
シドニー、ダーリング・ハーバー至近、世界最高峰のカジノや高級ホテルなどを完備した最高級エンターテインメント・スポット「ザ・スター」に店舗を構え、シドニー・モーニング・ヘラルド・グッド・フード・ガイドではワンハット獲得のジャパニーズ・インスパイアの名店「SOKYO」(シドニー&東京が店名由来)。同店の仕掛け人、チェイス小島さんにその思いを伺った。インタビュー=馬場一哉、写真=伊地知直緒人、撮影協力=クラウディオス
――ご実家がサンフランシスコで人気の日本食レストラン「Kabuto」を営まれているそうですが、その手伝いなどをしながら10歳のころにはシェフを目指し始めたと聞いています。
「あまりに大変そうなので最初はシェフにはなりたくないなと思っていたんです。ただ、店が忙しかったので手伝っているうちに皿洗いも料理も上手になっていってこのままいったらシェフになっちゃうのかなと思ったのがそのころでしたね」
――父親の背中を見て学んだものがベースとしてあるのですね。
「僕が手伝わないと失敗しそうというのもあったんですけどね。お父さんといるのはすごい好きでした」
――お父様もすごくストイックな方だとか。
「そうですね。まず、家で親が作ってくれるご飯は絶対に和食でした。化学調味料などは使わず、必ずだしを取るところからやっていました。当時、うまみ調味料などの悪いうわさも目立っていましたし、お父さんは料理に対してピュアだったんで、そういうものは絶対使わなかったですね」
――レストランだけではなく、家庭でも徹底していたのですね。
「うまみ調味料は味を付けるのは簡単ですが、本当のうまみじゃないと言って全然使わなかったですね。そんな環境で育ったので、逆に僕は友達とマクドナルドなどに遊びに行ける時がうれしかったです。僕にとってはむしろそっちの方がラグジュアリーでした」
――そういう食生活では味覚も磨かれそうですね。
「あまり考えてませんでしたけどね。サンフランシスコにも日本人街があるので、そこでよく日本食を食べてましたよ。あまりおいしくなかったですが(笑)」
――当時のサンフランシスコの日本食で印象に残っているものはありますか。
「麺とスープがマッチしていないまずいラーメンがあったのですが、なぜかそれが好きだったんですよ。ちゃんと鶏がらでスープを取っているのですが、麺に味が絡まない。ラーメン食べてるんだか、そば食べてるんだか、うどん食べてるんだかよく分からない感じが好きだったんですけど、この間帰って食べたらおいしくなっていて、かなりがっかりしました」
――分かる気がします。たまに化学調味料万歳みたいなラーメンを食べたくなったりしますよね。シドニーでもあえて○○に行ってしまうことも……。
「店名言っちゃ駄目じゃないですか(笑)でも、あのコクがない感じが好きっていう人もいるんですよね。今ってコクを重視したり、濃い味のものを作ったりしているところが多いですよね。やはり流行ってるものを作らないと、ビジネスとしては続かないので仕方ないとは思いますけど、あの思い出の味は変えてほしくなかったですね。どれだけうまいラーメンが出てきても、あれには勝てないです」
――ぜひそのラーメンを再現いただきたいです(笑)。ところで先ほどマクドナルドをラグジュアリーと感じていたとおっしゃっていますがMSGなどについてはどうお考えですか。
「僕も料理人ですから、これまでもよく調べてきました。個人的に言えばMSGは大丈夫だと思いますが、例えば家で料理を作る時などには一切使いません。家では僕は塩も使いません。外食では絶対に通常よりも味が濃くなるので、体のことを考えて、家庭では我慢テイストで過ごしています。調理もココナッツ・オイルで行い、塩、砂糖などは使わないです。使うとしたらバターです」
――それはまたなぜ?
「バターは体に良いんですよ。バターでファットを取ります。お肉を焼く時は最後にバターを使いますし、オムレツ作る時もココナッツ・オイルは焦げるのが早いのでバターを使います。焦げやすいからと言って火を弱めたりするのが嫌なんですよ。何でもバーンってレストラン風にやりたいので。お陰でいつも火災報知器が鳴りますけど(笑)」
――オーガニックへのこだわりはありますか?
