政界こぼれ話人物編 その222
デイブ・シャーマ下院議員
Dave Sharma
NSW州選出の自由党連邦下院議員であるデイブ・シャーマは、1975年12月21日にカナダのバンクーバーで誕生している(43歳)。
父親はインド系で母親は豪州人である。2人の姉がいる。一家は79年に豪州に移住し、シドニーのチュラムラに居住している。ところが、シャーマが12歳の時に母親は乳がんで亡くなり、シャーマは父親によって育てられた。地元の公立学校に通ったが、教育熱心な父親のお陰もあって、18歳の時に受験した高等教育入学審査ランク試験で、最高点の百点、すなわちNSW州生徒のトップの座に輝いている。
翌94年に英国のケンブリッジ大学に入学。入学時には自然科学を学んだが、翌年法学部に転じ、結局、法学部を最優等(First Class Honours)で卒業している。更に豪州に帰国後は、シドニー大学医学部に入学するなど、華麗な学歴を誇る。ただ、翌年には一転して連邦外務・貿易省(DFAT)に入省し、連邦公務員として社会人生活をスタートさせている。公務員生活を送りながら、ディーキン大学より国際関係論の修士号も取得した。
その後、首相府(PN&C)への出向などはあったものの、外交官として活躍し、一時期自由党のダウナー外務大臣(注:11年8カ月という外相任期の最長記録を持つ)の法律顧問を務めた。そして2013年には、弱冠37歳で駐イスラエル豪州大使に任命されている。実力主義の官界でも、さすがにこれは大使就任年齢の最低記録であった。ちなみにインド系で大使ポストに就いたのは、シャーマが2人目であったが、最初の人物はDFAT事務次官にまで上り詰めた有名なヴァージェスであった。
さてイスラエル大使の任期満了後に、シャーマはDFATを離れてビジネス界に身を投じ、イスラエルのハイテク情報企業などのコンサルタントとなった。ところが、それからしばらくした18年に、シャーマにとって人生の一大転機となる出来事が起こっている。
それは同年8月に自由党のターンブル首相が失脚して、直後に政界からも引退し、その結果、シドニーでも屈指の高級住宅地域として有名なウェントワース下院選挙区で、補欠選挙が実施されたことだ。同選挙の前に実施された、自由党公認候補を決める党内予備選挙にシャーマも出馬したのだが、数多くの有能な候補を破って、シャーマが勝利したのである。ただ補選では、強力な全国医師会の元会長で、地元で開業医を務める有名人のフェルプスに惜敗。ところが5月18日に実施された下院選挙では、そのフェルプスに勝利し、見事雪辱を果たしている。
要するに、シャーマは当選したばかりの新人議員に過ぎない。その新人議員を取り上げたのは、シャーマが将来の自由党を担って立つ逸材であるからに他ならない。将来シャーマが入閣する公算は極めて高いと言えよう。