日本や世界の経済ニュースに登場する「?」な話題やキーワードを、丁寧に分かりやすく解説。ずっと疑問だった出来事も、誰にも聞けなかった用語の意味も、スッキリ分かれば経済学がグンと身近に。解説・文=岡地勝二(龍谷大学名誉教授)
第57回:世界の自由貿易体制の移り変わりについて
はじめに
2020年の新年号に当たって振り返ってみると、日豪プレスでささやかな経済問題の執筆を開始して、早57回目となりました。つまり、4年と9カ月の間、毎月執筆に従事してきたことになります。至らない執筆者の私をこれまで励ましてくださった読者の皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。これからも浅学菲才(せんがくひさい)の身ですが、執筆の努力を尽くそうと、心を新たにしております。どうか日豪プレスの読者の皆さんにおかれましては、経済の知識をより一層深めていただきたいと、経済学の道に身を置く者として心から念じております。
さて、今、日本と韓国の間でとても大きな問題になっている貿易の在り方について、そして世界が一層発展するために欠かせない世界のより密なる貿易の在り方について目を向けてみましょう。世界貿易の問題を論じるには、世界の自由貿易体制の基盤であるGATTとWTOの基礎知識が必要です。そこで今回は、この2つを中心に世界の自由貿易体制の在り方について考えます。
日本が韓国を「ホワイト国」から除外
この連載の10月号においても少し触れたように、目下、日本のお隣の国、韓国との間に大きな軋轢(あつれき)が生じたことに端を発し、経済取引において大きな障害が発生しております。それは、日本政府が韓国を貿易取引において「ホワイト国」から除外するというものでした。このホワイト国という、それまで耳にすることがなかった言葉が急に新聞やテレビのニュースで報じられるようになり、人びとの関心を呼びました。
ホワイト国についてもう一度考えてみると、とても深い意味があることが分かります。それは国際貿易において、「この国とは友好関係を持ちますよ」「この国はちょっと危険」という区別をする尺度を意味するのです。この「ホワイト」という言葉は何か疑惑が生じた時、この人は「クロ=怪しい」とか、この人は「シロ=無実」という意味で用いられます。その言葉が国際貿易の場でも用いられ、この国とは貿易をしても大丈夫という国を「ホワイト=シロ」と言っていたのです。とても不思議ですね。
日本政府は、とても危険な大量破壊兵器を生産し、それを輸出する可能性がある国を危険国と見なし、そのような物資を生産しても輸出したことがない国を安全国として区別していたのです。前者を「ブラック国」、後者を「ホワイト国」と呼びます。当然、ブラック国との貿易取引には大きな障害を課し、後者のホワイト国との間では自由度の高い貿易取引を行ってきました。このホワイトやブラックという言葉はあまりにも品がないということで、今ではグループA、グループB、グループCという名で呼ばれています。
日本にとってホワイト国の範疇(はんちゅう)にある国は、現在では世界の26カ国が対象となっています。それらは、ヨーロッパの大半の国であり、南北アメリカでは、アメリカ合衆国、カナダ、アルゼンチンの3カ国、オセアニアでは、オーストラリアとニュージランドの2カ国。つまり、これらの国と自由に貿易をしても大丈夫ですよとお墨付きをしたのです。その枠から韓国を外したのですから、韓国政府は日本政府に対して怒り心頭に達し、日本産業にさまざまな輸出制限を課すようになりました。韓国でもとても人気の高かったビールやインスタント・ラーメンなどの輸出が今ではゼロになり、「産業の米」と言われる半導体の輸出も従来の3分の1に減少しました。
更にインバウンドとして、日本経済に大きく貢献してきた韓国からの観光客もなんと5分の1に減少したのです。ついでに少し横道にそれますが、この「インバウンド」という言葉、案外その意味は知られていないようです。インバウンドは英語で「inbound」とつづり、「入ってくる」や「向かう」という意味です。つまり、インバウンドとは、日本へいらっしゃる人びとのことを指しています。当然、出て行く人の場合は「outbound」とつづり、意味はもちろん「外へ出て行く」となります。今回の韓国との貿易の軋轢で、外国との取引が日本にいる人びとの日々の生活にもたらす影響の大きさを再認識する機会にもなりました。
貿易を推進する機関:GATTからWTOへ
さて、本題に入ります。国際経済において極めて大切なことは各国の間で自由な貿易を推し進めることです。それは当然です。とりわけ高度に技術が発達しても天然資源の全くない国にとって、生産資源を輸入しないと国が成り立ちません。また、資源があり余っているような国にとっては、それを輸出して外貨を稼ぐことが国の成り立ちとして極めて重要です。そうです、まさにそれにぴったりくる国が、日本とオーストラリアなのです。これらの2国においては、自由貿易こそが国の発展の土台なのです。当然、この状況は世界の多くの国々の間で成り立ちます。