「アメリカの時はオーガニックばかりやってましたが、オーストラリアはまだまだ少ないですし、すごく高いですよね。もちろんオーガニックがあれば、オーガニックを買いますが、基本的にはオーガニックであってもなくても野菜をいっぱい取るようにしています」
――あまり、1つの見方に捉われすぎない方が良いというわけですね。
「実際に体の中で何が起きているかは皆分からないわけです。ミルク飲みましょう、卵食べましょう、肉を食べましょうとか、いろいろありますが、例えば裏で政府がその産業をサポートしているなどいろいろな事情が交錯しているわけです。そうした広告に踊らされている面はいつでも少なからずあります」
――食の正解というのはなかなか見つけられないですよね。最近は糖質制限が流行っています。
「カーボハイドレイトですね。ダイエットもビジネスの側面が強いですから。僕自身は何かに踊らされたくないので、自分が好きなようにやっています。ブラウン・ライスが注目されていますが、もし食べておいしくないと感じたらストレスになりますよね。やはり日本のお米を少し食べるというのがベストだと思います。何でもバランスだと思いますよ。日本食はそこがすごくうまくできていると思います。おいしいものを少しずつ食べる。それが一番ですね」
――やはり和食がベストだと思いますか。
「和食がベストですね」

再認識した和食のすばらしさ
――実家の店を手伝いながらシェフを目指し始めたわけですが具体的なアクションとして、その後どのようなことを行いましたか。
「お父さんといろいろな店に食べに行って学びながら、店では変わったメニューをアレンジで作ったりしていましたが、次のステップとして『French Laundry』(編注:ミシュラン三ツ星レストラン、全米一予約の取れないレストランとも言われる)や『Terra & Bar Terra』(編注:有名な日本人シェフが経営するジャパニーズ・イタリアン)などナパ・バレーにある一流店で働くことを考えました。ただ、サティフィケートもないし、入ったら皿洗いだってお父さんに言われて悩んでいたところ、つてで『NOBU』(世界的に人気の日本食レストラン)を紹介してもらうことができたんです。そして、1番になりたいのであればラスベガスに行けと言われて、すぐにラスベガスに飛びました」
――NOBUでの修行は厳しかったですか。
「すごい厳しかったですね。お父さんのところで全部やらせてもらっていて何でもできると思って入ったから、とにかく生意気だということでよく泣かされましたね。ゴマをするつもりもなかったので本当に苦労しました。日本語もきちんと話せないし、敬語も上手ではないですし。それでも少しずつ腕を磨き、地位を築いていく中、ある時ヘッド・シェフが変わったんです。これが良い転機となりました。その人からは料理のスキルだけではなく、マネジメントのスキルを学ぶことができました。日本人だけではなく、中国人や韓国人など文化背景の違う人から、更に言うとあまり腕のない人もうまくマネジメントする必要が後々出てきたからです。
NOBUは更に店舗数を広げ、人を増やしている時期でした。そんな中、誰もが良い腕を持っているわけではないことを知り、教え方も学ばなければならなくなりました。そのためにはリスペクトされるようにならないといけない。誰よりも仕事ができて、誰よりも優しくある必要がある。そういうことを必死に学びました」
――ラスベガスに住んでいた時代、NOBUだけではなく、現地の有名なフレンチ・レストランの厨房にも入っていたと伺っています。
「知識と経験値を増やしたかったからです。オーナー・シェフは非常に高名なのですが、店に来た時にいつもサーモンしか食べないのが気になっていました。自分が出しているものを一切食べようとしないので『あれ?』と思っていたところ、どうやらドクター・ストップで食べられなくなっていたようなんです。一方で和食は一生食べ続けることができますよね」
――なるほど。和食のすばらしさを再認識したわけですね。
「はい。ただ、自分が調理する時には伝統的な和食をそのまま店で出そうとは思っていません。僕が作る料理のベースはもちろん和食ですが、お店で出す時は少しセクシーにしないといけない。ちょっと甘かったり、辛かったり、お化粧をつけないといけない。外食では他の料理が皆化粧をしている分、ナチュラル・ビューティーだと負けてしまうんですね」
