政界こぼれ話人物編 その231
アダム・バント・グリーンズ党首
Adam Bandt
環境保護政党グリーンズ党のアダム・バント新党首は、1972年3月11日に南オーストラリア州のアデレードで誕生している(47歳)。先祖は19世紀にドイツから移民してきた人びとである。バントが子どものころに一家は西オーストラリア州のパースへと転居し、バントも大学を卒業するまで同地で過ごしている。大学は私立のマードックで、同大学より人文学士と法学士の学位を取得。学生時代から左派の活動家として活躍し、学生自治会の会長も務めた。
実は若いころのバントはグリーンズをやや小馬鹿にし、一時期労働党の党員であった。卒業後はビクトリア州のメルボルンへと転居し、12年にわたり労使問題を専門とする事務弁護士となっている。所属した法律事務所は、かつて労働党のギラード元首相も勤務した、労働党系の大手法律事務所スレイター&ゴードンである。バントはここでパートナーに昇格したが、その後事務所を辞めて法廷弁護士となっている。
初めて政界入りを狙ったのは、2007年11月の連邦選挙である。バントは、グリーンズ党の候補としてメルボルン選挙区から初出馬し、敗北はしたものの、労働党の大物政治家で、屈指の経済通、論客でもあったタナーを向こうに回して善戦した。そのタナーは10年8月の選挙前に政界から引退し、再出馬したバントが見事当選を果たしている。ちなみに連邦下院の本選挙でグリーンズ候補が勝利したのは、バントが初めてであった。
10年選挙では70年ぶりに下院が「ハング・パーラメント」となり、ギラード政権は無所属やグリーンズ党の支持を得て辛うじて政権を維持している。そのため、1年生議員に過ぎなかったバントにも重い責任が負わされたのだが、法案を巡る労働党政府との交渉ぶり、メディアでの発言ぶりなどは、新人議員とは思えないほど堂々としたものであった。こういった活躍が評価された結果、また次期下院選挙でのバントの再選を支援する意味もあって、バントは12年4月にグリーンズ党の副党首に選出されている。そして今年の2月にディー・ナターレ党首が突然辞任、引退したことを受け、「異議なし」で党首に選出され、現在に至っている。ディー・ナターレが党首に就任したのは、15年5月であったが、実は当時党首候補の最右翼であったのはバントの方であった。
思想、信条だが、グリーンズ党議員だけに環境保護問題はもちろんのこと、バントは人権問題にも強い関心を抱いている。それどころか、バントは社会問題に強い関心を抱く、いわゆる「スイカ・グリーンズ」と言える。誠実、真面目、沈着冷静な人柄で知られる。ただ童顔ではあるものの、舌鋒(ぜっぽう)鋭い、と言うよりも過激な言動で有名である。例えば最近の山火事大災害問題では、地球温暖化対策に不熱心として、モリソン政府を「殺人者」と呼び、物議を醸した。ギラード首相や労働党閣僚のスタッフであったクラウディアというパートナーと2人の娘がいる。