難しくて。普通の文章を書いたりするのは問題ないのですが、小論文のようなフォーマルな文章を書くのが一番大変ですね。

田中:今まで教わってきてないもんね。

山口:土曜校などで日本語についての勉強はしてきましたが、小論文の書き方は教わっていないので苦労してます。

安達:書くのも難しいと思いますが、自分は日本語特有の言い回しが難しいと思います。英語と異なり、日本語は1つの言葉にいろいろな意味があったりする言葉がたくさんありますよね。伝えたい言葉の意味とは異なった受け取られ方をしてしまうケースもあるのでそこが難しいと思います。英語のようにストレートに伝えるだけでなく、ひねった言い方をしないと伝わらないこともあるので、結構大変ですね。

田中:英語は英語で、皮肉とかで独特の言い回しもありますけどね。

安達:確かにそうですね。でも英語はけっこう回りくどい言い方をすると「何でもっと簡潔に言わないんだ」って言われてしまうことがあります。

――日本語のここが変だなあと思うことはありますか?

田中:日本語って会話の中に主語がないことが多いじゃないですか。「明日どこ行く?」「ディズニーランド」みたいな感じで。英語だと「Where do you go?」「I would go to Disney Land」って絶対主語が入るんですよね。これが不思議だなあって思います。あと、日本語は擬音が多いですよね。

安達:だから日本の本を読むのが好きなんですよ。日本語って感情を表す表現が英語より多いと思います。オーストラリアのカートゥーンよりも日本の漫画の方が惹かれます。そのおかげで日本語に触れる機会が増えて日本語が上達しやすくなったのかなと思います。

――先程の話題に少し関係するかもしれませんが、オーストラリアという英語圏で育ってきた中で、どのように日本語を勉強し、上達させてきましたか?

田中:土曜日の午前中に開講してる日本語学校のクラスに小学2年生の時に通っていたのですが、日本語がいやっていう理由で辞めたらしいんです。勉強して学ぶ日本語はそこで止まってしまったので、実際書くことは今も苦手で、逆に話すのは感性で乗り切っています。また、中学2、3年生くらいからジャパレスでバイトをし始めて、そこで日本から来たワーキング・ホリデーの人たちと話すことで少しずつ上達した感じだったと思います。あとは、「ジャパン」という硬式野球チームに入り、日本人とプレ-することで自分の日本語習得にもつながりました。勉強して身に付いたというより、遊びながら習得してきた感じです。あと、安達くんのように漫画はめちゃくちゃ読んでいました。漫画やアニメを見て育っていたので、日本のポップ・カルチャ-にはずっと触れていました。そういうこともあり、日本語に興味を持ったという感じです。

山口:自分は小学生の時に土曜校に入り、日本語の基礎を楽しく学んでいたのですが、当時は読み書きはそこまで好きではありませんでした。でも、話すことと聞くことは好きで自然と上達しました。中学校に入ってからも、読み書きはあまり勉強していなかったので、ひらがなとカタカナ、多少の漢字は勉強しましたが、なかなか上達しなかったです。人との連絡などで文字をタイプすることが増えたので、文字を読むことは上達しました。小論文の練習のために、現在塾に通っているのですが、漢字を書くことに非常に苦労しています。

安達:僕も小学生の時に土曜校に通っていて、自分は割とその授業のレベルについて行けていました。家にあるゲーム機が日本のゲーム・ソフト「ファイナル・ファンタジー」や「ドラゴンクエスト」など日本語はもちろん、特に漢字が理解できていないと進めないロールプレイング・ゲームだったので、いつも国語辞典を持ってゲームをしていました(笑)。そのおかげで、漢字の意味や読み方、使い方を覚えました。日本語を上達させる良い機会だったと思います。また、父親に、漫画より先にその作品のアニメを見た方が、最初に音と目でそのストーリーを理解することができると勧められ、その方法を取り入れました。その方が、あとで漫画を読んだ時に理解しやすいんです。勉強というより、楽しいことをしながら日本語の上達につなげたと思います。