――要するに日本のトラディショナルな和食そのままでは弱いと。
「そうですね。特にオーストラリアは食材の特性が違うのでそのまま日本と同じように調理できないという面もあります。オーストラリアに来て1番困ったけど面白いと思ったのが、物が違う、味が違うということ。NOBUでは世界中いろいろな店を回りましたが、どこへ行っても同じものを使っていました。例えばアメリカでもドバイでも同じ関サバを使っていました。そのようにどこでも何でも手に入ると思っていたんですがオーストラリアは違いました」
――オーストラリアの食材の質はいかがですか。
「日本の方が良いと思っている人も多いと思いますが、逆に日本よりおいしいものもたくさんあります。例えば、南洋金目鯛は抜群においしいと思いますね。また、キハダマグロもこちらの方がうまい。こちらで魚を食べていると、日本の魚は何でもファッティーに感じます。例えばこちらのヒラマサはカンパチや若いハマチを食べているような味わいなのですがぷりぷり感はなく、しかも味が違う。また、こっちのわさびも日本とは全然味が違います。タスマニアで採れるわさびと、西オーストラリアで採れるキングフィッシュを一緒に食べるとすごくおいしいですよ」
――タスマニア産のわさびがあるんですね。
「見た目は完全にわさびなんですけど、味が日本とは全然違いますね。それを日本産の冷凍のすりおろしのわさびとブレンドするなど工夫を重ねることで非常に質の高い味わいを実現できます」
――なるほど。お米はどうされていますか。
「お米はいつも同じものが来るとは限らないので常に変えています。これはもう本当に決められないですね。やっと決まったと思っても、そのお米もいずれはなくなってしまうので、切れる前に新しいものを考えています。シャリの味はマグロに合わせているので、結構濃い目に硬めにしています。また、シャリ自体もカウンターで出すすし用、テーブルに出すすし用、巻き物用と3種類用意しています」
――カウンターとテーブルだと握ってから口に入るまでの時間が違うからですね。
「そうです。そのあたりはかなりこだわってますね」
――今でこそ、そのような洗練されたオペレーションが出来上がっていますが、立ち上げ時は苦労されたのでは。
「ザ・スターのCEOに全部任せると言われたので大変なプレッシャーでしたね。NOBUをコピーしたレストランを開けば成功することは分かっていましたが、僕はノブさん(編注:松久信幸=NOBU創業者)をリスペクトしていたので、絶対に真似するようなことはしちゃ駄目だと思っていました。その時まだ28歳だったのですが注目されていたし、自分スタイルの店を作らねばと気を張っていました。スーパー・ストレスでしたね(笑)」
――成功しなければならないわけですからね。
「そうです。自分の料理を出したいというのももちろんありますが、まずは流行らせないといけない。ヘッド・シェフとしてビジネスのことをしっかりと考え、クールなレストランを作らなければならないわけです」
――オープン前、数多くのお店を食べ歩いたとか。
「どういう料理を皆さんが出しているのかを見るため、食べ歩きました。食べたことのないようなものも多くて、もうスポンジのようにアイデアを吸収しましたね」
――アメリカとの消費者の味覚の違いなどは感じましたか。
「アメリカではもっと甘かったりしょっぱかったり、分かりやすい味が好まれていた気がします。それに比べシドニーのお客さんはもっと繊細な味覚を持っているように感じます。あとアメリカとの違いとして、フード産業に関わっている人たちの距離感が近く、強いように感じました。ラスベガスで働いていた時には肉屋、魚屋、野菜屋、誰にも会ったことがありませんでしたが、こちらだと簡単に会えます。タスマニアに飛んだ時には漁師と会って魚を一緒に釣ったりしました。そういうことがあると、食材をより大事に使おうとか、だからこういう味がするんだ、とかいろいろ分かるようになります。そういうコネクションがオーストラリアは良いと思います」
「何でも一番になりたい」

――和食に携わりながらも日本で修行を積んだ職人とは全く違ったキャリアを歩んで来ておりますが、それがご自身にどのようなベネフィットを与えたと思いますか?
