最低時給2,000円の国でいま何が起きているのか?
違法な低賃金で日本人など外国人の若者を働かせていたオーストラリア東部ブリスベンの寿司店に対し、裁判所が35万5,000豪ドルの罰金支払いを命じた事件。長年横行してきた現地日本食レストラン業界の「闇」を改めて浮き彫りにした格好だ。
オーストラリア政府の規制機関「公正労働オンブズマン」(FWO)は、これまでも「見せしめ」として、日本食レストランなどの飲食店をたびたび摘発してきたが、今回のブリスベンの寿司店への罰金は「全国でこれまで最も高い水準だった」(報道発表)。
ただ、当局の目に止まりやすい大規模店が狙われるケースが多く、摘発された店は「氷山の一角」(飲食業界関係者)にすぎない。日本食レストラン業界では、違法な低賃金でワーキングホリデー(ワーホリ)滞在者や留学生を雇うことが日常化していた。
コロナ禍前にワーホリで渡航し、現地の日本食レストランで働いていた調理師はこう証言する。
「面接時に口頭で『うちは小さい店だから正規の給料は払えない』と言われ、互いに納得した上で働いた。経営者は帳簿の上でごまかしていたようだ。それでも当時の日本の飲食業界のバイト代より高かったし、スーパーアニュエーション(確定拠出年金=通称「スーパー」)も正規で払ってくれたから、まだ良心的だった」
経営者側の言い分は?
オーストラリアの全国統一最低賃金は7月1日以降、前年度と比べて5.2%高い時給21.38豪ドル(約2,000円)に引き上げられた。経営者は、給与とは別に時間内給与の10.5%のスーパーを支払う義務もあるため、1人雇うと最低でも1時間当たり約2,200円のコストが重くのしかかる。
ちなみに、東京都の最低賃金は時給1,041円とオーストラリアのおよそ半分。米国は州によって幅が大きいが、連邦レベルでは7.25米ドル(約990円)と東京都と同等。全米で最高水準のカリフォルニア州は15米ドル(約2040円)とオーストラリアに肩を並べる水準だ。
国際的に見ても非常に高いオーストラリアの労働コスト。日本食レストランの経営者にも言い分はある。
「英語が話せずまともに接客もできないホールスタッフ、包丁を持ったこともないキッチンハンド(調理補助)に時給2,000円も払っていられないよ。日本で社会経験どころかバイトしたこともないワーホリや留学生が多く、仕事の心構えから教えなければいけない。そういう奴に限って、連絡もなく突然バックレる。レストランは学校じゃない。こっちは、家賃や食材も高騰しているし、利益を出すのも大変なんだ」(日本食レストラン経営者)
あくまで一般論だが、「自分探しの旅」と称して日本からオーストラリアにやってくるワーホリや留学生の中には、語学力やスキルが低い人が少なくないのも事実。雇用のミスマッチが起きている。
それでも、法定賃金を下回る給与が違法であることに弁解の余地はない。従業員に告発され、当局に摘発されれば大きな代償を支払うことになる。しかし、日本食レストランの違法な低賃金は「皆がやっていることだから」と、現地の日系社会ではいわば見て見ぬふりをされてきたのが実情だ
また、違法な雇用慣行は、日系社会だけが抱える問題でもない。今回摘発されたブリスベンの寿司店のように、日本食レストランといっても中国系や韓国系など他のアジア人が経営する店が大半だ。正確な統計はないが、「日本人が経営している日本食レストランは全体の5%程度ではないか」(業界関係者)との見方もある。
コロナ禍でビジネスモデルに転機
ところが、コロナ禍で状況は大きく変わった。日本食レストランの中にはロックダウン(都市封鎖)で消えていった店もあったが、その多くはテイクアウトや宅配に活路を見出して生き残った。政府の手厚い給付金も支えになった。
だが、構造的な人手不足という新たな問題に悩まされている。ある日本食レストランの店長はこう言う。
「時給25豪ドル(約2,300円)で求人広告を出しても応募が全く来ない。店はコロナ前より繁盛しているのに人手が全く足りず、経営者が現場に出てなんとか切り盛りしている」
コロナ前は安い労働力として日本食レストランを支えたワーホリや留学生。その多くは、コロナ禍で帰国してしまい、1年半以上続いた国境封鎖で新規の流入も止まった。今年初め以降、外国人の受け入れは再開しているものの、経済再開後の旺盛な需要に対して人材の供給が全く追いついていない。
シドニー市内南部にあるフードコート。午後の遅い時間帯なのに空席を待つ人たちでごった返し、人気のラーメン店には行列ができていて30分待ち。別の日本食レストランにも長蛇の列ができていて、料理にすぐにありつけそうにない。高級和食店に予約を入れようとしたら、数日先まで満席だった。
経済再開の好景気と人手不足を背景に、日本食レストランの違法な低賃金という悪しき慣行も過去のものとなりつつあるようだ。ワーホリの仕事事情に詳しい留学業界関係者はこう話す。
「日本食レストランの多くは、コロナ前より繁盛しているにもかかわらず、人手不足が深刻化している。最低賃金より高い時給を提示しても人が来てくれない。さすがにまだ違法な低賃金でワーホリや留学生を雇っている店はほとんどないのではないか」