――話を聞いていると、皆さん勉強させられているというより、娯楽を通して自発的に日本語を勉強していますね。

安達:そうですね。自分の父親が塾などが好きではないので、遊びを通して勉強させてくれました。また、ポップ・カルチャーを楽しんでいると、そのカルチャーを楽しんでいる他の人と話すこともできるので、会話のきっかけにもなるんですよね。そうするとそのゲームやアニメ、漫画の感想を共有することができるので、他の人に意見を聞いて、もっとその物に対して、深堀りしたいと思えるんですよ。

田中:漫画はマジで教科書です。アニメのキャラクター同士の掛け合いが会話の勉強にもなるので。また、自分も含めてオーストラリアにいる日本人が使う日本語は、今どきじゃないと思いました。18歳の時、自分が初めて野球チームで日本から来た同い年の人と絡んだ時に、若者言葉を使っていたんです。同い年なのに、生まれ育った環境が違うだけで同じ言語でもこんなにも差があるのだと実感しました。コミュニケーションに苦労した経験があります。その時必死でその人たちの話し方やノリを研究しました。自分の親は、彼らがオーストラリアに来た時の日本語で止まってしまっているので、それを聞いて育つと日本に帰ってアップデートしない限りは最近の日本語にはついていけなくなりますね。

――オーストラリアで育った日本人だからこそ良かった、また悪かったと感じることはありますか。

田中:良かったことは、バイリンガルとして両方の言語が自然と身に付いたことです。悪かったことは、その過程で子どもの時に頭の中がパニックになったことですかね。コミュニケーションにおいてたくさん苦労はしましたが、今となっては親に感謝ですね。

山口:自分は、まだ18歳未満なのでどちらの国でも生活することができるという点です。将来の生活基盤の選択肢が増えたということは本当に良かったと思います。悪かったことを挙げるとすれば、日本の高校生として部活動をしてみたかったのですが、それが叶わなかったことです。オーストラリアには学校の部活動というものがないので、自分が中心となり部活動的な物を作ったりしましたが、日本みたいにレベルの高いものではないので、うらやましいです。

安達:日本とオーストラリア両方の文化に触れることができるのが良い点だと思います。逆に、自分は2つの国籍を持っている身として、日本人なのかオーストラリア人なのか分からなくなり、自分のアイデンティティーが分からなくなる時があります。自分では日本人と思って生きているのですが、オーストラリアで過ごしている時間の方が圧倒的に長いので、他の人が経歴だけを見たら普通のオーストラリア人だと思われると思います。その点で自分はどういう人間なのかって考えさせられています。

田中:それは自分も思います。幼少期からオーストラリアで暮らして、自分は何人なんだろうって内面的に苦労して悩むことはありましたね。今でも時々ふとした瞬間に考えさせられます。日本人から見たらゴリゴリのオージーに見えるし、オージーから見たら「お前はジャパニーズだ」と言われるので、気にしてるわけじゃないですけど、ふとした瞬間に思います。

――最後に将来の夢を教えてください。

田中:これといって特に明確にはないのですが、せっかくなので、今のうちに日本に行って仕事の経験を積んで、英語が使えるので、他の英語圏の国を回ってみたいですね。若いうちは旅をして世界を見ながら仕事ができれば良いですね。

山口:自分は日本のプロ野球選手になりたいです。レベルの高い環境に行って練習をしてプロになりたいです。もしプロになれなかったとしても、なるべくハイレベルの中でチャレンジしたいです。ABL (Australian Baseball League)も選択肢の1つです。オーストラリアでプロになろうとすると、日本人の場合ビザの関係などがあるので、自分のような境遇だと恵まれているのかなと思います。

安達:自分は海洋学者になりたいです。オーストラリアは海に囲まれた国なので、研究のし甲斐があると思います。日本と関連があるかは分からないですが、寿司や刺し身とかも好きなので、魚好きになるきっかけだったのかもしれません。日本で働いてみたい気持ちもありますが、野球チームの先輩方に「やめとけ」と言われているので(笑)。でも、せっかく両言語を話すことができるので、日本に関わる仕事もしてみたいです。

――本日はありがとうございました。




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