過去には一般市民が巻き込まれた例も
「①オーストラリア・シドニー裏社会の抗争、約3年で死者22人」から続く
オーストラリア東部シドニーの裏社会で、報復のスパイラルが止まらない。一見平和な街の裏側では今、血を血で洗う「仁義なき戦い」が進行中だ。海外でも悪名高い「YAKUZA」の抗争さながらの復讐合戦が繰り広げられている。
2020年以降にシドニーで頻発している一連の抗争事件では、組織とまったく関連のない市民が巻き込まれた事例は、現時点で報告されていない。ただ、構成員の家族とされる女性といっしょに、同席していた友人の理容師の女性も射殺される事件が起きている。
オーストラリアの犯罪組織の抗争事件は、今に始まったことではない。歴史を遡れば、一般市民が抗争に巻き込まれた例もある。今から39年前の1984年9月2日、シドニー南西郊外ミルペラのパブ駐車場で、バイキー(大型2輪車を乗り回すギャング)の一派「コマンチェロ」と対立する「バンディードス」による激しい「市街戦」があった。
後に「ミルペラの虐殺」と呼ばれる、オーストラリアの犯罪抗争で史上最悪とされるこの銃撃戦では、コマンチェロ側4人、バンディードス側2人のほかに無関係の少女(当時14)1人の合計7人が死亡。28人が負傷した。たまたま現場を通りかかった被害者の少女は、顔にライフルの流れ弾を浴びて命を落とした。
一方、南部メルボルンでも1998年から2010年にかけて、犯罪組織のファミリー同士の壮絶な抗争で合計36人が死亡。一連の殺人事件で合計71年の禁固刑を受けた組織のボス、カール・ウィルアムズ受刑囚は10年4月、刑務所内で別の受刑囚にフィットネスバイクの金属棒で撲殺された。同受刑囚の獄中死を機に、12年間に及んだ抗争はようやく沈静化した格好だが、その全容はいまだに解明されていない。
日本の指定暴力団と違う点は?
やられたらやり返す――。仲間の命を奪った敵の命を容赦なく奪う無慈悲な行動倫理は、日本のヤクザと共通している。ドラッグ密売や詐欺など非合法な取引で資金を調達し、違法な銃器で武装しているのも同じだ。
しかし、暴対法(1991年施行)の下で活動が厳しく制限され、司法当局によって団体や構成員の素性が管理されている日本の「指定暴力団」と比べ、オーストラリアの犯罪組織は地下に深く潜っていて、表社会からはその実態がきわめて見えにくい。
日本で抗争事件が起きれば、「実話誌」(暴力団の記事を売りにするゴシップ誌)だけではなく、全国紙やテレビも詳しく報じることは多いが、オーストラリアでは単発のニュースで取り上げられるものの、抗争や組織の全容が表面化することは稀だ。
また、オーストラリアでは千差万別なバックグラウンドを持つ組織が群雄割拠しているのも、大きな相違点と言える。日本の裏社会では、暴対法の網を逃れた「半グレ」や「チャイニーズ・マフィア」(中国系犯罪組織)が勢力を拡大していると言われているものの、形の上では「任侠道」の大義の下で、親子や兄弟の盃を交わして擬似的な血縁関係を結び、親分を頂点とするヤクザのピラミッド型垂直構造が今も残っている。
一方、オーストラリアでは、イタリアやベトナム、華僑、レバノンなどの中東移民といった民族系ギャングのほか、最大規模を誇る米国発祥のバイキー系、シドニー東部のビーチに拠点を持つ白人サーファー系、未成年の「ユース・ギャング」など、人種や文化的な背景が異なる多種多様な組織同士が、違法行為の利権や縄張りを激しく争っている。
「③オーストラリア犯罪組織の実態とは?」に続く