「例えば日本では皿洗いから始まってある段階への到達まで10年かかったりというようなことがよくあると思います。でも僕は中身がアメリカ人ですし、そこをジャンプすることができた点でラッキーだったと思います。
ルールを破ることもよくしました。例えば魚の下ろし方を習ったとします。もちろんそれはそこではベストな方法なのだと思いますが、実際、本を買って勉強してみると違う下ろし方も説明されていたりします。そうなるとそっちもやってみたいじゃないですか。で、失敗すると上からお前何やってるんだ、勝手にやるなと怒られます。めちゃくちゃ生意気だなテメェって叩かれたり、食材をゴミ箱に投げられたり大変なことも少なくなかったですが、魚の切り方1つとっても絶対に上の人たちよりうまくなりたかったんです。だけど、同じようにやっていたら抜くことができません。だから変化球を入れるんです。失敗することを怖がっていたら今はなかったと思います。ただ、もちろん上の人たちが教えてくれたことは全部最初にしっかりと覚える努力はしました」
――ジャンプをするにしてもまず足元はしっかりと固めると。
「そうですね。だから誰よりも働いたと思います。他の人と同じ時間働いていたら、同じレベルです。父親からは何をやっても良いけど、ナンバー・ワンになれといつも言われていましたから」
――なるほど。一方でリスペクトするのは日本のオールド・スクールのシェフともおっしゃっていますね。
「昔のシェフの方が、精神的にタフですし、しっかりしていますよね。今のシェフは我慢ができないし、精神的に弱い人が多い気がします。僕も自分に厳しくあろうとトライをしています。いつもDon’t be lazyと自身に言い聞かせています。ただ、今は情報があふれていますから、やらなくて良いのではないかということへの気付きも多い。そんな時はジャンプしてしまいますが、昔の人がコツコツ積み重ねを大事にしてきたような、そのマインドは大切だと思います」
――すしの学校で学んだ新人シェフが開いたすし店がすぐにミシュランの星を取ったというニュースが日本でありました。そうした例もあって、長年の下積みなど必要ないなどという論争も起きているようです。
「それはもうバランスですよね。1年あれば技術的にはうまくなると思いますよ。でも深さはなかなか付いて来ないです。例えば空手で黒帯を取ったって実際の勝負はそこからというように、勝負になった時に生きてくるのはやはり経験ですよ。ミシュランを取ったのはもちろんすばらしいことですけどね」
――ミシュランを始めとしたアウォードにはビジネスの側面も少なからずあります。
「それを言い始めるときりがないですけどね。うちの店もグッド・フード・ガイドでワンハットを取っていますが、全く満足はしていないですし、もっと上を目指したいと思っています」
――ナンバー・ワンを目指す身としては、トラディショナルな和食をベースに更にジャンプする必要があるわけですね。
「トラディショナルが完成形として1つのベストなのは間違いないですが、それがナンバー・ワンだったらみんなそれしかやらないですからね」

――失敗してでもいろいろなチャレンジをしていきたいと。
「はい。東京のあるすし店で、かなり変わったことをやる人がいるのですが、その人のすしがすごくおいしいんですよ。元々すしシェフではなく、フレンチやイタリアンなどをやっていた方だそうです。たから何でもバランスだと思います。肉を切る時にすしを切るように切ってみたりなど技術の融合が進化には大事だと思います。ただ、だからと言ってお客さんに『自分のこのsuper-duper complicated dishどうだ!』と押し付けるような気持ちは全くないです。おいしく奇麗なものをパパッと作って、1番おいしいタイミングで出すことが重要ですね」
――オーストラリアやニュージーランドのワインが新しい発想で独自の進化をしてきたように、伝統と革新の融合こそあらゆる世界におけるこれからの潮流だと思います。守ることも大事ですが、それだけだと止まってしまう。
「タイム・ストップですよね。テクノロジー同様、フード・カルチャーも進化していかなければいけない。日本の和食はパーフェクトだと思います。だからと言ってDon’t changeではいけない。できる人が触れば、軽く変化球を付けることもできます。最近ではトラディショナルな京都のお店などでもチーズを使ったり、変わり始めているところもありますよ」
SOKYOお任せ寿司、GOJIMAライス・バーガー
