新型コロナウイルスに揺れる豪州の今
※この記事は3月20日までに執筆されたものです。最新情報は政府系サイトなどで確認を
日々大きくなる、新型コロナウイルスの影響。日豪プレスに多様な記事を寄稿する本紙特約記者/ライターのタカ植松(植松久隆改め)が、自らの主戦場のスポーツを主な切り口に、短期間で一気に加速した今回の未曾有の新型コロナウイルス禍に大いに揺れる豪州の今をレポートする。 取材・文・写真:タカ植松(ライター/本紙特約記者)
今、そこにある未曾有の危機
「オーストラリア人と永住者以外の入国を3月20日の午後9時以降、原則的に禁じる」。
この原稿を執筆するパソコンの画面上に表示された緊急会見のライブ放送で、スコット・モリソン首相が、衝撃的な決定を伝える。その一報を聞いて「とうとう、そこまで……」という驚きと、「来るものが来た」という一種の諦観という2つの感情がないまぜになる。とにかく、この数日間のうちに、階段を数段越しに飛び上がっていくような感じで状況が変化して、付いていくのがやっとだ。
「500人以上の屋外の集会の禁止」「1.5メートル間隔を維持、握手をするな」「海外からの帰国者は14日間の自主隔離」「海外に出るな、海外からも来るな」と矢継ぎ早に重要な決定を繰り出す連邦政府。人びとはその通達の内容に驚きつつも、適宜アジャストしていくことが求められる。それが、3月12日からの1週間の大きなうねりだ。年初に全豪で猛威を奮った森林火災発生時に初動の遅れを大いに批判され、今回の新型コロナウイルス禍でも対策が手ぬるいとの指摘を受けていたモリソン首相。今回の新型コロナウイルス禍の対応で一旦動き出してからは、なかなかに的確で大胆な印象を受ける。
そして、3月19日、冒頭に書いたまた1つ大きなうねりがやってきた。この展開の速さは、もはや、人びとの理解を超えている。一体、この国の誰が、今月初めの段階で事実上の「鎖国」というラジカルな事態にまで発展することを予想していただろうか。それこそ、3月11日までは、普段とはさほど変わらない日常がこの国のあちこちで送られていた。それが、どうしたことか。何かのスイッチがカチっと入ったかのように、3月12日を境目に世間の様相は激変した。12日とは、あの世界的名優であるトム・ハンクスがゴールド・コーストで新型コロナウイルスに罹患して入院中との報道が流れた日。そこからの1週間が、まさに怒涛のうねりの連続だった。そのハンクス氏の報道ですら、もうかなり昔のことに思えるくらいに……。
スポーツ大国で続く中止の嵐
筆者の主戦場であるスポーツの世界でも、新型コロナウイルスの影響は顕著に出ている。さまざまなスポーツ・イベントが軒並み、中止、延期を余儀なくされているのは周知の通りだ。
まず、豪州国内での大規模スポーツ・イベント中止の流れに先駆けたのは、メルボルンで開催予定だった今年のF1開幕戦となるはずだった豪州グランプリ(GP)。当然のように開幕を期待していた多くのファンが、開幕当日(3月13日)の突然の中止決定に途方に暮れ、主催者に抗議する映像が頻繁に流された。あの時点では、まだ中止への批判が許される状況にあった。実は、筆者は開幕直前までメルボルンに滞在していて、豪州F1GPの直前イベントも実際に見て回った。そこで見たものは、世界の新型コロナウイルス騒動などどこにいってしまったのかと思わせるような平和な街。そこに集う人びとは、このイベントが中止になるなんて露ほどにも思っていなかったはず。少なくとも、そのころのメルボルンに危機感や緊迫感は皆無だった。
F1GPの中止以降、次々に大きなスポーツ・イベントの対応策が発表される。3月14日夜には、同日にNZ政府が出国規制を厳格化したことを受けて、同国のチームが多く参戦するラグビー・ユニオンのスーパー・ラグビーは今季リーグ戦の中断を発表。そして、いわゆる「フッティ・シーズン」到来直前のオージー・ルール(AFL)、ラグビー・リーグ(NRL)といったプロ・スポーツのリーグ戦も開幕直前、または直後の対策を強いられた結果、いずれも苦渋の判断での今季のリーグ戦の無観客試合での開催を決めた。フットボール(サッカー)は、本紙55ページの筆者連載コラムに詳述したが、3月17日の豪州フットボール連盟(FFA)からのお達しで、プロ・リーグのAリーグとグランド・ファイナルを控えていた女子Wリーグ以外の全てのレベルの国内でのフットボールの試合、練習の全てが4月14日まで、ほぼ1カ月間の中止が決まった。グラスルーツでの競技人口が全豪でも一番多いスポーツだけに、読者でも直接的な影響を受けたという家庭は多いだろう。
子どもの健康に配慮した対策を
影響は、当然ながら他のスポーツにも顕著に出ている。特に、15日に連邦政府が出した新型コロナウイルス対策のガイドラインで、「500人以上が集まるイベントの中止」と「互いに1.5メートル以上の距離を取って接触するいわゆる“ソーシャル・ディスタンシング”の推奨」が決まってからは、スポーツ・イベントの中止や延期の決定がさまざまなところから聞こえてきた。むべなるかな。ほとんどのスポーツはいわゆる「濃厚接触」の連続で、規模的に500人には届かなくとも不特定多数が集まるのだから、この流れは止められまい。ただ、そこで忘れてはいけないのが、「いったい、それがいつまで続くのか」という問題だ。ワンオフのイベントの中止であれば、「残念ながら中止です」ということで納得するしかない。しかし、例えば、毎週末の子どものスポーツのリーグ戦だったりはどうなるだろう。フットボール(サッカー)のケースは上にも書いたように、「4月14日まで」という期限があるが、この期限はおそらく更に延長されるはず。そうこうしているうちにシーズンは終わってしまう恐れすらある。
