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米国留学という修行物語―ジョージア大学院での奮戦記―

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今さら聞けない経済学

日本や世界の経済ニュースに登場する「?」な話題やキーワードを、丁寧に分かりやすく解説。
ずっと疑問だった出来事も、誰にも聞けなかった用語の意味も、スッキリ分かれば経済学がグンと身近に。
解説・文=岡地勝二(龍谷大学名誉教授)

第72回 米国留学という修行物語―ジョージア大学院での奮戦記―

ジョージア大学の大学院へ

 ジョージア大学大学院への入学を許可する、という連絡がサラリーマン人生1年目を半分過ぎようとしていた私に舞い込んできました。私は大学の4年生になるとすぐにジョージア州のロータリー・クラブ財団の奨学生としてジョージア大学で1年間学びました。

 帰国して、私はごく普通の学生と何ら変わることなく就職試験を受けて、カメラ会社のミノルタに入社し、新入社員生活を送っていました。そんな時に、ジョージア大学から、大学院への入学するための奨学金が許可された、という連絡が突如として舞い込んだのです。

 私はびっくりするやら驚くやら、さて会社に院への留学をどのように申し出ようかとしばらく悩みました。大学院入学への返事をしないと、当然入学と奨学金が取り消されてしまいます。私は悩んだ末に人事部の上席に相談しました。すると、社の上の方と相談するからしばらく待って欲しいと言われました。私はその時、社が私の留学を認めなければ、社を辞めてでも留学しようという勇気はありませんでした。既に1年間の留学生活でジョージア大学での勉学がどんなに大変か十分に経験したからです。また、私は“サラリーマン人生”もかなり好きになりかけていた矢先でもありました。

 それやあれやで万一社の方針として、留学を認めないという決が下されたら、大学院留学を諦める心づもりをしていました。しばらくすると、社の人事部長より呼び出され、恐る恐る面接を受けると、社の方針として君の米国留学を許可する、と言われるではありませんか。私はその決定を耳にして、自分自身を疑うようにぼんやりしていました。部長は続けて、社としても将来の計画として社員の留学制度を考えていた、とおっしゃるのではありませんか。つまり、私が第1号ということになったのです。

 私は、とにかくあまりにも事が順調に運び半信半疑でした。それでも社から正式に留学の許可をもらい、ジョージア大学大学院への入学を目指して渡米することになりました。正直に言って、その留学はうれしさよりも、万一失敗した時はどうしよう、という不安でいっぱいでした。その怖さとは、後でジョージア大学に入って知ったのですが、大学院では「B+」という評価を維持しないと卒業できないという規則があったからです。いずれにしても私はミノルタの社員という資格を保有しながら、大学院への留学に発つことになったのです。

大学院での過酷な修行

 ジョージア大学に着いて初めてお会いしたのは、院生指導教授でした。その先生はミクロ経済学の担当教授で、とてもやさしい人でした。

 お会いした時、大学院修了の条件をいきなり示されるのです。それは各教科の平均点が「B+」(85点)以上を維持されないといけない、というルールがあることでした。その話を聞いて私は“えらい所へ来た”と1人悔やみました。「B+」が取れなければ修士号が取れず、「B+」を取った上で更に修士論文を提出しないと修士号は取れないのです。

 私は、ここまで来たらやるしかないと心に決めて取り組み始めました。修士号を取るにはマクロ経済学、ミクロ経済学、経済思想史が必修科目でした。私は、ミクロもマクロもあまり得意ではありませんでしたが、それでも学期末テストで及第点を取ることができました。

 問題は経済思想史の科目でした。それは、どの経済学者がどのような理論を唱え、どのような影響を後世の人々にもたらしたのかについて学ぶ科目で、アリストテレスから始まり、ケインズといった主な経済思想家の考えを学ぶものでした。

 担当教授は講義が始まるとすぐに参考文献リストを配り、受講生たちはそこに記入されている書物全てに目を通さなければなりません。私など、必要な文献の3分の1ほどしか目を通せません。そして中間試験と最終試験の問題は、それらの文献リストから出題されるのです。3分の1ほどしか目を通せない私など、試験ができるはずがありません。

 案の定、最終評価が「B−」という落第点を取ることになってしまいました。平均点が「B+」以上でないと卒業できないのです。卒業できないどころか、2学期続けて「B+以上」を維持できないと自動除籍になってしまいます。「学業不良について除籍、即帰国」という悲しい羽目に陥ることになると考えると、私は頭を抱えて、やっぱり大学院などに来るべきでなかったと悔やみました。私は、強制帰国となった場合、何て社に報告しようかと、1人真剣に悩みました。

仏に出会う喜び

 私が経済思想史の科目で基準点が取れず1人悔し涙にむせんでいた時、思わぬ神様が現れました。私は経済政策論という科目を取り、その科目の試験も受けたのですが、その科目の点数が、なんと「A+」であったのです。経済思想史が「B−」であったので平均すると、なんと「B+以上」ということになり、私は学科科目で合格点を取ることができました。

 こんなにうれしいことはありません。思わず、やったーとキャンパスを駆けずり回りました。ジョージアにも神・仏がいらっしゃったと感謝の気持ちで一杯でした。

修士論文の作成

 科目が合格点以上に達した私は、修士論文を作成することになりました。修士論文は1人の指導教授の指導を受けて作成するのですが、私は指導教授のダニエルセン教授に、「今まで英語で論文を書いたことはありません」と正直に申しました。すると先生はニコニコしながら、「そうか、それなら一緒に書こう」とおっしゃってくださいました。そしてすぐにテーマを頂きました。それは「教育投資の意義と目的―日本のケース」というテーマでした。

 経済学の主たる目的は投資の効率性の分析にあるのです。つまり、ある単位の投資をすればそれに対するリターン(収益)はどれくらいあるのかを分析するのです。教育に対する投資も収益性を度外視できません。そんな意味から日本の高等教育への投資の収益性も度外視できません。そこで日本における高等教育への投資の収益性を分析することになりました。

 先生と2人でする分析作業はとても楽しくそして有益でもありました。私は、先生から学問に対する真摯な姿勢を学びました。また学問に対する喜びをも学びました。私は、アメリカでの院生生活を語る時、ダニエルセン先生の御恩を忘れることはできません。

 ダニエルセン先生の指導を受けて分析し作成した修士論文は、審査委員会の口頭試問に無事合格し、私はジョージア大学の修士となることができました。

 私はやっと手に入れた修士号の証書を抱きかかえるようにして機上の人となり、1年半ぶりに日本へ戻りました。

解説者

岡地勝二

岡地勝二

関西大学経済学部卒業。在学中、ロータリークラブ奨学生としてジョージア大学に留学、ジョージア大学大学院にてM.A.修得。名古屋市立大学大学院博士課程単位終了後退学。フロリダ州立大学院博士課程卒業Ph.D.修得。京都大学経済学博士、龍谷大学経済学教授を経て現在、龍谷大学名誉教授。経済産業分析研究所主宰。

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