
■新年特別インタビュー
女優として。ジャーナリスト・作家として。
そして海外に住む日本人の心象風景を語る。
岸惠子さん
日本人が海外に住むことが珍しいことではなくなり、さまざまな世代の日本人が世界各地でそれぞれのライフスタイルを営んでいる昨今、今から50年程前、トップ女優の地位を捨てて、自らの意志でフランスに渡った1人の女性がいた。岸惠子さん——。岸さんと言えば、世界を舞台に活躍する1人の女性として、多くの日本人にとって憧れの存在。第一線の女優でいながら、ジャーナリスト・作家としても活動する岸惠子さんに、女優・ジャーナリスト・作家として、そして海外に住む日本人の心象風景について語ってもらった。
すべては10月末の編集会議に始まった。恒例である新年号のインタビューに、誰に登場していただくかを決める会議。インタビューに関してOKが出るかどうかは別にして、毎年新年号らしい有名人や旬の人を選ぶ。テーマは「海外に住む日本人の心象風景について」。海外に住んでいる一番有名で華やかな日本人とくれば、多くの人がパリの岸惠子さんを思い浮かべるに違いない。会議でも真っ先に岸さんの名前が挙がった。ただ何と言っても“敷居が高過ぎる”。とにかく駄目で元々という気持ちで依頼することにした。
案の定、日本の事務所の方から、「惠子さんは現在書くことに専心していて、基本的にインタビューは受けないんです」と言われたが、「企画書を出してくれれば惠子さんにお見せします」ということで、企画書を提出した。女優として、ジャーナリスト・作家として、そして42年のパリ生活の中での心象風景の変化について語っていただきたいという企画書を。
しばらくして、事務所の人から「惠子さんがお受けするそうです」というメールが入った時、編集部全員が歓声を上げた。例えるなら、高嶺の花に駄目元でデートを申し込んでOKをもらったような心境。インタビューは11月中旬、岸さんの横浜の自宅でということになった(インタビューの際に分かったことだが、岸さんとオーストラリアは意外な接点があった。娘さんのご主人がオージーだったのだ。岸さんも2010年には来豪したいとのこと)。
インタビュアーとしては、ここから毎日プレッシャーの日々となる。岸惠子さんのファンなので、ほとんどの映画を観ているし、本も読んでいる。だから質問事項を考えるのは難しくないが、これまでのインタビュー記事とは違うものをと意気込んだためのプレッシャー。なぜなら、岸惠子さんはいつも「時の人」なので、これまで女性誌から文芸誌まで数多くの記事が組まれている。これまでとは違うものをというのは不可能に近い。
そうこうしている内に、インタビュー当日がやってきた。最初、花束を持って行くつもりだったが、どういう花が好みなのか分からない。岸さんのエッセー集で、クリスタル・ロードレルというシャンペンが好きと書いていたのを思い出し、デパートでそれを求め持参する。
横浜の高台にある岸さんのご自宅は、伝統的な広い日本家屋。玄関の傍にあるこぢんまりとしたラウンジに通され、岸さんを待つ。たぶん書斎として使っているのだろう、アンティークの机の上に岸さんと可愛い2人の男の子のお孫さんとの大きな写真が飾られていた。
すぐに岸さんが現れた。イメージ通りのエレガントな美しさを目にし、独特の声を聞き、ああ現実に岸惠子さんに会っているんだと思うと舞い上がってしまった。
真知子のような女性は嫌い
いわゆる日本映画の黄金時代に『君の名は』の真知子役で大スターになったが、24歳の時に『雪国』を最後に結婚のためパリへ。地理的には日本映画界から遠い所にいながら、現在まで第一線で活躍する稀有な女優が岸惠子さんだ。ちなみに最初の質問は、「真知子という女性像をどう思いますか」というものだったが、岸さんは、「皆さんいつも『君の名は』『君の名は』と聞かれるんですが、私、当時ほかにもいい映画をいっぱい撮ってるんですよ」と笑い、「真知子のようなメソメソした女性は嫌い」という答えが返ってきた。3部作だったこの映画の唯一のプラス点は、メロドラマ映画の作り方をマスターしたことだそうだ。
外国では60代、70代でもバリバリの現役という女優はいる。アメリカ映画界なら岸さんもファンだという、今は亡きキャサリン・ヘップバーンやシャーリー・マックレーン。イギリス映画界なら、ジュディ・リンチやマギー・スミスなど。ただ、こういう息の長いスターは年を経るとともに性格俳優的なアクの強い演技派に変貌し、そして生き残っている。岸さんのように、いつまでもエレガントな美しいイメージを保ったままというのは皆無。辛うじて、フランス映画界で、カトリーヌ・ドヌーブが現在もエレガントな美しさで魅了しているぐらいだ。
ところが、そういうイメージが女優としては大きなマイナスになっていると岸さんから聞き、驚く。「自分の年齢の役がなかなか来ない。といって若い役はもちろんやれないですし…。私は半分呆けていても、時々キラキラと目を輝かすような役をやってみたいのに、そういうイメージが湧かないみたい。私のために書いてくれる人がもういないですね。マネジャーが、こんな宝物がいるのに(笑)誰も起用しないってぼやいています」と語った。