自由貿易の推進機関として、第2次世界大戦が終わる1年前、1944年に戦勝国と思われた国々の指導者がアメリカの北部、ブレトンウッズという小さな町のホテルに集まり、世界の自由貿易を推進する機構を作りあげました。それは「GATT」と呼ばれる機関でした。それをブレトンウッズ・ガット体制と言います。このガットは「関税と貿易に関する一般協定」と言われ、この機関が戦後の世界経済の推進にとても大きな役割を果たしたのです。この機関の設立を推進したのは、あの有名な経済学者ケインズであったことは、もう何度もこの連載で言及しました。
ガットに先立つ国際機関として、ITOという国際貿易機関が設立されましたが、その機関が効力を全く発揮しないので、世界の指導者はITOを土台にしてGATTを成立させたのです。世界の指導者は、どの国にとっても財の自由取引がその国にとっての発展の基礎になり、その結果、世界の経済に安定的な発展がもたらされるという基本的な合意の下にGATTを成立させ、自由貿易を推し進めました。
GATTの基本的な条件は、加盟国はお互いに「最恵国待遇」に徹しようというものでした。最恵国待遇とは、お互いに貿易をする時には、何の条件も付けず、自由に取引をしましょう、最高の「おもてなし」をしよう、という約束で成り立っていたのです。つまり、加盟国は全ての国が「お友達」という約束で始まりました。しかし、物事は簡単に進みません。国によっては「自国財保護」の目的で、相手国からの輸入を制限したり、禁止したりする国がありました。
当然、世界の国々にとっても「自国産業最優先」ということに間違いありません。従って自由貿易の推進は、遅々として進まなかったのです。そこで、GATT体制では世界各国がテーブルに着き、必要な関税の引き下げ交渉をする会議を設立しました。それはGATT一括交渉と言われ、その交渉に名前が付けられるようになりました。中でも、日本経済を根底から覆すような重大な交渉が行われたのです。それは86年に南米のウルグアイで行われた関税引き下げ一括交渉で、「ガット・ウルグアイ・ラウンド」と呼ばれます。その交渉で、日本はそれまで日本の「国是」として絶対に認めなかった「米の輸入」を、世界から勧告されたのです。日本政府はどんなことがあっても米の輸入だけは認めないという態度を世界に示していただけに、世界から「日本よ、世界の先進国なら、それに合う振る舞いをしなさい」と忠告され、日本は米の「部分輸入」を認めたのです。当時を知っている者の1人として、それが大変な議論を呼んだことを決して忘れることはできません。
さて、そのようなGATT体制の下では、世界の自由貿易の推進は進まないという共通の認識が湧き上がり、GATT体制の不備を補い、さらにGATTを発展的解消して、より強制力を持ち、高度に進んだ国際貿易推進機関の設立を世界各国は求めるようになりました。その結果、設立されたのが、WTO(World Trade Organization)という自由貿易推進機関です。
WTOの確立と目的
WTOは各国間で93年に設立協定が合意され、95年に正式発足しました。本部はスイスのジュネーブに置かれ、現在の参加国は164カ国です。WTOとGATTの大きな違いは、GATTが参加国同士の締結団体であったのに対し、WTOは参加国の機関であるということです。WTOに加盟した国は、WTOで決められた約束事を守らなければなりません。つまり、より強い強制力でWTOは成り立っているのです。
WTOの原則として、関税の撤廃、数量制限の原則禁止を中心とした自由貿易の推進、最恵国待遇、内国民待遇に基づく「無差別の原則」、参加国全てを含む多角的貿易の推進といった基本的な約束を基盤に、世界中で自由貿易を推進することを目的としています。更に、地球規模で展開されている、金融取引、知的財取引、目に見えないサービスの取引といった極めて広範囲にわたる貿易の自由化についても推進を図ることを目的としています。
つまり、WTOは文字通り、完全自由貿易体制の確立を目的としているのです。これまで、どのような国際機関を設立しようとも、世界にはそこから横道にそれる国が出てくるものなのです。残念ながらこのWTOでも例外はなく、WTOで決定した自由貿易の推進条件を完全に守る国は極めて少数でした。「自国ファースト」という主義が各国間で蔓延し、自由貿易体制からどんどん離れていきました。そこで、各国は自国と組める国を見つけて自由貿易を遂行しました。それがTPP(=Trans Pacific Partnership)、FTA(=Free Trade Agreement)、EPA=Economic Partnership Agreement)といった個別の自由貿易体制です。自由貿易で最も利益を受けると思われているのが、日本やオーストラリアです。従って、日本はオーストラリアと組んでTPPの成立に努力を注ぎ込み、その目を見ることになりました。しかし、世界で最も影響力がある超大国のアメリカが、この自由貿易体制を避けるかのごとく自国本位の貿易体制を取るようになりました。「アメリカ・ファースト」を高く掲げて自国の産業保護に突っ走っているトランプ政権が続く限り、世界の自由貿易体制の確立は望めそうにありません。
岡地勝二
関西大学経済学部卒業。在学中、ロータリークラブ奨学生としてジョージア大学に留学、ジョージア大学大学院にてM.A.修得。名古屋市立大学大学院博士課程単位終了後退学。フロリダ州立大学院博士課程卒業Ph.D.修得。京都大学経済学博士、龍谷大学経済学教授を経て現在、龍谷大学名誉教授。経済産業分析研究所主宰