イギリスに帰国中にがん闘病生活の後、78歳
3月18日付ABC放送(電子版)は、かつてNSW州立美術館(AGNSW)の名館長として知られたエドマンド・ケーポン氏がイギリスでのがん闘病生活の後、78歳で死去したと伝えている。
先日、ケーポン氏ががんのために体が弱っており、オーストラリアに戻れなくなっていることが伝えられていた。
ケーポン氏は1940年にイギリスのケント州に生まれており、ロンドンのビクトリア・アルバート美術館極東美術副部長を務めた後、1978年にAGNSW館長に就任、日本を含めた東洋美術にも造詣が深かった。2011年に退任するまで139年の歴史を持つシドニーのAGNSWの館長として33年の最長在任期間を持ち、同時にオーストラリア美術界においても強い影響力を持っていた。
館長退任後はジョアンナ夫人と共にシドニーとイギリスで半年ずつ過ごしていた。しかし、最近になって皮膚がんと診断され闘病生活に入っていたが、症状が重篤になり、シドニーに戻ることができなくなっていた。
ケーポン氏はAGNSW館長就任後は東洋美術スペシャリストとして名を馳せ、活気のある婦人と共に瞬く間にシドニーの美術界だけでなくシドニー社会にも居場所を見つけた。
また、ケーポン氏はメディアに向けても積極的な活動で知られ、オーストラリア社会に向けて美術館の人気を高める起業家の能力を発揮し、シドニーの企業や富豪の協力を受けた美術品購入の手腕にも優れていた。
そのような努力を通じてマーガレット・オリー、ホワイトリー一族、ベルジョルノ・ネティス一族らが美術館後援者や寄付者になっていった。
1981年にはピカソの「Nude in a Rocking Chair」を30万ドルで購入したために美術館の予算が極端に減ったことから、ケーポン氏は将来の美術作品購入の基金を創設している。その結果、2008年にはセザンヌの「Banks of the Marne」を1,600万ドルで購入することができた。
また、2010年にはシドニー・ノーランのネッド・ケリー連作の一つ「First-class Marksman」を560万ドルで購入しており、オーストラリア美術作品としては最高価格の記録を樹立、今も破られていない。
ケーポン氏最後の事業になった2011年のピカソ展は、パリのピカソ美術館所蔵作品を展示し、34万人を超える大成功を収めた。
■ソース
Former director of Art Gallery of NSW Edmund Capon dies after battle with cancer