傍目にはコンスタントに出ているように見えるが、たぶん岸さんを生かした役があまりないことを嘆いているのだと愚考する。マネジャーと同感で、岸さんは本当に日本映画界の宝物だと思う。近年、渡辺謙や菊池凛子、あるいは『おくりびと』などで国際的な進出が話題の日本映画界だが、岸さんはそのパイオニア。ハリウッド映画やフランス映画にも出演し、カンヌ映画祭やオスカーのレッドカーペット(出演作『怪談』がオスカーにノミネート)も経験ずみ。10代から70代まで現役という驚異的なキャリアの上にパリでの生活体験者という魅力が加わり、いつまでもエレガントな美しさを失わない。こういう貴重な宝物は類がない。「岸さんは書ける人なので、ご自身で書かれて撮られてはどうですか」と言うと、「ええ、それも考えています」という答えだったので、近い将来、岸惠子脚本・主演の作品が観られるかもしれない。
岸さんにとって、故・市川崑監督の存在は大きい。同時に監督にとって岸さんはミューズだったと言われている。監督の作品『おとうと』でブルーリボン主演女優賞を獲得し、数年前『かあちゃん』で日本アカデミー主演女優賞を受賞している。


自伝的長編小説「風が見ていた」。
「先日婦人雑誌の新年号で吉永小百合さんと対談し、2人で監督について語りましたが、一致したのは監督は魔法使いということでした。あまり説明はしないタイプですが、監督の世界に入ればマジックがかかったように役が自分に乗り移ってきます」。「女優としての醍醐味は ? 」と聞くと、「市川監督のように女優としてまな板の上の鯉になれる監督との出会いに尽きます」と言い、「そういう監督は少ないですよ」と付け加えた。
「これからは女優よりも書くことに専心しようと思っています」という言葉に、思わず「それは困ります」と声を上げてしまった。もっとも、「もちろん私の琴線に触れるような役が来れば、100%女優に戻ります」という説明に安心したのだが…。
高齢の男女の恋愛ものが書きたい
10代のころ作家志望だったのは有名な話だが、エッセー集を何冊か出した後、岸さんはついに数年前「風が見ていた」(新潮文庫、上下編)という長編小説を発表した。天は二物を与えた訳だ。
小説家として新しい顔を見せる前には、ジャーナリストとして世界を駆け巡っている。まず、一番好きな所はアフリカ。「アフリカに行くと、清冽な滝に出会ったような清々しい気分になります。ある時、砂漠をジープで走っていたら砂で前に進まなくなり、皆で砂を掘り起こしていると、砂の中からラクダの白い骨が出てきたのよ。ああ何て雄大でロマンチックなんだろう。私もこんな風に砂漠に抱かれて死にたいと思いました」と微笑む。次に印象に残っている国はイラン。「ホメイニの時代だったので、世界中の人が悪魔の国のようと言っていたころでしたが、人々がとってもフレンドリーでした。もちろん恐怖政治の下、人々が幸せな訳はないですが、いったん自分の家へ戻ればとても解放されたいい顔をしてました。特に女性が素敵。家では女性は化粧をしてはつらつとしてましたね。女は綺麗な方がいいですね。綺麗な人に会えば、気持ちがせいせいします」。
「風が見ていた」は、自伝的長編で、明治時代から始まる大河小説。物語の中に人種や宗教を絡めたスケールの大きなラブストーリー。女優業を続けながら、こういう長編をモノにする力に驚く。「女優が小説なんかを書いてという批判もありましたが、これは自分でもちゃんとした小説だと自負しています。前から小説は書いてみたいと思っていましたので、機が熟したというか、書き上げたという感じですね。若い方はいいんですが、お年寄りは読み疲れたみたい。舞台が世界中にポンポンと飛ぶのと、横文字がいっぱい入っているので」。
読んだ感想として、最後のページ、ヒロインが人生の無常を感じながらも生きていくことを肯定し、そこに風が吹くというシーンが一番印象的でしたと言うと、岸さんも作家としてあの最後のページが一番書きたかったことだと語った。

スージー・モルゲンステルヌ著「パリのおばあさんの物語」で翻訳にも挑戦
一番新しい著作は、初の翻訳もの「パリのおばあさんの物語」(千倉書房)。フランスで子どもから大人まで読み継がれている絵本だが、温かい視線で老いに関する示唆が含まれたもの。既にベストセラーとなっている。
書く作業というものは、うっとおしく孤独なものだと認識しながらも、今後岸さんが専心したい分野だという。書きたいものは、高齢の男女の恋愛もので、つい最近50〜60枚書いていた原稿が気に入らず、全部捨てたとのこと。書く前にストーリーは決まっておらず、書いているうちにストーリーが出てくるのだそうだ。
日本は“子ども社会”
