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日豪フットボール新時代「悲報」第132回

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第132回 悲報

取材にも、いつも気さくに、かつ真摯に応えてくれた

「工藤壮人、ICUで治療中」との我が目を疑うニュースに接し、情報が限られる中でひたすら快復を祈った。しかし 、その祈りも虚しく、4日後に悲報が届いた 。元日本代表でブリスベン・ロアでもプレーしたストライカーは、32歳で不帰の人となった。

 その余りに早い死は、フットボール界のみならず、国内外の広い範囲に大きな衝撃を与えた。彼のフットボーラーとしての多くの実績を称えるだけではなく、誰もが異口同音にその人間性のすばらしさを語るトリビュートがSNS上にあふれた。1年に満たない期間でも、彼が暮らし、プレーしたブリスベンでも人間・工藤壮人と知り合い、触れ合った多くの人びともその非業の死を悼み、彼との思い出を語って故人を偲んだ。元日本代表ながら腰が低く、優しい笑顔が印象的なジェントルマン。取材では、実績は自分が上位でも、既に先発の座を確保していたひと回り近く年下の檀崎竜孔をいつも立てた。ロア入団が決まった際には、面識のない檀崎に自らメッセージをして、宜しくと挨拶を入れるような心遣いができる人物だった。

 そんな彼のロアでの唯一のゴールは、昨年4月28日、アウェーのセントラルコースト・マリナーズ(CCM)戦で生まれた。そのゴールをアシストしたDFスコット・ネヴィルは思い出を語ってくれた。

「マサトは、試合の前『8年前にここでゴールを決めたんだ』(筆者注・14 年柏の一員として臨んだACLの対CCM戦)と言っていたよ。彼の8年越 しの思い出の地でのゴールをアシストできて誇りに思うよ。彼は、真のプロフェッショナルでジェントルマンだった」

 これからも折に触れ、工藤壮人というフットボーラーのブリスベンでの生き様を少しずつ伝えていきたい。それが筆者ができる一番のトリビュートだからこそ、まずは生前には取り上げられなかった当コラムできちんと彼について書きたかった。愛する奥様と年端の行かぬ娘さんを残して、さぞかし無念だったろう。安らかにお眠りください。合掌。

植松久隆(タカ植松)

植松久隆(タカ植松)

ライター、コラムニスト。タカの呟き「締切時点ではW杯間近。日豪そろって難しい組に入った。どちらも8強に進んで欲しいが、現実はなかなか厳しい。チームとしての結果ではなく個人の活躍にフォーカスすると、サッカルーズは18歳のクオル、日本はやはり三笘がどこまで世界に通用するのかを見てみたい」





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