そもそも、子どものスポーツは、健康増進、健全育成の目的で行われる。そんな、スポーツ・アクティビティーの中止をいたずらに延ばし続けることでの弊害も起こりうる。今後予想される休校や長期休暇などに入ると、子どもの健康管理などの観点からアクティビティーの重要性は増してくることが予想される。この辺りは、場当たり的な対策ではなく、連邦や州レベルである程度のガイドラインを出して、きちんと対応することが必要だ。子どもの罹患率、重症化率がかなり低い傾向にあるとされる新型コロナウイルスだけに、子どもの健康を違う形で損ねないような効果的かつ具体的な対策が講じられることを願いたい。
東京オリンピックはどうなる 鍵を握るのはオージー
今年のスポーツの最大の目玉は、言わずもがな。開幕まで4カ月を切ろうとしている東京オリンピック・パラリンピックの開催だ。今回の新型コロナウイルス騒動を受けて、東京大会関連の世界最大の関心事は、その予定通りの開催の是非にある。予定通りに開催するのか、延期するのか、それとも中止するのか。予定通りの開催であれば観客は入れるのかなど、さまざまな憶測が飛び交う。
安倍晋三首相は、3月16日深夜、G7首脳とのテレビ会議の直後、記者団の質問に「人類が新型コロナウイルスに打ち勝つ証しとして、東京オリンピック・パラリンピックを完全な形で実現することで、G7の支持を得た」と応え、さらに開催時期に関しての言質を取ろうとする質問にも「完全な形で実現することで、G7で一致した」と繰り返した。この発言を忖度(そんたく)すれば、現実的に東京オリンピックの「時期、規模も全て予定通りの開催は難しい」というのが、ほぼ既定路線としてあると考えるのが良いのではないだろうか。「完全な」と強調する以上は、無観客という「不完全」な開催は考えにくい。その総収入の8割近くになるという巨額放映権料との絡みを考えれば、「年内延期」も他のスポーツ日程との兼ね合いもあって難しい。日本政府並びに開催都市である東京都にしてみれば、財政的なロスがあまりに大きく責任問題に発展しかねない中止という選択肢は、最悪のシナリオ。そのようにステーク・ホルダーのさまざまな思惑のバランスを取れば、1年後にはある程度は収束しているという判断での「1年延期」が最も現実的な選択肢なのかも知れない。
いずれにしても、求められるのは「アスリート・ファースト」の決定。1年延ばすにしても、中止するにしてもリスクはある。予選のやり直しなど、さまざまな選手選考での課題やドラマが生まれることは避けられないので、そういったケアにも万全を尽くす必要がある。
国際オリンピック委員会(IOC)と東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の間に立ち、東京オリンピックの準備状況の監督・調整を司るIOC調整委員会トップの要職にあるのは、IOC副会長でもあるオーストラリア人のジョン・コーツ委員長。豪州オリンピック委員会(AOC)の会長も務める豪州スポーツ界の重鎮。そのコーツは、スイスのローザンヌにあるIOCからの帰国途上の3月16日、豪政府が入国者全ての14日間の自主隔離を要請することを決めたために、原稿執筆時点では、14日の自主隔離を行っている最中だ。自主隔離の思索の時間の中、豪州の敏腕強面弁護士である彼が東京オリンピックの開催の是非に関して、どのような結論に至り、それを関係者に働きかけていくのか。自主隔離明けの彼の発言に注目したい。
新型コロナウイルスに負けず、日本人の矜持を忘れず
最後に1つだけ。この新型コロナウイルス騒ぎで気になるのが、いわゆる「パニック・バイイング」だ。今や、スーパーマーケットの商品棚は空っぽ。正直、異常だ。マスクやトイレット・ペーパーの品薄状態はなかなか解消されず、転売屋や不当な価格での販売も横行している。先日、知人がブリスベンの某所で単品売りされる医療従事者も使用するマスクを見つけて、購入しようと価格を聞いて、びっくり。なんと、1枚9ドルだったそうだ。
思い出してほしい。豪州の美徳はいつ何時でも仲間を思いやる「メイトシップ(Mateship)」。そして、日本は国難というような危機が起きた時には、常に他人を思いやる気持ちで助け合って生き抜いてきた。先が見えない、しかも人類全てが未知の体験をしている中でも、正しい情報だけを集めて、パニックを起こさず、他人や老人・子ども・英語の苦手な人など不利益を被りやすい人びとを慮る余裕を持ちたいものだ。このような未曾有の危機にあってこそ、凛とした日本人の矜持を忘れてはなるまい。
疾風勁草――暴風の中でこそ、その雑草の強さが分かる。転じて、苦境や厳しい試練にある時こそ、その人の意志の強さ、人間としての強さが知れることの例え。かくありたいものだ。