24歳で結婚のためパリ行きを決める。これは当時としては画期的な決意ではないだろうか。そういう冒険心に満ちた気質は横浜育ちということに関係がありますか、という問いに、「どうかしら、それぞれお国気質というものはありますが…。浜っ子は思い切りがいいとはよく言われますが、分からないですね」。
岸さんは、ギャラをもらっていなかった女優時代が一番好きだと述懐する。「お金はなきゃ困るけど、人を腐敗させます。お金がないと人間は工夫するでしょ。若い時はお金はない方がいいと思っています」。『君の名は』で大スターになった後は、高級自家用車付、運転手付、付き人の世話を四六時中受けるという生活になったが、いろいろなしがらみやレッテルを貼られて、皮膚呼吸ができなくなったという。このままでは壊れてしまうと思ったころ、イブ・シャンピ監督と出会い結婚へ。
パリに住み始めたころの異邦人としての心の風景は、「もう覚えていない」と回想する。一番の問題は言葉だったとのこと。シャンピ氏はバイリンガルで英語が堪能。岸さんも英語なら少しは分かったので、最初のころは、英語によってコミュニケーションを図っていたそうだ。
フランス語をマスターしようと一念発起した理由の1つとして、家庭的なエピソードがある。当時、邸宅には3人のお手伝いさんがいたそうだが、岸さんが心をこめて活けた花を、お手伝いさんがバサッと遠慮なく好きなようにアレンジする。それに対して言葉ができないので注意もできない。これではダメと奮い立ったらしい。1日8時間フランス語の勉強をし、もしマスターできなければ日本へ帰ろうと思いつめていたそうだ。フランス語習得のプロセスは、日本語からフランス語ではなく、英語からだったと説明した。すなわち、岸さんの頭の中で、まず日本語から英語への転換があり、そして英語からフランス語に転換するという2段階のプロセスを経ていることを興味深く聞いた。
岸さんのエッセーの中で今でも覚えているのは、ヨーロッパでの生活体験者として、“日本とヨーロッパの間には誤解さえも生じていない。誤解というのはお互いが同じレベルに立って理解した上で初めて起きるもの”と述べていたことだ。世界は西洋人至上主義で、東洋人は西洋人と同じ土俵に立ってさえいなかったということだろう。それについて聞くと、「ずいぶん改善されましたが、基本的には変わらないと思います」という意見だった。
「一方で日本はアジアで孤立しています。例えば、いろいろと問題はあるもののヨーロッパはEUでまとまってみせましたが、ああいうアジア圏を作ろうとしたら、まず日本が浮いて不可能でしょう。ただ今は、東対西というよりも、イスラム蔑視が現代の特徴だと思います。イスラム蔑視がなければビン・ラディンは生まれていなかったと思います。何がそうさせたかを理解しない限り問題の解決はないと思います」。

岸さんの日本への熱い大きな想いは、エッセーなどでよく知られているが、今の日本観、フランス観を語ってもらった。「日本へ帰るとトゲトゲしさが消えて丸くなっちゃいますね。楽チンな暮らし。出前もあるし(笑)。でも子ども社会だと思いますよ。それに比べてフランスは美しく文化の襞の深い国ですが、意地悪さがありこってりとした毒を持っている。ただ押しなべて言えることは、フランスは大人の国ですね。国民の特徴は一言では言えませんが、あちらの人は自分の意見をしっかり持ってそれを主張します。日本人はまだ謙遜の美徳というものを持っていますが、それはもう過去の時代のものです。特にこれから世界へ向かって行こうとする人は、自分の意見をどんどん言わなければダメ。でも、蕗のとうと川魚を食べてきた大和民族と、肉をガツガツ食べてこんな大きなデザートを食べてきた西洋人とは体質が違いますね」。
最後に、オーストラリアに住む日本人への新年のメッセージをお願いすると、「メッセージなんて偉そうなことをするのは嫌なのよ」と苦笑し、「どうか皆さまお幸せに」という言葉をもらった。
インタビューが終わった後は、まるっきりミーハー・オヤジになって、サインをいただき、握手をしてもらい、ツーショットをお願いした。表の門まで岸さんに送ってもらい恐縮する。帰路、喜びと満足感がミックスしたようなフィーリングに、ああこの感じは覚えがあるとすぐに思い出した。これまで本紙や、映画雑誌「スクリーン」のシドニー通信員として、数多くのスターをインタビューしたが、オードリー・ヘップバーンにインタビューした後に感じたのと同じフィーリングだった。ヘップバーンの時は、それが素晴らしい人に会った感動だと気付いたのはずっと後からだったが。 (本紙発行人・坂井健二)
プロフィル
岸惠子
◎神奈川県横浜市生まれ。女優。1951年『我が家は楽し』でデビュー。57年、フランス人映画監督イブ・シャンピと結婚のため渡仏。40年以上にわたるフランスでの生活後、現在は日本を活動の拠点とする。代表的な主演映画に『君の名は』『雪国』『かあちゃん』など。「ベラルーシの林檎」(日本エッセイスト・クラブ賞受賞)ほか著書多数。2002年にフランス芸術文化勲章オフィシエ、04年に旭日小綬章を受章。