――SOKYOのメニューの中で日本人コミュニティーによく知られるのは、過去に東やテツヤズ、松禄などの一流店ですしシェフを務めてきた佐野隆さんの「お任せすし」ですね。
「立ち上げに当たって、佐野さんのすしを食べに行ったのですが、自分が人生で食べてきた中で1番うまいすしだと思いました。すしにかける情熱がすごいですし、ぜひジョインして欲しいと頼んだのですが、お店が大きいから絶対に嫌だって最初は断られたんですよ。店をオープンした後もどうやったら佐野さんのすしをSOKYOで出せるかということばかり考えていました。そしてカウンターでのお任せという形で何とかタッグを組むことができました」
――佐野シェフのすごさはどこにあると思いますか。
「すきやばし次郎を始めとした日本の名店を数多く食べ歩くなど熱心に勉強を重ね、何がナンバー・ワンかを分かった上でその上を目指し独自のルールを作り上げている点ですね。間違いなくオーストラリアではナンバー・ワンだと僕は思いますよ。カウンター6席だけのすしレストランであれば完全に3ミシュランのレベルです、絶対に。SOKYOですしを握ってくれていることは本当にありがたいと思います」
――SOKYOはこれからもどんどん進化を重ねると思いますが、16年末にはライス・バーガー専門店GOJIMAを出店されました。こちらは今後どのように展開されていくつもりですか。

「SOKYOはファイン・ダイニングなので、ベストなチームを作って、ベストな食材を使って、ベストなメニューを提供しています。でも、毎日食べられるようなレストランではないですよね。もっと手軽に幅広い層に自分の料理を食べてもらいたいと思って出店したのがGOJIMAです。当然値段を抑えなければならないですし、スーパー・シェフを入れることはできません。誰でも作れるオペレーションにしながら、日本食のテイストを入れ込むことを目指しました。その結果としてすしバーガーを始めとしたライス・バーガーというラインアップとなりました」
――世界展開も視野に入れているそうですね。
「はい。世界を視野に考えると、皆が慣れ親しんでいるハンバーガーをベースにするのが良いのではないかという発想です」
――なるほど。今後の発展が楽しみです。記事を読まれる読者の中には食品業界関係者も多いと思いますが、最後に読者にメッセージを頂けませんでしょうか。
「シェフに対してはYou have to loveと言いたいです。めちゃめちゃ大変でハードな仕事なので、仕事に対して愛がなかったら辞めた方が良いです。僕も今でも休みなく毎日働いていて家族にも悪いと思ってますが、それでも一生仕事するよ、と思っています。好きじゃないことだったら時間の無駄ですよ。エンジョイしていると言いつつ、我慢している人も多いのではないでしょうか。
若い時は、スキルを高めるためがんがん仕事をしましょう。その後、上に立つなら、自分のことを今度はしっかりといたわることです。そうでなければ、スタッフのケアができなくなります。ちゃんと寝る、運動する、好きなことをすることが大事です。Take care of yourself, and then take care of your teamです。Love what you do, love your team, love yourself。その中で一番難しいのはLove yourselfですね。そして最後に言えるのはDon’t be fucking lazy。そんな感じですかね」

――熱い言葉をありがとうございます。
「こちらこそ、生意気な話を聞いてもらってありがとうございます(笑)」
――今後の更なるご活躍、期待しています。
(2017年11月23日、SOKYOで)

チェイス小島 Chase Kojima
アメリカ、サンフランシスコ生まれの日系アメリカ人。両親は日本人。実父が経営する日本食レストランで10歳ごろから料理人としてのキャリアをスタート。その後、世界的に有名な日本食レストラン、NOBUで腕を磨く。ラスベガス、ドバイ、ロンドン、ロサンゼルスなどで腕を磨き、バハマ店ではエグゼクティヴ・シェフを務めた。ザ・スターのCEOにヘッド・ハンティングされ、2011年、シドニーで「SOKYO」を立ち上げ。その後、ゴールドコーストで「KIYOMI」、シドニーでライス・バーガー店「GOJIMA」を出店。オーストラリア国内でも注目が集まるトップ・シェフの1人としてテレビ出演などを果たしている。