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英霊80人が眠る旧日本軍潜水艦 3Dマッピング作業が完了

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ダーウィン沖撃沈から80年 電子データ一般公開へ

伊号第124潜水艦の同型艦である伊121型潜水艦(Photo: Wikipedia)

 第2次世界大戦中の1942年、オーストラリア北部ダーウィン沖で撃沈された旧日本海軍の伊号第124潜水艦。海底に眠る同艦を立体的にデジタル撮影し、電子データ化して後世に伝える「3Dマッピング」の作業が、このほど完了した。公共放送ABC(電子版)が伝えている。

 プロジェクトには、海洋探査を行う連邦政府の「メジャー・プロジェクト基金」(MPF)、オーストラリアの真珠養殖会社「パスパリー」、在オーストラリア日本国大使館が共同で出資。北部準州政府の上級遺産研究員で海洋考古学者のデービッド・ステインバーグ博士らの潜水チームが3年間かけ、水中スクーターに装着したカメラで撮影を行った。

 ステインバーグ博士によると、潜水作業は、激しい潮流や濁った海水、沈没地点の深さから、困難を極めたという。完成した3Dデータは、戦史を知る上で貴重な教材となる。データは一般公開され、パソコンやスマートフォンの画面で立体映像を見ることができるようになる。

日豪和解の象徴に

 伊号第124潜水艦は、伊121型潜水艦の4番艦として建造された。42年1月20日、ダーウィン沖で機雷の敷設と哨戒に従事中、オーストラリア海軍掃海艇に発見された。ダーウィンの西北西約95キロにあるビーグル湾で同掃海艇と米軍機の爆撃を受け、沈没した。

 なお、約1カ月後の同年2月19日、旧日本海軍はダーウィンを空襲。オーストラリア本土に対する史上最大規模の軍事攻撃となり、オーストラリア人236人が犠牲になった。

 沈没から80年間、同艦は艦長と乗組員80人を乗せたまま深さ53メートルの海底に眠っている。現在、戦後の日豪両国の和解を象徴する戦争墓地として保護されている。

 2017年には同艦の乗員の慰霊碑がダーウィン市内の公園に建立された。安倍晋三前首相は18年、慰霊碑を訪問して献花を行った。今年2月18日には、ダーウィン空爆80年に際し、戦没者80人の名前を記した銘板の除幕式が行われた。

■ソース
Team of divers complete three-year mission to create 3D map of sunken World War II Japanese submarine(ABC News)

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